この不気味な摑みどころのない芝居を見ながら、単純そうに見えるストーリーを、とてもイビツなものとして提示する作り手のセンスには共鳴しないけど、作者の好む「不条理なナンセンスな設定」には少し心惹かれる。「こいつは一体何を考えているのか?」と、なんだか気が気じゃない。作、演出、ゴン駄駄吉。
彼は『生きものの塊』というなんだか生々しいタイトルに
「喜劇・三匹のこぶた」という軽目のわかりやすいサブタイトルを添える。そこがなんともミスマッチだ。その独自のセンスは芝居にもちゃんと発揮される。よくわからないふたつのお話が交錯する。やがて、ふたつの話はちゃんとひとつに重なるけど、それで安心させられることはない。それどころか、さらに不安に駆られる。
芝居は絵本の『三匹のこぶた』では描かれない3匹の母親を主人公にする。彼女が狼と恋仲になり、子供たちを家から追い出す。子供たちは狼の父親なんて認めるわけもない。3匹の本当の父親はいない。傷心の母親が新しい恋人によって生き生きするのはうれしいけど、よりによってそれが狼であるなんて、それはないだろ、と思う。ただ、その狼はとても心優しい男で、肉食だった性情を変えて、豚を食べないことにする。心から3匹の母親を愛して、子供たちにも愛を注ごうとする。だが、いかんせん、狼である。子豚たちは怯える。
もうひとつの話は、とあるスナックの通い詰める男の話だ。実は彼こそが3匹の子豚たちの父親で、彼は母豚と交わって、3匹を孕ませた。人と豚との結婚は破綻する。母豚についていたシラミは、彼女の夫である男に恋した。彼女は妄想の子供を孕み、その子はやがてこの世に生を受ける。(実はこちらのストーリーはかなり端折って書いてみた。)男とスナックのマダムとの関係性は最後まで明かされない。
こんなふうについついストーリーを長々と書いて確認したくなる。これはそんな芝居なのだ。ありとあらゆるところに、いくつもの謎が散りばめられてある。いろんな役割を担う額縁もそうだし、最初はあのスナックが何なのか、なかなかわからないし、お尻にキャベツを挿入しようとするセックスとか、なにがなんだか、である。ストーリーは見えるけど、そこから何を描こうとするのかなかなか見えにくい。作りも緩いし、緊張感はあまりない。ただ、主役のふたりが武田操美と野村侑志である。だから、彼らを見ているだけでドキドキさせられる。このふたりの醸し出す雰囲気だけで1本の芝居になる。
なのに、ゴン駄駄吉はこのふたりに頼らない。彼らに好きにさせながら、自分は自分で好き勝手して、彼らを包み込むとんでもない妄想の世界を作り出す。(だが、それは思い付きとしか思えないようなものだ。チラシにある過去公演のストーリーもそうだが、あきれるくらいに暴走している)
これはまだ作品としては未完成だ。だが、あらゆる意味でなんだか掴みどころのない不気味さを指し示す。この狂気の世界は頭を抱えるほどに快感でもある。
彼は『生きものの塊』というなんだか生々しいタイトルに
「喜劇・三匹のこぶた」という軽目のわかりやすいサブタイトルを添える。そこがなんともミスマッチだ。その独自のセンスは芝居にもちゃんと発揮される。よくわからないふたつのお話が交錯する。やがて、ふたつの話はちゃんとひとつに重なるけど、それで安心させられることはない。それどころか、さらに不安に駆られる。
芝居は絵本の『三匹のこぶた』では描かれない3匹の母親を主人公にする。彼女が狼と恋仲になり、子供たちを家から追い出す。子供たちは狼の父親なんて認めるわけもない。3匹の本当の父親はいない。傷心の母親が新しい恋人によって生き生きするのはうれしいけど、よりによってそれが狼であるなんて、それはないだろ、と思う。ただ、その狼はとても心優しい男で、肉食だった性情を変えて、豚を食べないことにする。心から3匹の母親を愛して、子供たちにも愛を注ごうとする。だが、いかんせん、狼である。子豚たちは怯える。
もうひとつの話は、とあるスナックの通い詰める男の話だ。実は彼こそが3匹の子豚たちの父親で、彼は母豚と交わって、3匹を孕ませた。人と豚との結婚は破綻する。母豚についていたシラミは、彼女の夫である男に恋した。彼女は妄想の子供を孕み、その子はやがてこの世に生を受ける。(実はこちらのストーリーはかなり端折って書いてみた。)男とスナックのマダムとの関係性は最後まで明かされない。
こんなふうについついストーリーを長々と書いて確認したくなる。これはそんな芝居なのだ。ありとあらゆるところに、いくつもの謎が散りばめられてある。いろんな役割を担う額縁もそうだし、最初はあのスナックが何なのか、なかなかわからないし、お尻にキャベツを挿入しようとするセックスとか、なにがなんだか、である。ストーリーは見えるけど、そこから何を描こうとするのかなかなか見えにくい。作りも緩いし、緊張感はあまりない。ただ、主役のふたりが武田操美と野村侑志である。だから、彼らを見ているだけでドキドキさせられる。このふたりの醸し出す雰囲気だけで1本の芝居になる。
なのに、ゴン駄駄吉はこのふたりに頼らない。彼らに好きにさせながら、自分は自分で好き勝手して、彼らを包み込むとんでもない妄想の世界を作り出す。(だが、それは思い付きとしか思えないようなものだ。チラシにある過去公演のストーリーもそうだが、あきれるくらいに暴走している)
これはまだ作品としては未完成だ。だが、あらゆる意味でなんだか掴みどころのない不気味さを指し示す。この狂気の世界は頭を抱えるほどに快感でもある。