ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

レンブラント(7)‐ ナショナル・ギャラリー(26)

2014年06月27日 |  ∟イギリスの美術館

 17世紀のオランダ絵画黄金期をフェルメール(1632-1675)とともに主導した画家レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)。

 これまで、ナショナル・ギャラリーが所蔵する 「水浴する女」 「ベルシャザルの酒宴 ‐ 壁の言葉」 「キリストと姦淫の女」 「フローラを装うサスキア」 「34歳の自画像」、そしてそれらと関連性の高い作品を投稿してきた。

 A_2それら圧倒する収蔵品の卓尾を飾るのが 「63歳の自画像」(上)。

 最初期の作品とされる 「<自画像 ‐1628年>」(アムステルダム国立美術館蔵)から実に41年、「63歳の自画像」は、画家レンブラントが生涯にわたり描き続けてきた自画像の最晩年の作品とされている。

 愛するサスキアを失い、彼女の忘れ形見、溺愛した息子ティトウスをも失い、乳母および家政婦として雇ったヘンドリッキ・ストッフェルスと再婚したことにより、裕福だったサスキアの遺産は没収、彼自身の放蕩もあって輝かしい画業に次第に翳りが兆し、やがてそのすべてを失っていく。

 その1669年に制作されたとする本作、「ゼウクシスとしての自画像 ‐ 笑う自画像」(下/ケルン・ヴァルラフ ‐ リヒャルツ美術館蔵)と制作時期が前後し、彼の最後の自画像とも言われている。

 にもかかわらず 「笑う自画像」と対比してこの作品は、非常に高い創作意欲と表現力によって老いた自分を客観視した思慮深い慎みが見て取れる、そんな印象を受けた。

 B_2ちなみにゼウクシスとは、美の女神アフロディテに扮した老婆の肖像画を描いている途中、笑い死にしたと伝わるギリシャの画家のこと。

 このギリシャの画家に扮してこの世に別れを告げる、レンブラント最後の諧謔ともされている。

 余談だが、05年にケルンを訪ねた折、このヴァルラフ ‐ リヒャルツ美術館、身振り手振りで場所を聞きまくった。

 で、この絵と対面したが、老いてはますます壮(さか)んなるべし、飽くなき探求心に粛然とさせられたことを覚えている。

 カタリナ が愛して已まなかったレンブラント・ファン・レイン。

 栄光と挫折の人生を歩んだこの偉大な画家の功績を、美術館のみならず05年にはアムステルダムの彼の工房、09年には故郷ライデンを訪ねたことなども今となっては懐かしい。

 とまれ、ここナショナル・ギャラリーで、レンブラントが作品を通して放つ香気に酔い痴れたのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.827

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(25)へは(コチラ)から入れます。

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2 コメント

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レンブラント、宗教画にしろ風俗画にしろ、集団肖... (旅人)
2014-06-28 10:00:32
レンブラント、宗教画にしろ風俗画にしろ、集団肖像画をふくめた肖像画にしろ、やはり凄いですね。
劇的なまでの栄光と転落、ブログを見て5、6年も前になるでしょうか、「レンブラントの夜警」という映画のことを思い出しました。
この旅の行方、一気に印象派でしょうか?楽しみにしています。[E:foot]
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旅人さん (petro)
2014-06-28 10:39:52
旅人さん
映画、「レンブラントの夜警」、カタリナ[E:libra] が、「付き合って」と言うので観たことを懐かしく思い出しました
この先、ロマン主義から印象派へと続ける予定ですが、ここのところ肩の痛みがぶり返しPCを使うのを一回30分に自制しています
それに、梅雨の晴れ間を縫って甲山山麓を徘徊? していますので、如何なりますやら??([E:key])
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