君待つと我(あ)が恋ひ居(お)れば我が宿の 簾(すだれ)動かし秋の風吹く (額田王/万葉集4-0048)
絶世の美人だったともされる歌人、“ 貴方様を恋しく思ってお待ちしているとわが家の簾がそよそよと動きおいでかと思えばお姿はなくただ秋風が吹いていましたよ “ と、切なくも女心を秋風に託している。
諸説あるらしいけれど大海人皇子、後の天武天皇妃の額田王(ぬかたのおおきみ)さん、その秋、日一日と温かくなって草木が萌えはじめる春も好きだが、だんだんと空が高く日差しが柔らかくなっていく、そんな季節の今が好きとも。
冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来(き)鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入(い)りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてぞ偲(しの)ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山吾(われ)は (万葉集1-16)
“ 冬が終われば春は訪れ鳥が鳴き花は咲きほこる、でも花は咲くけれど山には木々が茂り草深くて入ることができない ” と春を、“ 秋の山に木の葉を見にいって色づいた葉を手に取って秋を想うことも、でも青いままの葉を見ては惜しいと残念に思うことも ” と秋を謳う。
勝手に解釈(よめ)ば、春と秋のどっちが好き?と自らに問いかけ、“ 春も秋も好きだけれど・・・、やっぱり秋が好き ” と。
秋に佳人の恋の歌もいいけれど、同じ恋の詩(うた)でも、
あわれ/秋かぜよ/情(こころ)あらば伝えてよ/――男ありて/夕げに ひとり/さんまを食らひて/思ひにふける と。
「秋刀魚の歌」(佐藤春夫)が、酔狂には似合うよう?
秋深き隣は何をする人ぞ (芭蕉)
八日は草木に宿る露が白く結ぶ頃とされる “ 白露 ”、翌九日は、極みの陽の数が重なり吉祥とされる “ 重陽、菊の節供 ”、稔りの恵みを収穫する時期である。
深まりゆく秋に秀歌、名句に詞華を借りて号を埋めた、聊か手抜きの感もするけれど。
そぞろ季節が移って花も睡蓮から菊へ、ルーヴル美術館の旅も勝手に盛り上がってこれから巨匠たちが登場、駆け足ルーヴルに加えて道草ルーヴルに寄り道ルーヴルも・・・。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1026
道草も寄り道も大いに結構、今日はどんな画家かな?なんて、楽しみにアクセスしています。