何気ないことから、胸に仕舞っていることを呼び醒まされることがある。
過日、<デジャビュ・既視感>のことに少し触れた。
それとは少し意味合いが違うかも知れないけれど、少し前に体験した(している)ことが今日の話。
例によって持って回った書き方で恐縮だが、一昨々日(12/8)が三回目だから二週間ほど前のことになる。
NHKの21時のニュースが終わり、漫然と画面を視ていたら “ わたしをみつけて ” というドラマが始まった。
夕食に聞こし召した僅かなお酒に、「後片付け、面倒くさいなあ」なんて思い乍らぼんやり眺めていたら、何時か何処かで見た景色がドラマの中で再三登場する。
TV画面は坂道を登ってしばらく、左へ曲がる小さな坂、その向こうに五階建てほどの白い建物を写している。
そして、病院の受付ロビー、主人公の看護師さんが勤務明けに住宅街の坂道を自転車で帰る場面なども。
酔眼で、「うん、 何処かで見たような?」と首を捻っていると、ドラマが結構面白くて引き込まれ、「うん?」と思ったことも忘れて見入って仕舞った。
翌週、二回目(12/1)を、今度は意識して視た。
やはり何時か見た景色がドラマのなかにあって、そこで、「えっ、これガラシア病院じゃない!」と気付いた。
病室やナースステーションには見覚えがないので別の病院なのだろう。
ドラマを視ていて思い出してしまった。
不便な場所にも拘らず励ましにお越し下さった方も、坂道の向う、緑の山裾に建つ病院を覚えておられると思う。
ホスピスのため転院したのは、水を張ったばかりの田圃に爽やかな風が流れ、蛙の合唱が聞こえた晩春。
近くの川に蛍が乱舞しているよと教えられた、向日葵が咲いていた夏を越え、畦道に彼岸花が咲き、黄金色の稲穂が波打つ初秋までここで過ごした・・・。
かんかん照りの日も、台風で大荒れの日もあったけれど、あの白い坂道を登ったところにカタリナ が待っていてくれた日々が甦って・・・、TV画面が滲んだ。
そして、別れを目前にし乍らもコロコロと明るく笑う彼女の声が聞こえ、何時まで経っても<泣き虫ペトロ>から卒業できないなあ、とほろ苦く思った。
春から夏にかけて咲くという 「マーガレット」、花の界も改良されて季節感は薄れていくが、花言葉の “ 誠実な愛 ” は、何時までも変わることがないのだろう。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1066
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