キリスト教徒にとっての “ 三大聖地 ” とは?
<ローマ>と<サンチャゴ・ディ・コンポステーラ>、そして、今回の 「エルサレム」と勝手に思っていて、今回の旅でその三つを巡礼することが叶い、大袈裟だが何かをやり遂げたような高揚感がある。
エルサレムは、キリスト教のみならず、ユダヤ教やイスラム教にとっても聖地である。
オフシーズンながらも、世界各地から祈りに訪れた人で旧市街や近郊、何処に行っても人、人、民族・人種のモザイクを描く。
∮ イスラム教第三の聖地 「神殿の丘・岩のドーム」(左)です
∮ 並ぶのを避けるため朝の8時前には着くようにホテルを出ました
∮ ものの、入場門 「モロッコ門」(中)は、セキュリティ・チェックを受ける人で長蛇の列
ムスリムじゃないのでさほど観たいとも思わないが 「折角来たのだから」とガイド氏が一生懸命、通り抜けるまで1時間半も掛かった。
∮ ユダヤ教の聖地 「嘆きの壁」(左)です
∮ そのすぐ傍に高架で設えられた 「専用回廊」(右)を通らなければなりません
∮ セキュリティ・チェックが終わればガラガラ、長時間並んだのが嘘のようです
石打の刑に処せられた聖ステパノにちなむ 「聖ステパノ門」から旧市街へ入って直ぐ、イエスが十字架を担いでゴルゴダの丘へと歩いた道 「ヴィア・ドロローサ」が始まる。
この悲しみの道、磔刑を命じた 「ローマ総督ポンテオ・ピラト官邸」から 「埋葬された墓」まで、全長約1kmの間に14のステーション(留)がある。
∮ 今は 「鞭打ちの教会」が建つ第2留は 「イエスが十字架を背負わされた」(左)場所
∮ この辺りまではさほどでもなかったのですが
∮ 第3留の 「イエスが最初に躓いた」(右)辺りから道が混雑し始めます
キリスト教徒にとっては重い意味のある道だが、狭い道の両側にぎっしりと並んだアラブ人などの店の呼び込みと休日の心斎橋を思わす雑踏で、イエスの苦悩と苦難を理解するにはかなりの努力が要る。
∮ 第5留の 「クレネ人のシモンが代わりに十字架を背負わされた」(左)ところです
∮ この辺り「悲しみの道」(中)から人で溢れ歩くのもままならぬ所もあります
∮ 第9留の 「イエスが三度目に倒れた場所」(右)です
∮ ここは、聖墳墓教会の中にあるコプト教会の入り口辺りになります
イエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘に建つ 「聖墳墓教会」はキリスト教最大の聖地。
∮ 第10留の 「服を脱がされた場所」からは 「聖墳墓教会」(左)の中になります
∮ 第11留は 「イエスが十字架に釘打たれた」(中)場所
∮ 第12留は 「磔刑にされた場所」(右)です
∮ 第13留の 「聖骸を受け取り、死を嘆くマリアの小祭壇」
∮ 第11留の左隣に僅かに写っています
第14留 「イエスの墓」は長蛇の列、時間の関係もあり残念ながら見送らざるを得なかった。
「神殿の丘」や 「ヴィア・ドロローサ」に限らず、パレスチナ自治区のベツレヘムの 「生誕教会」では、聖堂内の地下洞窟のイエスが生まれた場所へは長蛇の列、辿り着くまでに2時間近く並んだ。
∮ ベツレヘムの 「聖誕教会」(左)です
∮ メンジャー広場に面した入口は 「謙虚のドア」(中)と呼ばれ、人ひとりが潜るのがやっとです
∮ 「会堂」(右)から地下洞窟の 「聖誕の地」へはかなり並ばされました
∮ 2時間待って10秒ほどで次の人に譲れと追い立てられました
そんな忍耐を一度ならず二度、三度と求められたが、イエスが歩んだ苦難を思えばこれしきのことと感じさせるものが確かに其処此処にあって、弟子であるペトロや大ヤコブなど十二使徒ゆかりの聖地ローマやコンポステーラなどとはまた違った余情を残した。
僅か現地7泊8日だったが、イエスの足跡を辿る旅の中にずっと居たような気がする霜月・十一月、早いものでカトリック暦では、この20日の 「王であるキリスト」(年間第34週)で1年が終わり、27日の 「待降節第1主日」で新しい年に替わった。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.405
※ イスラエル巡礼、前回の《浮遊体験》へは、<コチラ>からお入り下さい。
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