ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

夢 ‐ くる年

2014年01月01日 | 季節/暦
  いかに寝て起(お)くる朝(あした)に言ふことぞ 
       昨日
(きのふ)を去年(こぞ)と今日(けふ)を今年(ことし)と (後拾遺集/小大君)
  新年、明けましておめでとうございます
  ご家族お揃いで明るいお正月をお迎えのこととお喜び申し上げます
 平安中期の女流歌人、小大君(こおおきみ)さん、芽出度い新春(はる)を、こんなふうに茶化して詠んだそうですよ。
 元朝、酒を酌みながらTVをみれば 「
おめでとう」の大安売り、小大君さんのそんな気持ち、判らなくもないですよね。
 酔狂老人ペトロ、制する者なき朝酒三昧。
 Houjyu盧生(ろせい)という若者が、邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見ます。
 
ところが、目覚めてみると炊きかけの黄粱(大粟)もまだ炊き上がっていない僅かな時間であったと言う。
 詰まるところ人生とはそんなもんだ、と言う故事に倣って、邯鄲は一炊(いっすい)の夢、肘枕で転寝(うたたね)でもしてあやかりますか? えっ、風邪引くだけだって、ご尤も!
 差し詰め冒頭の歌意、近代俳諧となれば
  去年今年貫く棒の如きもの  (虚子)  と、言ったところでしょうか?
 ペトロとしては、悲哀の昨日から希望の明日へ、のひと区切りでありたいと思うのであります。
 なにはともあれ、今日からは少しカタリナ 離れを・・・と、酔いに漂いつぶやいてみるのでありますが、それもまた束の間の夢でしょうかねえ?
 Peter & Catherine’sTravel.TourNo.749
コメント
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