褒めて下さる方はまずいないだろう。
むしろ、嗤うまではいかなくとも、「まさか?」と呆れる人の方が多いだろうと思い投稿を躊躇った。
カタリナ が、何を以ってそこまで思い、拘ったのか?
客観的に綴れるか聊か心許ないが、そこからカタリナの思いを感じとって頂ければと思い投稿することにした。
時計の針を少し戻して、体調が悪いと訴えたカタリナを抱えるように県立西宮病院に運んだのは5月の連休明けのこと。
その日、病院の庭には、「矢車草」と「ルピナス」が一杯咲いていた。
連休明けで満員の外来患者に混じって、待合室の長椅子でペトロ の膝を枕代わりに横たわりひたすら診察を待ったことは既に書いた。
そして入院、なかなか病状を教えてくれない主治医を急かし、ペトロとカタリナが話を聞けたのは三日後の10日の夜のことだった。
主治医に病棟の担当看護師が加わって四人、無機質の狭い部屋が一層狭く感じられたことを覚えている。
膝突き合わすように座った医師から、「余命二月もあれば!」と作文を読むように早口に告げられた時の衝撃。
唇を噛み、目に大粒の涙を溜めたカタリナの横顔は、今でも目に焼き付いて消えない。
月末から予定していたサンクトペテルブルクの旅、「行かせて欲しい」と懇願する彼女の声が今も耳に残る。
翌日、「治療は要りません。ホスピスをお願いします」と、主治医に告げたカタリナに涙はなかった。
カタリナが告知を受けた翌日、息子と娘が駆けつけて来た。
末期と宣告されて生き永らえた人は多い、カタリナにも奇跡が起こることを信じて頑張ろうと話し合った。
それから、多くの方の協力を頂き、病院選びに少し時間が掛かったが本人の望みどおりガラシア病院へ5月23日に転院、祈りとともに穏やかな日々が始まった。
主治医から宣告された七夕様を何んとしても越えさせ、8月下旬のペトロの誕生日をカタリナに祝って欲しいと話したら、「頑張る」との言葉が返ってきた。
それからのことは、“ カタリナ便り ” に折にふれ書いた。
が、ほとんどブログに投稿しなかった、と言うよりも投稿を躊躇った計画があった。
それは、9月から開催される上野のミケランジェロ展に行くことをメルクマール、目印にしたことだった。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.731
※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(2)」へは、<コチラ>からも入れます。