秋の衣替えは前月朔日(ついたち)のことだが、温暖化のあおりか月遅れで街から白い服が消えたようだ。
前号で、芦屋市民病院の緩和ケア内科外来を受けたことを書いたが、頼みごとに行くのだからせめてジャケットぐらいは、と羽織ってみて愕然となった。
そもそも西洋の服は、太っちょに似合うようにできているのだろうか?
スマートと言えば聞こえはいいが、痩せちまってサイズが合わなくなった所為なのか、鏡の向こう側に貧弱そのものの男が写っていた。
現役の頃は背広も似合う男と自負、それが加齢とともに背広だけが似合う男に変わっていったような。
背広だけは似合っていると思い込んでいたのが、困ったことにその背広すらも似合わなくなってしまったようだ。
ところで、最近の若い人の背広姿、黒、もしくは、それに近い色ばかり、ネクタイさえ取り替えれば略礼服そのまま、のように見えて仕方がない。
ペトロ の時代は、無難な紺に始まり茶やグレーや緑、縦縞やチェック柄など季節やシチュエーションに応じて楽しみ、そしてまた紺の無地に、大雑把だがそんな感じだったと思う。
G8やG20など欧米の首脳達が集まる国際会議の出で立ち、身ごしらえと言えば、専ら紺の背広に赤もしくは青のネクタイが定番のようで、たまに茶の人などを見るとその人が浮いたように見えるから不思議だ。
話はそれたが、若い男性諸君、背広の色使いはもうひとつのようだが、カジュアルな装いとなるとスカーフなどを上手に使いこなしている。
我々の頃は精々ジャンパー、今風に言えばブルゾンを着る程度のことで、背広を脱ぐと途端に精彩を失ったような感じだった。
季節は押し詰まって霜月・十一月。
今年も余すところ二月となり、秋もようやく深まって、と言うより駆け足で去って、早くも木枯らしが吹く季節になろうとしている。
これからの季節、ちょっと厚手のジャケットやコート、マフラーが楽しい季節になる。
カタリナ に、「早く元気なって、お洒落して色づく街を歩こうよ」と、語りかける日々である。
紫の着物に派手な赤のストールを粋に羽織った「釣浮草」(つりうきそう)、白い着物の種もあるそう。
もう一枚は、佃煮のキャラブキ、この葉っぱで作られるそうだが、その「石蕗」 (つわぶき)、野暮ったく今を盛りにそこら中に咲いている。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.723
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