●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

希望があれば…。

2007年08月07日 | こころの健康
私が、息子を産んだ時には痛かった…なんてのは常識で、帝王切開でもない限り、誰しも経験する事だろう。

ただ大変驚いた事は、この痛みを全世界の母親が体験しているのか?と言う事だった。個人差があるので、一概には言えないだろうと思うが、半端でない痛みだった。これがお産でなかったら、スッゴい!悪質な病気だと思うだろう。

ちょっと脅かし過ぎたので、これからお産をする人の為に、これだけは付け加えて置くが、全世界の母親が耐えられたのは、赤ちゃんが生まれると言う、喜びの故である。
私も息子が生まれる前に、とっても痛かったが、しばらくして生まれる時間が近づくと「新しい人に出会える喜び」で、ワクワクした。「もうすぐですよね?赤ちゃんに会えるんですよね?」と先生に言ったので、「ああ、もうすぐだよ。あんたは、なかなか赤ちゃんが出きらんかったかね?」と間違えられたくらいだった。

「苦しみ」と言う物は、何にも当てはまる事だと思うが、希望があるなら、乗り越えられる物である。

今週のメッセージで語られたのだが、イエスさまが神さまでありながら、十字架の苦しみを忍ばれたのは、私たちへの愛の故である。
十字架の苦しみの向こうに、愛する私たち人間の「罪の許し」があり、「復活」があり、「神と人との和解」と言う希望があったから、私たちのために愛し通されたのだ。

「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた(ピリピ2:8)」