ミレニアム・千年紀、もうひと昔も前のこと。
西暦で99年、カトリック暦では区切りの00年の降誕祭に、カタリナは洗礼を受けたのだが、ペトロは、「復活祭まで待って」と、「カタリナと一緒に」と勧めるシスターを困らせた。
そんなことや、その年の春に仕事にひとつの区切りがつくこともあって、00年の春浅き3月、カトリックと縁が深い、そして、ふたりにとって初めての長崎への小旅行を計画した。
往復ともJASを利用、この航空会社暫くしてJALと合併したので今はない。したが、そのJALの経営が危うくなるなどとは、当時、思いもよらなかった。
その日の長崎、空は冴え、眩しいほどに海が光っていた。
空港からバスで長崎駅に出て、何はともあれ大浦天主堂へと路面電車で向かった。
この町は、異国情緒に溢れると聞いていたのだが、もとより花より団子の口、どこにして異国情緒が溢れているのか、さっぱりの体たらく。
ただ、浦上川の河口、長崎港の入江深くまで両岸に山が迫り、その中腹からの眺めには心が和んだ。
そしてこの町、<坂の街ポルト>ほどでないにしても、矢鱈坂道が続き、お年寄りや体の不自由な人には随分と暮らしにくかろうと、いらざる同情などもした。
話はそれたが、大浦天主堂下で市電を捨て坂道を登った。
その途中、甍のあいだから大浦天主堂の鐘楼の十字架が見え隠れする。
国宝に指定されているこの教会、棕櫚か椰子か分からないが常緑の木々が石段に並ぶ。
木造の内陣は歴史を感じさせ、脇祭壇の聖マリアの像が清々しかったことを覚えている。
ただ、堂内に設えられたスピーカから絶えず流れる声が煩わしく、そのお節介ぶりに呆れる思いで、早々に天主堂の横手にある、羅典(ラテン)学校へ向かった。
帰途、天主堂下にある新教会に入る。
そこで教会の人から 今晩、天主堂で特別のミサがあることを聞いた。
そのミサのことなどは、次回に。
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