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映画・演劇のレビュー

姫野カオルコ『リアル・シンデレラ』

2010-05-12 21:06:24 | その他
 衝撃的な1作である。これは「倉島泉」という誰も知らない市井の女性の生涯をドキュメントしたノンフィクション、というスタイルで綴られた小説だ。

 様々な人々の記憶と、証言から構成したドキュメントの中で、語られたこの「泉ちゃん」という不思議な女性はなんだかもどかしい。本人の1人称ではないから、ここで綴られた物語はいささか事実とは異なるはずだ。だが、たぶん、本人はここに描かれた物語に一切クレームをつけないだろう。笑って受け止めるはずだ。但し、彼女のその笑いはきっと見ることが出来ない。

 本当の彼女はきっとどこにもいない。ただ、このお話の中で、語られる彼女はそれぞれの勝手な立場が生んだ存在でしかない。この小説にはすっぽりと核心である「泉ちゃん」が抜け落ちている。

 シンデレラの物語では主人公は何もしない。彼女はただ受け止めるだけだ。その結果彼女には幸せが訪れる。だが、果たして王子さまとの結婚が幸せか。ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』のアリスは、最後にはなんとも逞しい女性に成長したが、この小説の主人公はどうだろうか。残念ながら泉ちゃんは成長してるようには見えない。それでは、みんなの都合のいいように扱われただけか、というと、必ずしもそうではない。彼女は彼女のままなのかもしれない。

倉島泉。なぜ彼女はこんなにも自己主張しないのだろうか。自分らしく生きたい、とは願わないのか。奈美が不気味に思う気持ちが自然に思うくらいだ。決して不細工で恋愛とは無縁な存在だというわけではない。それどころか、みんなから美しいと言われた妹である深芳以上に、彼女の方が魅力的に見える人も多い。だが、泉は自分が目立たないようにする。わざと飾らない。それどころか自分の存在を消そうとする。いろんなことが彼女の力で成し遂げられたにも関わらず、すべてを周囲に譲る。自分の手柄にはしない。控えめであるとかいうのとは次元が違う。なにが彼女をこんなふうにしたのか。

本人の話は一切ないから、わからない。まぁ、たとえ彼女本人にインタビューしたとしても、わからないだろう。空白の存在である泉という女性に関するこの膨大な証言集を通して、僕たちが目撃するのは姫野カオルコが呈示する『リアル・シンデレラ』という不気味な存在だ。シンデレラという夢がもし現実に存在したなら、それはどういう存在なのか。まさか、この泉という女性がシンデレラだなんて、誰も思いもしないだろう。だが、彼女こそが『リアル・シンデレラ』なのだ。だれからも顧みられることなく、バカにされ、ひっそりと生きる。幸せというものはもしかしたらそんな中にあるのかもしれない、とすら思わされる。でも、そんな人生はまっぴらだ、と誰もが思う。シンデレラなんかには絶対になりたくはない。



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