フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

顔が変わる時 QUAND LE VISAGE CHANGE

2007-05-21 22:23:41 | Weblog

先日、たまに顔を出すお鮨屋さんに行く。そこはご夫婦でやっている小さなお店である。お客さんがいない時は、個人的なお話もできるところである。その日もお客さんがいない時があった。そこで出てきた話に驚いていた。最近 paul さんの顔つきが変わってきたというのである。それまではどこかに鎧を着けているようなところがあり近づきにくかったが、このところなぜか親しみやすくなったというのだ。それは単に年齢を重ねて丸くなったと一般に言われることか聞いてみたが、それとも違うと言う。ご夫婦揃ってそういう観察をされていたようである。私は全く気付いていなかったので、非常に興味を惹かれた。変わってきた時期を聞いてみると、丁度科学を上から眺めましょうなどと考え始めた時期に一致している。おそらく、それまでは科学の中に身を屈め、外の世界を別世界として生きていて、それが鎧を着けているように見えたのかもしれない、などと考えていた。顔や目はその人の心の状態を表しているというようなことはよく言われるが、目に見える形で自分が指摘されるとやはり驚く。この心の変化は本物だということなのだろうか。

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2 コメント

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 (ミコ)
2007-05-22 11:35:08
食べ物のお店の人は、それが商売のポイントでもあるからでしょうが、実によく観察しますね。非常に親しかったカフェの奥さんは「ミコさんだからですよ」と他のお客の情報を教えてくれ、感心すると同時に、自分も見られているのだろうなあ、と思わずにいられませんでした。

最近あるメル友から「徐々に鎧を脱いで下さいね」と書かれ、ポールさんのような「科学」との距離といった高邁なものとは無縁なだけに、ちょっと考え込みました。

わたしは、なにかしんどいことが起きると「それは自分が悪い、自分のせい」と収めてしまうところがあり、メールにも無意識に出るのかも知れません。でも、メールほど真意の伝わりにくい手段もないと思ってもいますので、上記の「お願い」にも困ってしまうわけです。

躑躅も終わりになりましたね。


   探しもの探すあてなく躑躅道   ミコ
驚きました (paul-ailleurs)
2007-05-22 21:25:46
今年に入ってから、以前とは違う反応が私の周りに起こっており、おかしいな、とは思っていましたが、表情に表れているとは気づきませんでした。科学とは私の日常なので特に高邁ということはありませんが、そこに入る時には意識して別の次元に入るようの努めていたように思います。つまり、日常的な営みなのですが、心は常に非日常に入らなければ科学ができなかったということのようにも思います。科学を外から見るということは、そこから下りてものを見直そうとしているようで、心が自分と同じレベルに戻ったということかもしれません。その無理のなさが表情に表れているのだろうか、などと考えておりました。

難しい漢字、ありがとうございます。その昔、日本語で言えば「つつじ荘」とでも言うべき、「アゼリア」というアパートに住んでいたことを思い出しました。

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