先日の朝日、“ 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県閖上(ゆりあげ)で、神社の再興に向けて小高い丘、日和山に二本の柱が立った ” と報道された。
日和山とは、船乗りが船を出すか否かを決める際に、日和を見るために利用した山だということを初めて知った。
この日和山、北は北海道から東北、日本海側の越後や北陸、紀伊半島の熊野などの港町に今もその地名を残すと言う。
随分と昔のことになるが、三丹地域を統括する支社に勤務したことがあった。
こんなこと言えば住んでいる方に失礼だが、何れの地域も草深く、「人口よりも電信柱のほうが多い」と、幾分の揶揄も込めて言っていたことを思い出した。
ただ、緑豊かな山と碧い海に恵まれ、華やかさはないが素朴な風景が広がる地域だった。
その中の風光明媚な地のひとつに、入り組んだリアス式の海岸線に奇岩が連なる但馬海岸がある。
その中心が、志賀直哉の小説「城之崎にて」の舞台となった城崎温泉から少し足を延ばした日和山遊園。
余談だが、本社のお偉方などが暇つぶしに?出張に来た時は、ここ日和山や天橋立などをしばしば案内したものだった。
橋立といえば、宮島、松島と並んで日本三景の一つ。
リアス式の海岸線が美しいという松島、入り組んだ海岸線が、皮肉にも大津波の被害をより大きくさせたということだった。
その震災復興だが、上から目線の発言が原因で復興担当相が僅か十日足らずで辞任、その後任選び、ひとしきり難航したという。
副大臣を昇格させる前に、前の官房長官に就任を依頼したが固辞されたとも。
大臣への就任要請に、「この期に及んで菅さんと心中できるかい」と袖にしたらしい。
袖にされた方に原因があるのだろうが、袖にした方も、復興が喫緊の最重要課題と声高に主張する口とは裏腹に、計算高さが見えてうそ寒い。
日和見は、政治屋の常と言えばそれまでだが・・・。
カタリナ と、図書館への散歩の道すがら見つけた「桔梗」と「槿」、いかにも夏に似合い涼しげだ。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.349