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映画・演劇のレビュー

『無限ファンデーション』と『おじさんのトランク』

2022-10-01 17:36:46 | 映画

まるで無関係の2作品をたまたま同時に1本の中で書くことにする。芦辺拓の『おじさんのトランク 幻燈小劇場』という小説を読んだ。ミステリータッチの幻想物語。ほぼ同じ日に配信で『無限ファンデーション』という映画を見た。1冊の小説と1本の映画がいずれも「演劇」を題材にして描いていて、偶然だけど、興味深いな、と思ったからだ。余談だが、ようやく最近になって芝居も本や映画と同じようになんとかマイペースで見られるようになり、昔(といっても3年前だが)に戻り始めた今だったから、この2作品と今出合えたのは何かの僥倖かなんて思う。(まぁ、いつものようにそれは「たまたま」なんだろうけど)

映画のほうは実はあまり出来がよくないから普段なら見なかったことにしてスルーする作品なのだが、今回は少しだけここで触れる。ストーリー展開も不自然で見せ方にも無理がある実験的作品。主人公が何かを求め、音楽や演劇と出会う。彼女自身は衣服のデザインに興味がある。だけどそれを人には知られたくなかったようだ。密かな趣味としていた。だけど、それを認めてくれるクラスメートに出会い演劇部に誘われる。同時期に学校の近くにある倉庫でギターを聞いている女の子と出会う。この二人との出会いから改めて自分の「好き」と向き合うことになる、そんなお話だ。お話自体は悪くないけど、それを演じる役者たちによる即興劇として見せるのは問題だ。アドリブ、長回しで、高校の演劇部の公演までの日々が描かれる。役者の女の子たちに今の自分たちが置かれた設定だけを与えてあとは自由に演じさせたものをそのままカメラに収めた。彼女たちの内面から湧き上がる言葉を映画にした。かなり大胆で実験的な試み。帰着点は監督のほうで示したのだろうが、そこに至るものは彼女たちが偶然作り上げたものだ。だがお話にも無理があるし、安易な展開が機能しない。

小説のほうも実は最初はあまり乗れなくて、途中でやめようかとも思ったけど芝居がモチーフなので最後まで読んだ。記憶にある「おじさん」の謎を追ってそれを芝居にしようとするお話。おじさんの残したトランクと出会い、そこに残されていたものを手掛かりにしておじさんの足跡をたどる旅に出る。やがて「おじさん」の姿は今の自分自身と重なり始める。おじさんとはいったい誰なのか。最終章は幼い日に見たおじさんの葬式の記憶。式から抜け出し公園で出会ったある男(おじさん本人)から渡された本。おじさんは生まれた時から不在だった彼の父親と重なり合う。

これはいつも僕が読むものとは違って「推理もの」のスタイルだ。普段なら手にしないタイプの作品なのに、手にして見てしまった。どちらの作品も深く芝居と関わっていたからこんなふうに最後まで読んだり見たりしたけどそうじゃなかったら途中でやめていたかもしれない。

『おじさんのトランク』なんて開演前から終演まで1本の芝居を見たようなスタイルで全体が作られてある小説。途中に休憩まで用意されている。演じられる芝居の内容はアングラ芝居の王道。そして小劇場空間での一人芝居。短編連作スタイルだがそれが1本の芝居になっている。この長編小説自体が芝居でもあるというスタイルなのだ。そこに展開する幻想的なお話は心地よい。終盤全体をまとめるための説明になるが、悪くはない。

『無限ファンデーション』はなんと即興劇で高校の演劇部の公演までの日々が描かれるのに、その肝心の芝居自体は描かれないまま終わる。不思議な映画。そこでは女の子たちの感情の揺らぎが描かれる。

まぁ、こんな小説と映画を偶然見たということの記録。世の中にはいろんなものがある、ということか。

 


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