○ Charlie Chaplin. can you hear me? 光と,魂の翼。心やさしい世界。

2012-05-04 09:44:21 | ♪ One Short Talk




05/04/2012. Sir Charles Spencer "Charlie" Chaplin

 チャップリンとヒトラーは、誕生日がたったの4日違い。
 チャップリンが 04/16/1889。
 ヒトラーが 04/20/1889。
 二人とも世界的に有名になりましたが、
 陰と陽、光と闇のごとく、対照的な人生を歩みました。

 伝え聞くところによると、
 ヒトラーはチャップリンの人気にあやかるために
 四角い口髭をはやしたとか。
 真偽のほどは確かではないのですが、
 まあ、ありえなくない話でもありますね。

 チャップリンはトーキー映画時代に突入してからも
 サイレント映画を撮り続けていました。サイレント映画のほうが好みだったんでしょうね。
 しかし、ヒトラーの暴挙を垣間見、映画化することになったとき、
 あれほどこだわっていたサイレント映画ではなく、
 トーキー映画に転向したのです。
 演説を得意としたヒトラーに対抗するには
 トーキー映画しかないと判断したのでしょう。
 『独裁者』(The Great Dictator)はチャップリンにとって
 初のトーキー映画となりました。


 この映画の見どころは、なんといってもラストの演説のシーンです。
 初のトーキー映画で、チャップリンの肉声で、
 映画を通して、世界中の人々に訴えかけたのです。
 時代も、まさにヒトラーがやみくもに猛威をふるい、
 第二次世界大戦が開戦し、混乱を極めていたときです。
 そんな中、ヒトラーを笑い者にし、自分の言葉で批判するなんて、
 どんなに勇気のいることだったのでしょうか。

 本物のコメディアンは、権力者を笑い者にし、批判できる能力を持っています。
 「王様は裸だ!」と指摘できるのは、昔から道化(fool, clown)だけでした。
 シェイクスピアの戯曲でもそれを見ることが出来ますよね。
一般人が権力者を批判すると即牢獄です。本物のコメディアンは fool しても無事でした。


 一応ちょっとだけ最後のシーンの背景を言っておくと・・・・・・
 チャップリンは、この映画で二役演じています。
 ヒトラー的人物、ヒンケルと
 ユダヤ人の床屋、チャーリーです。
 最後のシーンでは、このユダヤ人の床屋さん、
 ヒンケルの側近たちにヒンケルだと間違われてしまったのです。似てるからね。

 「いや、違うし。オレ、ユダヤ人だし。」
 と言ったら、まあヤバいことになるのは目に見えているので、
 ヒンケルのふりをしますが、
 なんと、多くの兵士の前でスピーチをしなくてはいけないはめに!
 と言うことで、ユダヤ人の床屋、チャーリーは皆の前で演説をしました・・・。






 この映画が作られてから70年たった今でも、
 全く色褪せていない。現代の私たちにも訴えかけてくるメッセージです。
 
 そうそう、
 当時、日本はドイツと同盟を組んでいたので、
 当然日本での公開は禁止されていました。
 日本で公開できるようになったのは、映画が製作された20年後
 1960年のことでした。




gentile: (ユダヤ人にとっての)異邦人 → キリスト教徒
この映画は1939年1月1日から制作が開始され、
1939年9月9日~1940年10月2日まで撮影が行われました。
プレミア公開が1940年10月15日でした。

なぜ年号にこだわったかというと・・・・・・

①もうまさにヒトラーが勢力を拡大させている時期
 であることの再確認したかったから。

 
 1938年3月:オーストリア併合
 1939年3月:チェコスロバキア併合
 1939年9月1日:ポーランド侵攻
   ↑
 1939年9月3日:第二次世界大戦開戦
 このように、ヒトラーがポーランド侵攻し、
 第二次世界大戦への拡大していった1939年9月に
 チャップリンはこの映画『独裁者』の撮影を開始したのです。

②アメリカ国内で、黒人が公民権を得たのは1963年。
 60年代ですら、南部ではレストランや公共の乗り物に黒人専用の席があるなど、
 まだまだバリバリ黒人差別が激しかったのです。
 なので、「黒人を助けたい」というこのセリフは、
 現在以上に重みのある勇気ある言葉だということを伝えたかったのです。

The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way. Greed has poisoned men's souls - has barricaded the world with hate - has goose-stepped us into misery and bloodshed. We have developed speed, but we have shut ourselves in.

人は美しく自由に生きられるはずなのに、私たちは道を失ってしまった。貪欲が人の魂を毒し、憎しみをこめて世界をバリケードで封鎖してしまったのだ。貪欲が私たちを悲劇と殺戮へと軍隊歩調で追いやったのだ。私たち人間はスピードを開発してきたが、自分自身を閉じ込める結果となってしまった。


goose-stepped: ひざを曲げずに脚を高く上げる行進歩調のこと。第二次世界大戦中のドイツ兵の行進に見られた。また皆さんもご存知のように今も、北朝鮮の軍隊がこの goose-stepped をやっています。

動詞として使う場合、自動詞(vi)の使用例しか
辞書では掲載されていないのですが、
ここでは他動詞(vt)として使われていますね。
まあ、intoは変化を表す前置詞、ということを考えると、
「私たち」を「悲劇と殺戮」へと追いやった、ということなのでしょうね。

 ← goose-step

Greed: 貪欲

「もっと権力が欲しい」「もっと広大な土地が欲しい」「もっと・・・」とか、
「ここは私の土地だ。入ってくるな。」「そこも私の土地だ」というように、
飽くなき欲が諸悪の根源だ、ということを言いたいのですね。

We have developed speed, but we have shut ourselves in. 
私たち人間はスピードを開発してきたが、
自分自身を閉じ込める結果となってしまった。
例えば、産業革命により、物を生産するスピードは格段に速くなっていきました。
ベルドコンベアーかなんかでね、大量生産すると、
あっという間に物が出来ちゃう。
一つ一つ丁寧に、一人で作っていたころに比べれば、
時間が随分かからないですむ。

でも。
そのために、人間は孤独になってしまったのではないでしょうか。
人間は単なる大きな機械の一部。部品になってしまった。

電車に乗って通勤すると、
皆が黙々と電車に乗り込んだり、
エスカレーターを歩いていたり、
マニュアルに書かれている言葉で(自分の考えた言葉でなく)
駅員がアナウンスしている姿を見かけたりします。
そこには人間同士の心の触れ合いがありません。

現代社会はスピードを開発したおかげで「効率」は良くなったのかもしれませんが、
より孤独を感じてしまうような環境に変えてしまった、と言えるかもしれません。





Hannah, can you hear me? Wherever you are, look up Hannah. The clouds are lifting! The sun is breaking through! We are coming out of the darkness into the light. We are coming into a new world - a kindlier world, where men will rise above their hate, their greed and their brutality. Look up, Hannah!

ハンナ、聴こえるかい?君がどこへいようと、ほら見上げてごらん、ハンナ。雲が消えて、太陽の光が差し込んできただろう?僕たちは暗闇から抜け出て、光のなかへいくんだ。新しい世界に。心やさしい世界に。憎しみも強欲も残忍もないそんな世界に。だから見上げてごらん、ハンナ。


ハンナとは、映画のなかでは、床屋のユダヤ人の恋人のことです。

このヒロイン役のハンナの名前ですが、
チャップリンの母親の名前もハンナでした。
この映画撮影は1939年から開始されましたが、
この10年前、1929年にチャップリンの最愛の母は亡くなりました。

The soul of man has been given wings and at last he is beginning to fly. He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future, the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us. Look up, Hannah... look up!

人間の魂には翼が与えられていたんだ。そしてついに人間は飛び始めたんだよ。虹に向かって。希望のに向かって。未来に向かって。輝かしい未来に向かって。君や僕、みんながそこで暮らすんだ。だから見上げてごらん、ハンナ、見上げてごらんよ。






 ああ、もうひとつだけ付け加えさせてください。
 この演説の最初と最後に流れる音楽は
 ヒトラーが愛したワーグナーの『ローエングリン序曲』です。
 この映画のなかで、ヒトラー的人物ヒンケルが
 地球儀の風船で遊ぶシーンでも、この曲が使われているんです。
 
 ヒトラーが地球をもてあそんでいることを暗示するシーンのあと、
 最後の演説で同じ曲を使用したことに、
 チャップリンの思いがこめられているような気がします。
 つまり、美しき地球=世界を、独裁者の手ではなく民衆の手に返そう、という思い。
 



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