goo blog サービス終了のお知らせ 

●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

些細な見えない罪

2014年05月12日 | 思うこと
先日、ちょっとした事で神さまに指摘された罪がありました。

ある人が私を呼びました。

「ぴーちゃんっ!」

その時、私はとても疲れていて、

かつその頼まれる内容も分かっていたので、

私には煩わしく思われたので、

すぐに返事はせずに軽く「うん、いいよ。。。」と言いました。

本来なら、喜んで「なぁ~に~?うん、いいよ~」

と言うべきでした。



その事を、神さまは知っておられました。

疲れるのが悪い訳ではありませんし、出来ない事をする必要もありません。

でも、それは私にとっては「愛のない事」「不親切で意地悪な?事」だったんです。

そして、それは誰にも気づかれないような些細な事でした。

そう、心の奥の「心の在りよう」です。



私はすぐに「間違いを犯してしまった」と分かりましたので、

「イエスさまごめんなさい!申し訳ないです」と告白しました。

そして、イエスさまがそんな私の罪を赦すために十字架にかかられた事を、

心から感謝してお祈りしました。



(ルカによる福音書23:34)

そのとき、イエスは言われた、

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。


の「彼ら」とは私の事だと感謝しました。


その事を通して、ある牧師先生のお話を思い出しました。

その方はとても温厚な人で、いつも穏やかにお話される方でした。

「私はね~イエスさまに咎められることがあるんだよ~。

それは、何かを言った事じゃなくて、言わなかった事を咎められるんだよね。」

その先生にとっては、誰かに忠告したりする事は苦手でしたが、

時々、神さまがそうするように言われてるのに、しなかったらしいんです。

その事は、その先生にとっては「従わない罪」でした。



でもイエスさまは、細かい事をチクチク言われる小姑のようではありません。

私がいつも穏やかであるように、私を変えたいんです。

いつも愛があふれ、喜びに溢れる人になるように変えたいと思っておられます。

私は自分で変わる事は出来ないのですが、

神さまが私を変えて下さいます。

その事に希望があります。愛を感じて感謝します。



↓読んでくださってありがとうございます。応援↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタント(クリスチャン)へにほんブログ村