造船技術が発達した11世紀頃のこと。
パレルモ沖の海戦でイスラム軍を撃破したピサは、西地中海の覇権と東方貿易の利権を獲得、十字軍にも参加し商圏をさらに東方に拡大。
大聖堂の建設は、戦勝や交易で得た莫大な富をもとにこの頃に始まった。
しかし、この街にはアルノ川の運行権を狙う上流の都市フィレンツェと東方貿易の利権を争う海運都市ジェノバという、陸海両面に敵があった。
1284年、ジェノバとの海戦に大敗。
同じ頃、追い討ちをかけるようにアルノ川口への土砂の堆積が進み、地理的にも海から遠ざかってしまったピサは衰退の一路を辿り、ライバル、フィレンツェの支配下に。
こうして、ピサはその栄光の歴史に幕を降ろしたという。
駅前広場に降り立つと、これぞまさに「アズーリ、空色」「今回の旅で一番」、ピサは真青な空に覆われていた。
街の真ん中を流れるアルノ川が、新市街と旧市街に分けている。
駅前からまっすぐ川に向かって歩くと10分ほどで河畔に着いた。
目指すはサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会、通りがかった年配のふたり連れ、多分ご夫婦に、「スピーナ教会は何処にありますか?」と訊ねている。この二人連れ、親切にも「連れていってやるから着いてこい」と言う。
川の傍らの小さな教会(写真上)の屋根からは、数多くの棘?が突き出ていた。
かつて、ここにイエスが被らされた、“ スピーナ・荊の冠 ” が奉納されていたことからこの名前が付いたとのこと。
アルノ川に接したゴシック様式のこの小さな教会、屋根に針のような尖塔、側壁には彫刻やレリーフが繊細なまでに施され目を見張る。
扉、アーチ、そして、バラ窓がそれぞれ小さくふたつ、シンメトリーにあって可愛い。
ところで、三方の何処を探しても扉が固く閉じられている。
諦めかけた時、自転車に乗った若い女性が来て、「今、扉を開ける」と言う。
小さな扉から入ると、そこは、幾何学的な線が美しい梁に支えられた格天井(写真中)の御堂、外観にもまして、さらに小体で簡素な祭壇に聖母子像(写真下)があった。
聖遺物・荊の冠、「ほんまにここに」「あったの?」と疑うほどに小さな教会、小さな展覧会の最中らしく、絵が飾られていた。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.357
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