
ラクダと砂漠を横切る旅に出る。そんなことをして何になるのか、と言われると答えようもない。ただ、そうしたかった。だから、する。それだけ。何かをするのに、理由はいらない。いや、ちゃんとした理由はいる。でないと、始められない。でも、大事なことは理由なんかじゃない。
4頭のラクダを手に入れるために奴隷のように働くけど、めげない。愛犬となんとかして手にしたラクダを連れてオーストラリアの砂漠を2000マイル旅する。頑なでなんの根拠もなく、ただ、やろうとしたことをやり遂げるだけ。思いつきでしかないような気がするけど、こんなこと思いつき、実行したりするようなバカはいない。でも、する。
僕たちだって、こんなことはある。だいたい、やっているうちに何のためにこんなことをしているんだろうか、わからなくなることもある。もうやめよう、バカバカしい、と。でも、そんなバカバカしいことを始めたのは誰だ? 自分じゃないか。気がつくとまた、続けている。
そんな女の子のお話だ。彼女の協力者もいる。同行するカメラマンは、最初は鬱陶しいと思った。でも、やがて、彼と心を開きあうことになる。でも、それはよくあるパターンではない。お話としてこの映画を見るのではなく、まるでドキュメンタリーのように見る。ストーリーには起伏はない。単調過ぎて眠くなるほどだ。ラクダと歩く。寝る。歩く。寝る。同じような風景が続く。
「感動のラスト」なんてない。ゴールした。でも、それがどうした。成し遂げた興奮よりも、目的を失った喪失感のほうが大きい。ドラマチックからはほど遠い映画は、静かに終わる。なんだか、不思議な映画だった。いったい自分は何を見たのだろうか、とすら思う。こんなにも単純な映画なのに、ただそれだけのことしか描かれないのに、そんな102分間にやけにリアルな感触を得た。