フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ
J'OBSERVE DONC JE SUIS
フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE
少しだけ時を置いて考える PENSER APRES UN PEU DE TEMPS

ある人の古い論文を読み、その内容について思いを巡らせている時、これまでの自分の考えるやり方のある傾向に思いが及んだ。そのことには気付いてはいたが、ここで言葉にしておきたい。それは今この時に動いていることについて、すぐに頭を使おうとしないということである。いつからそうなったのかわからないが、かなり早い時期からのようだ。それは大勢の人の中で競い合うということに抵抗感があったこととつながっているかもしれない。それは他の方に任せておけばよいというような性向と関連があるようだ。しばらく時間が経ってから、その時点で自分の中に残っていることを自分なりに考えればよいと無意識のうちに決めていたようだ。そこにどのような利点があり難点があるのかを考えての結果ではない。忙しく頭を使うということができない、あるいはそれを避けてきた形跡もある。もともと私の中にある怠惰な面の反映なのかもしれない。すべては過ぎ去る、という達観があったようにも思えるが、意識的ではない。今の時点で見ると、そういうことだったのではないかという程度のことである。そのため、自分の置かれている立場が全く理解できていないうちに事が過ぎ去ったこともしばしばであった。しかし、ここまで来たらこのやり方はもう変えることはできないのではないか。それを受け入れるしかないのだろうか。そういう諦めのようなものの中に、いざという時が来たら現在に立ち向かうだけの気力はありそうだ、というようなことを漫然と思い浮かべながらの休日となった。
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同じ不眠症仲間だったシンガーソングライターのK・Sさんが、ある日「ミコさん、眠れるようになった」と言うのです。ある先輩から結論の出ない時は、まず寝る。翌朝考えるとほとんど解決していると言われ、やってみたそうです。眠れたそうです。Sさんの悲観主義は楽観主義者に変わっていきました。
わたしは、理屈では判ってもその「秘術」を習得出来ないで来ましたが、多分、Sさんが教わったことは、真理だったに違いありません。76歳のSさんは、まだ歌っています。凄い人になりました。
ポールさんでも聴き取れないことがあるのですね。3年前、京都の日仏会館で初級講座をン10年ぶりに受講し、アントワーヌ先生のが全く聴き取れませんでしたが、そんなに悲観することもなかったんですね。
聞き取りはなかなか難しいと思います。アメリカでの経験から、彼らと同じように話せるようにならなければ(=彼らの文型が頭に入っていなければ)聞き取れないと思っていますので、こちらも楽観主義を通しています。
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