フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

武満 徹

2005-04-14 20:07:30 | 自由人

Toru Takemitsu (1930-1996)。20世紀を代表する作曲家。独学でここまで来る人がいるのだ。芸術の世界は学校教育では如何ともしがたいということか。昨日取り上げた本から、彼に関係のあるところを少しだけ。

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ジョン・ケージには、具体的な、音楽の方法論的な影響よりも、何しろ音楽っていうのは自由なんだ、自由な態度で音楽に接しなきゃいけないってことを学んだと思います。...僕は、彼は作曲家として素晴らしかったと思うし、彼の音楽作品も大好きですけれど、だけど僕自身はジョン・ケージのような音楽は、書かないと思うな。でも、彼から深く影響受けてますよ。あまり物事にとらわれないっていうかね。何に対しても、自由、自由。


もう一人、ルイジ・ノーノも亡くなったんですが、彼はなんていうんだろ、ジョン・ケージとは全く違う人ですけれど、それでも似てるところって言ったら、自分に絶対嘘を言わないってことね。自分の追及するテーマをきちっとやったっていうか・・・・・・。


これからは一人一人が、普通の人間全部が、芸術的な生活をしなければ駄目だと思うな。今までは専門家の芸術家っていうのがいて、市民の上にこう一つ専門のアーティストっていうのがいて、偉そうにやってたけど、そうじゃないと思いますね。


僕はやっぱり自分が音楽をやり始めたときから、音楽というものを、自分のことをいつも考えたいと思ってたから。まあ僕は別に仏教徒でもクリスチャンでもなんでもないし、宗教何もないけれども、でも、もしかしたら非常に宗教的な人間なのかもしれませんよ、ある意味で。


それでも僕は、やはり音楽的な達成っていうか、人間が成した音楽的な達成という意味ではやっぱり、ヨーロッパ音楽が最高だと思いますね、僕は。例えばバッハの『マタイ受難曲』なんか聴くと、あれは本当に人間が音楽の上でした最高の仕事ではないかと思うけどね。あれは、たまたまバッハという人を通して何か大きな力が、神とは言わないけれど、何かやらしたような感じだね。人間を超えているような。

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マリオ・A 『カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』 (集英社)より

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MIKE BLOOMBERG - 報道の自由 LA LIBERTE DE LA PRESS

2005-04-14 01:19:24 | 自由人

少し前だったか、雑誌の発行差し止めから「個人のプライバシー保護か報道の自由か」という問題で大論争が巻き起こった。その喧騒の中いつも頭にあったのが、ニューヨーク市長マイク・ブルームバーグ (Mike Bloomberg) の以下の発言だった。アメリカに出張の折、飛行機の中で読んだ雑誌の中にあったもの。これだけ的確に問題の本質を突いた発言をした人はいただろうか。お金だけの人かと思っていたが、これ以来密かに尊敬している。


Speaking, as usual, without notes, he continued, “Oscar Wilde once said we are dominated by journalism. And that is both the good news and the bad news. The good news is that journalism is what keeps us a free society. If it wasn't for a free, aggressive, investigatory press, we really would have totalitarianism, and we should never forget that, no matter how many times we get annoyed with the press for intrusiveness, or whatever. And I do think sometimes, and this is my personal experience -- you have a right to ask, but the great thing about the First Amendment is I have a right not to answer. You have a right to write it; I have a right not to read it. And that was the way I got through my campaign. I basically said I wasn't going to read any of this stuff anymore, and it's amazing, if you don't read it, life goes on.” He concluded, “Anyways, congratulations to all of you.”

いつものようにメモなしで彼は続けた。

「オスカー・ワイルドはかつて、私たちはジャーナリズムに支配されていると言った。それはよいことでもあり、悪いことでもある。よい面は、ジャーナリズムなくして自由な社会はないということ。自由で、攻撃的で、しっかりとした調査に基づく報道がなければ、その先には全体主義が待っているだろう。どんなにプライバシーが侵され困ることがあろうとも、このことを絶対に忘れてはならない。

これは私の経験なのだが、君たち(ジャーナリスト)は聞く権利はあるが、合衆国憲法修正条項第一条(宗教の自由、表現の自由、請願権を謳っている)の素晴らしいところは、私には答えなくてもよい権利があること。君たちは書く権利があり、私には読まなくてもよい権利がある。これこそが今度の選挙戦を乗り切った秘訣であった。私は報道されているものをほとんど読まなくなったが、驚くべきことにそうするとすべてがうまく行った。」

そして彼はこう締めくくった。「とにかく、君たち(ジャーナリスト)に万歳。」

“The mogul mayor: Mike Bloomberg adds it all up”
(The New Yorker, April 22 & 29, 2002)

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埴谷 雄高

2005-04-13 19:06:04 | 自由人

埴谷雄高 (本名 般若豊、1909-1997)の本は読んだことがない。亡くなる少し前か、追悼番組だったか、自宅にテレビカメラが入って彼の考えと日常を垣間見ることができた。芯(肝)が座った、はきはきと熱を持って話す面白そうなオヤジというのが第一印象。若い時に監獄の壁を見て考えるところがあったようだ。以下は、数年前に読んだ本からの抜粋です。

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僕の仲間はね、「お前そんなことをやっても、できないよ」って言いますよ。「できないなら、できないで構わないよ」って僕は言いますよ。...芸術っていうのはみんなそうなんですよ。作品っていうものはですね、量で、10冊でいくら、100冊でいくらとか、それから印税はいくらというようにね、数で表現できるものなんですよ。...ところが、芸術っていうものは、質の問題で、数に還元できないばかりか、文学における象徴されたものは、本当を言えば、その人が読んで頭の中で感ずるだけで、他人に対しては示せなくなっちゃう。


これからはね、人間が人間として話をできるのは、芸術家だけですよ。社会的に偉そうな奴はみんな駄目ですよ。事務的なことしかしゃべれないから、人間と人間の話をしないですよ。芸術家は人間を考えているわけだから、男と女の話をする。芸術をやってる人、しかも苦労して人間のことを非常によく考えている人は、お互いに知識の交換みたいなことをするわけですよ。...芸術とは、公表してお互いに思うことを話し合うことなんですよ。何千年の歴史の中でね、芸術のいいところはね、くだらないことを書いても軽蔑しないこと。人間は神様じゃないからできない。...しかし全体として、自由業で生きてる者に悪い人間っていうのはいないですよ。というのは、自由を求めてる人だからね。満たされない魂を持ってる人だから(笑)。

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マリオ・A 『カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』 (集英社)より

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日々新た

2005-04-11 21:18:42 | 哲学

この何気ない、使い古された言葉。しかし、実際にそう感じて生きることが如何に難しいか。流されるのが人の常。継続の中で心安らかに生きたいと思うのが人の常。詩の世界に対する散文の世界か。農耕民族の性か。

昨日触れた内田光子のコンサートに対する態度は、今日しかない、全く新しい自分を求めるという激しさに溢れている。本人の言葉によれば、「演奏会は毎回、昨日がなかったように生きるわけです、明日もない。今日しかない。...だから演奏会は面白くてやめられない。」となる。今この時に生きるということは、非常に疲れる。ただ、ある期間に限ってしまえば、そういう生き方は可能だろう。全く異なった環境に身を置いた時など、知らず知らずのうちに全身の受容体が全開の状態になっているのを感じることがある。そういう生き方をもう一度してみたいものだ。そして新しい何かを発見できれば素晴らしいのだが、、

Le mieux serait d'écrire les événements au jour le jour. Tenir un journal pour y voir clair. Ne pas laisser échapper les nuances, les petits faits, même s'ils n’ont l'air de rien, et surtout les classer. Il faut dire comment je vois cette table, la rue, les gens, mon paquet de tabac, puisque c'est cela qui a changé. Il faut déterminer exactement l'étendue et la nature de ce changement. ----- « La Nausée » J-P Sartre

日々の出来事、どんなにつまらなそうに見えようとも、その日その時に集中してじっくり観察すること。そしてその見え方の変化を見極めること。それが大切だ、と言っているとすれば、「日々新らた」の真髄を表現していることになる。

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内田光子 - free woman - nomade?

2005-04-10 00:08:49 | 自由人

季刊誌「考える人」2005年春号が目に留まる。内田光子ロングインタビューを読む。以前から、存在感のある音楽家(単に「存在」と言い換えた方が良いかもしれない)だと思っていた。バレンボイムシカゴ響との競演の写真もうれしい。自分の世界を信じて、少しずつその世界を広げていっているうちに大家の仲間入りをするような人がいる。彼女もそういう一人だろう。これからさらに芸が広がり、深まっていくことは疑いがない。日本社会では、「こうあらねばならぬ、こうするべき、こうすべからず」という規範がある。違和感を感じているようだ。彼女の言葉の端々に、芸術家として大成しそうな予感を感じる。

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 金持ちであることなんて最終的には何の意味もない。贅沢なものを所有しなくたって、自分がやりたいと思うことを、やりたいようにやって生きていれば、他に何を望む必要がありますか?私は偉くはなりたくないの。人間って偉くなるとゴミがついちゃう人が多いんです。私はこれからも、学生にちょっと毛が生えたぐらいの感じで一生暮らして生きたい、と思っています。
 ロンドンで暮らしていると、それが可能なんです。日本に住んでいたら、なかなか難しいでしょう。なんだかんだと持ち上げられたり、引っぱり出されたりする。 ...
 私にとってロンドンに住むということは、自国であるような、ないようなところに住んでいる、ということなんです。だから余計に、必要以上に持ち上げられることはない。演奏会にも、本当に好きな人だけが来てくれるわけです。それだけで私は充分なの。それ以上のことに私は興味がないから。ロンドンに住むのは、そういう意味でも干渉されることがないし、快適なんです。

 生の演奏は、どんなに危険が多くても、これほど面白いものはないと思います。レコーディングは手先のものが入ってくることがあるんです。グレン・グールドはさらにその先に行って、切ったり繋げたりしてやっていたわけですけど、私にはその楽しみはいらないんです。私から言わせれば、それほどは自分が大事じゃないから。もちろんグールドはそんな細かいことも超えて凄いものがあった人です。だけれども、私はそういう意味では自我はさほど強くない。やっぱり生の演奏で、音楽を分かち合う瞬間が一番なんです。

 2007年の5月までは、クリーブランド管弦楽団と五年間にわたって継続している演奏会が私の中心にあります。それは私の振り弾きによるモーツアルト・ピアノ協奏曲の全曲演奏です。 ...去年のシカゴ交響楽団との場合は、指揮者が突然キャンセルになって、やっぱりモーツアルトの振り弾きをやることになったんですけど、これは偶然の出来事。でもこれがきっかけとなって、将来的にはシカゴ交響楽団との振り弾きもレギュラーになるかも知れません。

 ...休むと言っても演奏会をやらないだけで、ずっと勉強ですよ、楽譜を読みます。それから読書。 ...
 ドストエフスキーはウィーンに移った後で読んでますから全部ドイツ語版です。私には「カラマーゾフの兄弟」よりも「白痴」の方が語りかけてくるものがありますよね。何度も読み返した本で言えば、ゲーテの「ファウスト」、シェイクスピアのすべて、ですね。

 私をウィーン国立音楽大学に連れて行ったのは、教育が好きだったということに過ぎなかったと思いますね。音楽家になんぞ、なってほしくはなかったと思う。ピアノを上手に弾けて、日本人の誰ぞと結婚して、ピアノを教えて、一年に一回ぐらいリサイタルを開く。それを見て「うちの娘はようやっとる」と、そういうのが理想だったんじゃないかと思います。大人になったとき、ある日、親はそう思っていたんだろうとわかったの。そういう意味で、私は親の夢を破った人ですね。

 父のことで言えば、私の心に残っていることがひとつあります。父が亡くなる一年ぐらい前のことです。
...(娘の活躍を家人から聞くのを楽しみにしていた体調の悪い父親に演奏会に来てもらうように頼み込む。) ...
 演奏会が終わって、帰りのタクシーのなかで、母に父は言ったそうです。「何であの人が我々の娘なんだろう」って。母が「何で?どうしてですか?」って聞くと、また、「何であの人が我々の娘なんだろう」って繰り返したそうです。これが、父が聞いてくれた最後の演奏会でした。

   ***********************

自分の意思を貫くことは素晴らしい。ただ、その過程で妥協を許さないほど真剣に突き詰めると、そこにある種の tristesse が付き纏うことになるのだろうか。

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市俄古 - Qu'est-ce que c'est?

2005-04-09 00:15:46 | 

倫敦(ロンドン)
巴里(パリ)
伯林(ベルリン)
維納(ウイーン)
寿府(ジュネーブ)
馬耳塞(マルセイユ)
羅馬(ローマ)
雅典(アテネ)
莫斯科(モスクワ)
彼得堡(ペテルブルグ)
剣橋(ケンブリッジ)
牛津(オックスフォード)

星港(シンガポール)

紐育(ニューヨーク)
桑港(サンフランシスコ)
羅府(ロサンゼルス)
聖林(ハリウッド)
華府(ワシントン)

そして、「市俄古」。

味もなければ、詩情もない。もっとしっくりくる字がありそうだが。ショルティが住みたがらなかったのもわかろうというもの。これまで日本の文人との関わりが少なかったからだろうか。例えば、「シカゴ」に対応する漢字をそれぞれ3つ選んで組合せてみると、

シ: 詩 思 紫
カ: 香 華 佳
ゴ: 湖 瑚 醐 (ミシガン湖は街の一部)

「詩佳醐」 「思香瑚」....

どれをとっても「市俄古」よりは趣があるように感じるのだが、、

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エディット・ピアフ Edith Piaf

2005-04-08 00:22:45 | MUSIQUE、JAZZ

フランス語を始めた2001年、京都に出張した時、フランス語の教科書「フランス語最短コース Voie Express」 (4 CDs付) (白水社) を見つけ、その年の後半よく聞いた。ある状況で使える多様な表現がコンパクトに詰っているので、使い勝手が良く、なかなかいい本だと思った。お推めの本として余り取り上げられていないようだが、私には合っていた。好きな本のひとつである。

このCDを聞いている時に、ある発見をした。この本では「コーヒーブレーク」として途中にシャンソンを入れている。ある日何気なくCDを流していると、やや嗄れている(elle a une voix enrouée/éraillée/rauque) が、太くて力強く、人生を感じさせる声の持ち主が「何の悔いもない (Non, je ne regrette rien)」と歌う声が突然耳に入ってきたのだ。すぐに引き込まれた。エディット・ピアフ (Edith Piaf, 1915-1963) だった。彼女の名前は知っていたが、興味が湧かず真面目に聞いたことがなかったのだ。

この経験以来、彼女のベストアルバムを仕入れて、若手の女性歌手と一緒に車の中で聞いている。どの曲も人を引き付ける魅力があり、しかも人を奮い立たせる力に溢れている。世界中に多くのファンを獲得したのにはそれなりの訳があったのだと、その秘密の一部を理解できたような気がした。今まで意にもかけなかったものが、ある日突然重要な意味を持ってくるという経験は格別である。

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外国語上達法

2005-04-07 20:13:50 | フランス語学習

最近、フランス語を勉強しようという感覚がなくなってきている。外国語の学習法にはもともと興味はないのだが、先日、本屋で岩波新書「外国語上達法」(千野栄一著)を見つけ読み始めると、書いてあることが自分の考えと余りにも一致しているので、あっという間に読み終える。覚えているところを要約すると、読み書き話ができるようになるには3-5年かかる、何のために勉強するのかをはっきりさせること。時に10-20という多くの言葉ができるという人がいるが、ほとんどの人は文法構造がわかり、辞書を使って対処できる程度で、簡単な会話を交わすくらいだろう。一般的には不可能だと考えた方がよく、あるレベルを維持していくために相当な時間と努力が要求され、それが目的化してしまう危険がある。しかもそれに見合ったものは得られないのではないかという。英語とあと一つくらいをしっかり(!)身に付けるだけで十分だろうという(それも難しいのだが)。一つの言葉をマスターしていると、次の言葉の習得は、その過程を想像することができるのでより容易になる、などなど。

結局のところ、外国語習得の近道はない。私の場合は、自らを赤子にして聞くことから始めた。わからなくても気にせずに、とにかく4年間を自分に与えた。最初の年に文法書も買ったが、全く読む気にもならず(「楽しむために始めたのだ!」)。名詞、形容詞の性などどうやって覚えるのか、さらに動詞の変化までも。ただ、一番最初の出会いとなった例のカセット (avril 2002) を聞いていると、言葉の並びや語尾変化に特徴があることには気づいてきた。しかしそれを使うことはなかなかできない。ある程度認識はできるが、自分の口がうまく動かずもどかしい思いの繰り返し。仏検3級が終わった頃、その上の対策本に目を通した時、どうしてこれがわかるようになるのか不思議でしかたなかったが、浴び続けていると何となくわかるようになってきた。そういう意味で、最初にある期間を決め、焦らずにフランス的なるものに触れ続けるというやり方は自分には合っていたようだ。これからも地道な触れ合いが必要になりそうだ。

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赤ゲットの佛蘭西旅行

2005-04-06 21:39:59 | 映画・イメージ

音楽を眼で見るということが出来るなら、それはフランスの田園風景を見た時でしょう。丘のまろい線が伸び切った所に、それを支えるようにポプラの林があり、林の色合いは次の牧場と見事に調和しています。一軒の家の配置も、ふしぎなほど、その風景の強点となり、それが欠ければ全ての秩序が空しくなると思われるほどです。もちろん、それはあらかじめ考えられて設計されたものではない。しかし、事実がそうならば、フランス人の持つ美的本能が知らず知らずに、自然をそのように変形したに違いありません。そういう所に文化というものがあるに違いない。「だが」 とぼくはもう一度考えました。「あまりにも、これは完成されすぎているもの。一つでも釘をゆるめれば、全ての秩序がこわされるほど完成されつくしているもの…」 そこに、ぼくには何か、フランスの今後の悲劇があるかのように思われました。

七月×日
七月十四日のパリ祭の夜はルーアンは雨ふりたれば、夜の野外ダンスは本日まで延ばされたり。夜食後、ギイと二人で、街に出かけるに辻々には、提灯など美しく飾り、手風琴(アコーディオン)ならして、皆ダンスに興じおる。老人や老婆まで一杯きこしめし、いかにも嬉しげな顔にて、おどりおるもさすがフランスなり。この国は人間が人生を、しみじみと楽しく味わう国なり。老人であろうと老婆であろうと、ダンスをしても誰も笑うものなし。余はそれを見つつ、胸の熱くなるほど、嬉しくなりたり。


    遠藤周作「ルーアンの丘」より

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高齢 - Activite (II)

2005-04-05 20:35:00 | 年齢とヴィヴァシテ

高齢でマスコミを賑わしている人に瀬戸内寂聴と日野原重明氏がいる。彼らの「いのち、生ききる」は読んだことがある。人のことは気にしないで、自分の興味をとことん突き詰めている、エネルギッシュだ、しかも社会との接点を失っていない、好きなことを彼らのようにできれば幸せなことだろう。先日、日野原氏が面白いことを言っていた。「なぜ長生きしなければならないのか?それは、それまでに犯した罪を償うためなのだ。」と。私なりにパラフレーズすれば、真っ当な人間になるためには、まだまだ修行が足りないから、ということになる。

そのためには、私の場合できるだけ現役でいることがどうしても必要条件になる。こればかりは、本当に運・相手任せでどうなるか全くわからないが、。これまでの経験では深慮して行き先を決めたことは一度もなく、より危険に満ちていそうな方をえいやっー、と選んできた。あとは必死にやるだけ。やった後で初めて、自分とはこういう人間だったのかと埋もれていた自分を発見できることを知った。苦しい時もあるが、黙って考えているよりはよっぽど有効な自分の知らない自分に出会うことができる方法なのだ。そしてその積み重ねが私にとっては大きな財産になっている。

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ゲオルグ・ショルティ - シカゴ妄想 (IV)

2005-04-03 17:31:28 | 自由人
(Solti on Solti 続き)

Chicago の章を読見直してみた。まずトランペットの名手 Adolph Herseth の名前が目に入る。éminence grise として出ている。彼の名前は、オーケストラでトランペットをやっていた学生時代を懐かしさとともに呼び起こしてくれた。フィラデルフィア、シカゴ、クリーブランドのブラスセクションによる当時名盤といわれたジョバンニ・ガブリエリ (Giovanni Gabrieli) のレコードを通して知ることになったのだ。素晴らしい演奏で、その甘さと張りのある響きの先には無限の未来が広がっているように感じたものだ。今アマゾンにある抜粋を聞きながら書いているところ。

トランペットといえば、フィラデルフィアのトップとも居酒屋に行ったことがあるし、ニューヨークフィルのトップをやっていた Vacchiano さんとも呑みに出たことを思い出す。

ショルティが行った当時(1969年)のシカゴの街は「眠れる森の美女」という感じであったという。しかし翌年に、John Hancock Center が建ち、以後次々にビルが聳えて行ったようだ。シカゴ饗(CSO)も同様で、着任時はモラルも低くどうなるかという感じであったらしい。最初は3年契約終了後別のところに行こうと考えていたようだが、終わってみれば22年にわたるCSOとの共同作業。愛着もひとしおだろう。

CSOの歴代指揮者の懐かしい名前が出てくる。アルツール・ロジンスキー (Artur Rodzinski)ラファエル・クーベリック (Rafael Kubelik)フリッツ・ライナー (Fritz Reiner)ジャン・マルティノン (Jean Martinon)。この中ではライナーが長かったらしいが、困ったことにしょっちゅう首切りをやっていたらしい。ショルイティが来た時には、団員が解雇を恐れていたらしい。やがて団員との信頼関係も確固たるものになり、彼が去る時には世界一のアンサンブルと自負できるところまで仕上げてしまった。

しかしシカゴに対する彼の思いは、どこか距離があるようだ。中に入っていくというよりは遠くから眺めているといった風情である。22年のほとんどをホテル暮らしで通し、住むことは一度もなく、公演が終わるとすぐにヨーロッパに戻るという関係だったようだ。それは死亡記事にも触れられている。

20年以上前に、彼のCSOをカーネギーホールで一度だけ聞いたような記憶があるが、確実ではない。ロリン・マゼールのクリーブランド饗だったかもしれない。近い将来、CSOをまた聞いてみたいものである。

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パリのジャズマン

2005-04-02 23:18:12 | MUSIQUE、JAZZ

久しぶりに花粉を縫ってジャズを聴きに行く。今夜は女性のピアノのトリオ。現代のピアニストのナンバーを中心に5-6曲。聞いていると、昔聞いたような旋律に出会う。それに触れているだけで生きている価値があると感じるような曲。細かいことはさておき、とにかく生きている喜びを持ってきてくれるようなちょっとしたメロディー。ワインの影響か。

ジャズクラブでいつも感じることにひとつは、街で会っても気が付かないような人が突然ジャズを弾き始めると、そこには摩訶不思議な空間が醸し出される、彼らの手にかかると特別な空間が創造される。ひょっとするとかれらは天才か。芸術家の力を評価したくなる。真面目に言えば、この社会のいろいろの局面はこういうプロの集まりによって埋められているのだろう。いずれにせよ artisanal (これも好きなフランス語のひとつなのだ)な力のなせる技だ。久しぶりにアメリカの音楽に浸ってきた。帰りには、Ray Charles の最後のデュエットCD (Genius Loves Company) を聞きながら歩いて帰ってきた。音楽もフランスにシフトしていたので、非常に新鮮であった。

去年の年末、同じジャズクラブでちょっとした出会いがあった。イスラエルから20歳でパリに出てきた現在29歳のベーシスト、それから奥さんが日本人だというパリジャンのドラマー batteur (LB)の演奏を聴く機会があった。LB の奥さんが私を見て曰く、「あなたはフランスっぽい!」。翌日もやるというので、ニ連チャン。LBと entracte に話をする。是非パリに来いという。この夏に行く計画があると伝えると、「待っている、パリにアパートを買うなら早い方がいい、、」「日本女性は、、」などなど。本音の話が沢山出た。その後、メールも届いた。

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Cher Monsieur,

Je vous souhaite une tres bonne année 2005 avec pleine de joie et de bonheur!!
Nous sommes rentré à Paris il y a 2 jours et tout se passe pour le mieux.
Je reste impatient de vous revoir..
On vous attends a Paris !!! Les terrasses, les jolies parisiennes, les petites rues ensoleillees...
Il me tarde de discuter avec vous tout en ecoutant du jazz.

Bien à vous.
Dans l'attente de vous lire.

LB
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この夏が楽しみである。

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節目 - Vivacite

2005-04-01 22:27:25 | Qui suis-je

桜も開花し、春の気配を増している今日この頃。4月1日は、やはり一年の大きな節目。季節の変わり目だけでなく、何か新しいものが生れ来るという予感を感じさせる。実際に古い人に代わって新しい人の顔を見ると、なぜかワクワクするものを感じる。新陳代謝は生命にとって不可欠なものなのだろう。

人間、生き生きと生きる(= "vivacité" ヴィヴァシテを維持する)ためには、人生の中に節目を意識的に作ることがポイントのような気がする。私の場合、学生を終えてから、2年、5年、5年、16年と場所を変えてきたが、それぞれの時期の後半には先が見えない(あるいは緊張感を持ってやっていけない)という状況になっている。今のところは長いが、これも 10 年目に住まいを変えることによって、全く新しい視点を得ることができた。意外な、貴重な経験になった。それからもう 6 年が過ぎようとしている。新たな節目はできるのだろうか。

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