ハーグから、ベルギーの首都ブリュッセルへ。
その道中、思いもよらぬ事態になるのだが、その顛末は後日に。
ブリュッセルの二日目だったか、オランダとの国境の街アントワープに、王立美術館と聖母マリア大聖堂を訪ねた。
その大聖堂の主祭壇を飾るのがルーベンスの 「聖母被昇天」(上)。
ハーグのマウリッツハイスに架かる 「聖母被昇天」(下)はその原画だとされている。
彼は、ルーブル美術館の連作 「マリー・ド・メディシスの生涯」に代表される、見上げるような大作を含め実に多くの絵を描いている。
が、その多くは、ルーベンス工房で弟子たちと描いたものだという。
ただ、美術書などによれば、大聖堂の祭壇画もマウリッツハイスの原画も、弟子を使わずにひとりで描いたとされている。
今まさに天に昇らんとする聖母マリア、彼独特の柔らかい線使いと彩色でふくよかに描かれている。
この原画は、注文主であるアントワープの大司教に、完成品のイメージを伝えるために描かれたものとされ、この祭壇画にかけるルーベンスの意気込みが伝わってくる。
ルーベンスは、王の画家にして画家の王と呼ばれ、その名声を広くヨーロッパ中に轟かせたという。
彼は、当時アントワープを統治していたハプスブルク家に宮廷画家として仕え、フランス王妃マリー・ド・メディシスなどの権力者とも交友関係を築くなど、画業以上?に外交能力に長けていたという。
早い話が身過ぎ世過ぎが巧みで、アントワープの目抜き通りにあるアトリエ兼住居は、彼の裕福さを窺わせるに十分なものだった。
とは言え、フランドルが誇るこの画家、その作品は天才のみがなし得るもので、<アントワープ大聖堂>を飾る 「聖母被昇天」 「キリストの昇架」 「キリストの降架」は、紛れもなくルーベンス昇華の傑作である。
ルーベンスを 「好きじゃない」と言って憚らないカタリナ も、この祭壇画を前にしてさすがに声もなかった。
アントワープのことなどについては、また別の機会のこととしてマウリッツハイスに話を戻す。
ファン・アイク、ヤン・ステーンなどの絵に続いて、レンブラントの部屋、そして、フェルメールの部屋へと進む。
二回に亘ってのマウリッツハイス、随分と長くなってしまった。
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