習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『手』

2022-10-01 17:55:37 | 映画

日活ロマンポルノ50周年記念、『ロマンポルノ・ナウ』という企画ものの1作として作られた作品。今回は3本。松居大悟、白石晃士、金子修介の監督作品。今回初めてロマンポルノから巣立った金子監督を迎えた。本数は前回の5本より縮小された。その第1弾がこの松居大悟作品なのだ。

正直言うと前回の5本にはがっかりさせられた。あんなのロマンポルノではない。5年前『ロマンポルノ・リブート』という名目で錚々たるメンバーが集められた。行定勲監督、塩田明彦監督、白石和彌監督、園子温監督、中田秀夫監督というラインナップである。期待しないほうが嘘だろう。なのに、出来上がった作品は彼らのふだんの映画とはまるでレベルが違うものばかり。手を抜いたわけではなかろうが、作家の作品としても、ポルノ映画としても中途半端。唯一見れたのは白石和彌監督による『牝猫たち』のみ。「10分に1回の濡れ場があれば何をしてもOK」という当初のお約束を踏まえた自由な表現のはずなのに、ポルノ映画という枷が作品を反対に作品世界を不自由にした。「上映時間1時間10分」というロ何ポルノのお約束はそこでは反故にされた。反対に1本立上映のため1時間半というふつうの映画の上映時間になっているのもロマンポルノではない。70分の作品の自由が奪われた。結果的に白石作品だけで後は全滅。

今回の松居作品だが、これもまた前回同様まるでダメだ。この映画に「ロマンポルノ」というネーミングを与えてはならない。前回の5作品はとりあえずはロマンポルノを目指していたけど、これはまるでそうじゃない。こんなのはただの「一般映画」だ。そこに無理矢理ポルノシーンを入れただけ。しかも前半はそういうシーンがない。10分どころか30分くらいただの一般映画。しかも最初のからみでは胸さえ見せない。別にそんなのが見たいわけではないけど、ロマンポルノに失礼ではないか、と思ってしまった。終盤になって仕方なくとってつけて帳尻を合わせた。無様だ。

山崎ナオコーラの小説の映画化。それをちゃんとポルノとしてアレンジするべきだった。しないのならちゃんとあの小説を映画化して欲しい。ナオコーラの映画化はたぶん『人のセックスを笑うな』以来ではないか。彼女の描く少し笑えてなんだか身に泌みる世界を『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟ならきっとうまく映画化できたはずだ。なのにこんな失敗作になったのは明らかにロマンポルノという足枷を意識したからだろう。細部で不自然にポルノ色を織り交ぜたため作品世界が歪になった。

「おじさん」が大好きな25歳OLが、同世代の男の子と恋をすることで今までの自分に疑いを持つ。だが、彼に裏切られて、自分は逃げていただけなのかもしれないと思う。父親が大好きなのに、父親とうまくコミュニケーションが取れないでいた。父への複雑な想いが彼女をおじさんへと向かわせていたのか。彼女の(自分でもよくわからない)想いが、新しい恋を通して少しずつ明らかになっていく。原作はとてもおもしろい短編なのだ。これをうまく膨らませたなら絶対傑作になったはず。金子大地は昨年の『猿楽町で会いましょう』のほうがずっとロマンポルノしていた。(あの映画をロマンポルノとして公開してもよかったのではないか。それなら僕は納得する。あれはちゃんと「性」も取り上げていて、とてもスリリングな傑作だったから)残念でならない。


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