また高校生小説だ。それでなくても普段から高校生ばかり見てるんだから、プライベートは勘弁して欲しい。(と、いうのは、嘘だ。僕は自分の高校生たちと同じように、映画や小説の中の高校生たちも大好きだ)
すばる小説賞を受賞したこの小説は、まだ大学生の新人作家が書いたとても胸に痛く切ないドラマだ。現役世代と限りなく近いリアルな小説だ。感傷的で甘い作風は、描かれることと今の時間があまりに近くて充分な距離がとれないからだろう。これはこれで悪くはない。自分の体験をそのまま書いたような小説は勘弁だが、あの頃の気持ちをリアルに再現した小説はOKだ。もちろんこの作品は後者だ。
複数の男女が主人公となるオムニバス形式を踏んでいる。それぞれのエピソードはリンクしていく。ある高校のあるクラスで生活する何人かにスポットを当てる。部活を中心にして話を展開していく。教室での時間とクラブの時間。そして、放課後。それらが各エピソードの中には散りばめられてある。特別な事件はない。彼らの日常のスケッチだ。もちろんそれぞれ悩みを抱え生きているのは当然のことだろう。そんなこと高校生でなくても誰でも同じだ。
タイトルにあるように、バレー部のキャプテン、桐島が突然クラブを辞めた。そのことから起こるさざ波がこの短編集の基調低音だ。それを事件として、そこを起点にした話が綴られていく、というわけではない。それはただの事実でしかない。まぁ、バレー部にとっては確かに大事件だ。チームの存亡がかかる。次の試合からセッターがいない。だから、今までは補欠に甘んじていた風助が次の試合ではレギュラーとして出場することになる。最初の話は彼が主人公になる。(タイトルは『小泉風助』)
その後、バレー部の話が続くのかと思ったが、そうではなかった。ブラスバンド部、映画部、ソフトボール部、と続き最後は野球部。それぞれ主人公の名前がタイトルとなった短編が連作されていく。それぞれが抱える問題が彼らの日常の中から見え隠れする。解決はない。これはちゃんとしたオチのあるただのお話ではなく、どこにでもある高校生のスケッチだからだ。ドキュメンタリータッチで綴られていく。そこにあるのは普遍的な真実だ。特定の誰かを主人公にしながら、それは誰もの記憶の中にもあるある特別な想いを呼び覚ます。
こういうさみしさを抱えて僕たちはキャンパスで暮らした。これはその特別な時代へのレクイエムでもある。永遠の高校生活を生きている僕は毎日の中でこういう感傷をついつい忘れてしまいそうになることがある。だからこそ、この小説は愛おしい気持ちを呼び覚ませてくれる貴重な1冊となった。
映画部の話(『前田涼也』)がまるで自分のことのようでなんだか恥ずかしかった。キネ旬を片手に映画を作っていた日々の自分たちと重なり合う。(まぁ、僕には彼のように一緒に映画を見に行ってくれる素敵な彼女はいなかったからなんだか彼に嫉妬してしまうのだが)
前田たちが(地味で誰も顧みないけど)必死になって映画を作っている姿が、いい加減な気持ちで野球部にいる菊池を刺激する。地味な文化部のネクラくんたちが、派手でみんなから注目を集める運動部のエリートくんに嫉妬を感じさせる。この最後のエピソードがいい。彼らのほんのちょっとした心の揺らぎがよく捉えられている。
すばる小説賞を受賞したこの小説は、まだ大学生の新人作家が書いたとても胸に痛く切ないドラマだ。現役世代と限りなく近いリアルな小説だ。感傷的で甘い作風は、描かれることと今の時間があまりに近くて充分な距離がとれないからだろう。これはこれで悪くはない。自分の体験をそのまま書いたような小説は勘弁だが、あの頃の気持ちをリアルに再現した小説はOKだ。もちろんこの作品は後者だ。
複数の男女が主人公となるオムニバス形式を踏んでいる。それぞれのエピソードはリンクしていく。ある高校のあるクラスで生活する何人かにスポットを当てる。部活を中心にして話を展開していく。教室での時間とクラブの時間。そして、放課後。それらが各エピソードの中には散りばめられてある。特別な事件はない。彼らの日常のスケッチだ。もちろんそれぞれ悩みを抱え生きているのは当然のことだろう。そんなこと高校生でなくても誰でも同じだ。
タイトルにあるように、バレー部のキャプテン、桐島が突然クラブを辞めた。そのことから起こるさざ波がこの短編集の基調低音だ。それを事件として、そこを起点にした話が綴られていく、というわけではない。それはただの事実でしかない。まぁ、バレー部にとっては確かに大事件だ。チームの存亡がかかる。次の試合からセッターがいない。だから、今までは補欠に甘んじていた風助が次の試合ではレギュラーとして出場することになる。最初の話は彼が主人公になる。(タイトルは『小泉風助』)
その後、バレー部の話が続くのかと思ったが、そうではなかった。ブラスバンド部、映画部、ソフトボール部、と続き最後は野球部。それぞれ主人公の名前がタイトルとなった短編が連作されていく。それぞれが抱える問題が彼らの日常の中から見え隠れする。解決はない。これはちゃんとしたオチのあるただのお話ではなく、どこにでもある高校生のスケッチだからだ。ドキュメンタリータッチで綴られていく。そこにあるのは普遍的な真実だ。特定の誰かを主人公にしながら、それは誰もの記憶の中にもあるある特別な想いを呼び覚ます。
こういうさみしさを抱えて僕たちはキャンパスで暮らした。これはその特別な時代へのレクイエムでもある。永遠の高校生活を生きている僕は毎日の中でこういう感傷をついつい忘れてしまいそうになることがある。だからこそ、この小説は愛おしい気持ちを呼び覚ませてくれる貴重な1冊となった。
映画部の話(『前田涼也』)がまるで自分のことのようでなんだか恥ずかしかった。キネ旬を片手に映画を作っていた日々の自分たちと重なり合う。(まぁ、僕には彼のように一緒に映画を見に行ってくれる素敵な彼女はいなかったからなんだか彼に嫉妬してしまうのだが)
前田たちが(地味で誰も顧みないけど)必死になって映画を作っている姿が、いい加減な気持ちで野球部にいる菊池を刺激する。地味な文化部のネクラくんたちが、派手でみんなから注目を集める運動部のエリートくんに嫉妬を感じさせる。この最後のエピソードがいい。彼らのほんのちょっとした心の揺らぎがよく捉えられている。