◯ While i go to Narita. 成田に行く途中で

2017-12-02 21:39:37 | ♪ One Short Talk

2017-12-02 21:39:37

三河島事故とは【死者160人、負傷者296人】

win-win

この記事をまとめたのは

win-winさん
未承認
新築戸建 生麦エリア
京急本線の不動産情報なら新築一戸建て購入情報はコチラ
suumo.jp/d077296052/

三河島事故

三河島事故(みかわしまじこ)は、1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。「国鉄戦後五大事故」の一つ。

出典三河島事故 - Wikipedia

画像

出典blogs.c.yimg.jp

三河島事故【死者160人、負傷者296人】

三河島事故【死者160人、負傷者296人】

事故概要

常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り第287貨物列車(D51 364牽引、45両編成)が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車と次位のタンク車(タキ50044)が下り本線上に飛び出した。
その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り第2117H電車(6両編成)が下り本線を塞いでいたタキ50044に衝突。先頭車(クモハ60005)と2両目の車両(クハ79396)が脱線し、上り本線上に飛び出した。

さらに約7分後、その現場に上野行きの上り第2000H電車(9両編成)が進入し、線路上に降りて移動中だった2117Hの乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた2117Hの先頭車と衝突した。これにより2117Hの先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り2000Hは先頭車(クハニ67007)が原形を留めず粉砕され、2両目(モハ72549)は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目(サハ17301)も築堤下に転落、4両目(モハ72635)が脱線した。

結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E6%95%85

画像

出典upload.wikimedia.org

三河島事故【死者160人、負傷者296人】

発生日1962年(昭和37年)5月3日
発生時刻21時37分頃(JST)

事故発生状況

事故が発生した当日は、早朝に東北地方で発生した地震と、東北本線古河駅で発生した脱線事故の影響で、常磐線のダイヤが乱れており、夜になってもわずかながらダイヤの乱れの影響が残っていた。定刻では、287列車は通常では三河島駅を通過してそのまま下り本線に入るが、下りの取手行2117Hが上野駅出発の時点で2分30秒ほど遅れていたため、三河島駅で2117Hを待避することになった。

しかし、機関士は三河島駅の場内信号機の黄信号にもかかわらず駅構内へ進入し、出発信号機の赤信号に気付きあわてて非常ブレーキを作動させたものの、減速が間に合わず安全側線に進入し、下り本線を支障する形で脱線した。

ちょうどそのころ、2117Hは三河島駅での客扱いを終えて発車し、脱線した現場に差し掛かるところであった。運転士は緊急制動処置を行ったが、間に合わずに機関車に接触、上り線を支障する形で脱線した。

この時点では、2117Hは脱線こそしたものの、大きな怪我を負った乗客はいなかった。しかし、1〜2両目の車両については、パンタグラフが架線から外れた結果停電となり、乗客は桜木町事故(1951年)の教訓をもとに分かりやすく整備された非常用ドアコックを操作して列車外へ避難していた。また6両目に乗車していた車掌は、運転士と連絡するために車内電話を操作したが応答がなかったので、車外に出て連絡を図ろうとしていた。

一方、現場近くの三河島駅信号扱所の係員は、事故発生を受けて下り本線の信号を赤に切り替えた上で三河島駅の助役に事故発生を連絡し、助役は常磐線の運転指令に事故発生を通知した。助役は関係箇所に事故発生を通知し、下り線の後続列車の運行を停止させたが、この時点では支障状況が確認されていなかった上り線へは、事故発生通知のみ行った。

一方、取手発上野行の2000Hは、地震の影響で定刻より約2分ほど遅れて南千住駅を発車しようとしていた。同じころ、南千住駅の信号扱所では、三河島駅信号扱所からの上り線支障の電話連絡を受けて、発車信号を赤に変えようとしたが、2000Hは信号扱所の前を通過している最中であり、もはや止める手はなかった。2000Hの運転士は、事故発生を知らずに運転を続け、事故現場の近くに接近したところで、線路上を南千住方向に歩く乗客を確認し、非常ブレーキを掛けたが間に合わず、乗客をはねながら、2117Hの1両目に激突した。

2000Hは、先頭車(クハニ67007)が粉砕し、2両目以降は高架下の倉庫に転落して大破した。また2117Hの1両目と2両目も、原形を留めない状態となった。この結果、線路を歩いていてはねられた2117Hの乗客と、2000Hの乗客と運転士の合計160名が死亡する大惨事となってしまった。
死傷者には、脱線した2000Hから外に出ようとして、高架下に転落した者もあったという。

 

 

 

 While i go to Narita.i feel...

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿