ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

マウリッツハイス(下)

2010年03月13日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ハーグから、ベルギーの首都ブリュッセルへ。
 その道中、思いもよらぬ事態になるのだが、その顛末は後日に。

 ブリュッセルの二日目だったか、オランダとの国境の街アントワープに、王立美術館と聖母マリア大聖堂を訪ねた。

 1その大聖堂の主祭壇を飾るのがルーベンスの 「聖母被昇天」(上)。

 ハーグのマウリッツハイスに架かる 「聖母被昇天」(下)はその原画だとされている。

 彼は、ルーブル美術館の連作 「マリー・ド・メディシスの生涯」に代表される、見上げるような大作を含め実に多くの絵を描いている。
 が、その多くは、ルーベンス工房で弟子たちと描いたものだという。

 ただ、美術書などによれば、大聖堂の祭壇画もマウリッツハイスの原画も、弟子を使わずにひとりで描いたとされている。

 今まさに天に昇らんとする聖母マリア、彼独特の柔らかい線使いと彩色でふくよかに描かれている。

 この原画は、注文主であるアントワープの大司教に、完成品のイメージを伝えるために描かれたものとされ、この祭壇画にかけるルーベンスの意気込みが伝わってくる。

 ルーベンスは、王の画家にして画家の王と呼ばれ、その名声を広くヨーロッパ中に轟かせたという。

 2彼は、当時アントワープを統治していたハプスブルク家に宮廷画家として仕え、フランス王妃マリー・ド・メディシスなどの権力者とも交友関係を築くなど、画業以上?に外交能力に長けていたという。

 早い話が身過ぎ世過ぎが巧みで、アントワープの目抜き通りにあるアトリエ兼住居は、彼の裕福さを窺わせるに十分なものだった。

 とは言え、フランドルが誇るこの画家、その作品は天才のみがなし得るもので、<アントワープ大聖堂>を飾る 「聖母被昇天」 「キリストの昇架」 「キリストの降架」は、紛れもなくルーベンス昇華の傑作である。

 ルーベンスを 「好きじゃないと言って憚らないカタリナ も、この祭壇画を前にしてさすがに声もなかった。

 アントワープのことなどについては、また別の機会のこととしてマウリッツハイスに話を戻す。
 ファン・アイク、ヤン・ステーンなどの絵に続いて、レンブラントの部屋、そして、フェルメールの部屋へと進む。

 二回に亘ってのマウリッツハイス、随分と長くなってしまった。

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