フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

埴谷 雄高

2005-04-13 19:06:04 | 自由人

埴谷雄高 (本名 般若豊、1909-1997)の本は読んだことがない。亡くなる少し前か、追悼番組だったか、自宅にテレビカメラが入って彼の考えと日常を垣間見ることができた。芯(肝)が座った、はきはきと熱を持って話す面白そうなオヤジというのが第一印象。若い時に監獄の壁を見て考えるところがあったようだ。以下は、数年前に読んだ本からの抜粋です。

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僕の仲間はね、「お前そんなことをやっても、できないよ」って言いますよ。「できないなら、できないで構わないよ」って僕は言いますよ。...芸術っていうのはみんなそうなんですよ。作品っていうものはですね、量で、10冊でいくら、100冊でいくらとか、それから印税はいくらというようにね、数で表現できるものなんですよ。...ところが、芸術っていうものは、質の問題で、数に還元できないばかりか、文学における象徴されたものは、本当を言えば、その人が読んで頭の中で感ずるだけで、他人に対しては示せなくなっちゃう。


これからはね、人間が人間として話をできるのは、芸術家だけですよ。社会的に偉そうな奴はみんな駄目ですよ。事務的なことしかしゃべれないから、人間と人間の話をしないですよ。芸術家は人間を考えているわけだから、男と女の話をする。芸術をやってる人、しかも苦労して人間のことを非常によく考えている人は、お互いに知識の交換みたいなことをするわけですよ。...芸術とは、公表してお互いに思うことを話し合うことなんですよ。何千年の歴史の中でね、芸術のいいところはね、くだらないことを書いても軽蔑しないこと。人間は神様じゃないからできない。...しかし全体として、自由業で生きてる者に悪い人間っていうのはいないですよ。というのは、自由を求めてる人だからね。満たされない魂を持ってる人だから(笑)。

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マリオ・A 『カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』 (集英社)より

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