パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

思い出したこと

2019年02月01日 | おもいで
2月1日(金)晴れ

昨日、ブログ書きながら昔のこと色々思い出していた。
そして、大して好きでもなかった先生なのに妙に覚えていることとかあって、先生というのは良くも悪しくも柔らかい脳に影響を与えるんだなあと。
で、ここで改めて先生のことを思い出してみると・・・
大して影響を受けた先生はいないというのが結論。なんじゃそりゃ。
でも、昨日も思ったことだけど、先生の好き嫌い関係なく、それでも影響力はある人なんだから聖職なのだと思う。
心して「なりたい」と思って欲しいし、そういう人に「なって」欲しい。

小学校からの幼馴染かこちゃんは、小学五年の担任O先生が、転校生の結花ちゃんの名前を褒めちぎった。
「花を結ぶと書いて・・・云々」(←なんか綺麗な話だったが失念)
15年後、かこちゃんは自分の娘に結花ちゃんと名付けた。
ワタクシ、同じクラスだったのにその話が全く記憶にない。
O先生といえば、同じ学年に息子がいて、さらには年子の双子の弟がいて、O先生はガリガリなのに、この息子たちはものすごく大きくて、そっくりで、まるで三つ子みたいだねと言ったら、
O先生の近所に住む子が「先生の奥さんにそっくりなんだよ。おばさんだけど四つ子みたいだよ。」と言ったことしか覚えてない。

中二の時の社会のN田先生。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を授業の始まる前に唱和させるようなめんどくさい先生だったが、なんの拍子にか「うちの奥さんは夜寝る前にマダムジュジュを塗って・・・」と言ったのがミョーにおかしくていまだに覚えている。
思い出しついでに今度マツキヨでマダムジュジュ買って、「これだけ塗り」とやらをしてみようと思った次第。
ああ、14歳の頃のつるっつるぴっかぴかのお肌が、かっさかさしわっしわのお肌になるなんて、月日は残酷。

高校生になってからも、大して好きな先生もおらず、ただただ変な先生の変な話だけ思い出して、ああ早く帰省して先生の悪口大会を開催したい!
今年の目標は、「会いたい人に会う」

思い出ついでに・・・
20歳ごろの話。
悪友A美と大晦日に夜遊びした。当時流行ってたカラオケとディスコがごっちゃになったような居酒屋で。
二つくらい年下な男の子グループがいて、話をすると、我が県屈指の進学校出身のお友達グループ。
その中の一人がKuwata bandの「バンバンバン」を歌った。
すごく上手だったが、それ以上に
♪BAN BAN BAN
One day wearin' so many wears
So many chapeaux
And so many ties♪
の英語の歌詞が流れるように上手だった。歌もうまい上に英語もうまいのね〜と思った。
聞くに、その子は浪人生で、いやいやこの時期に遊んでて大丈夫か?と思ったが、頭良い子ならでは反骨精神だったり破天荒だったりなのかとも思った。
年が明け、このまま初詣行こうぜ〜〜〜とすぐ近くにある神社へぞろぞろと行った。
その子がおみくじを引いた。
大凶だった。
初めて見た。なんかちょっとだけ神様を信じた。

明日は姪っ子のお遊戯会。
自分の、色々不満だったり不本意だったりしたお遊戯会を思い出し、
結構花形的な、親の鼻高々的だった娘のお遊戯会を思い出し、人生ってうまくできてるわと、また神様の采配に感心したりする。
明日のティンカーベルが、楽しい思い出になって欲しいと思うおばちゃんである。

今日の一枚は・・・
生まれて初めて新幹線に乗って、東京へ家族旅行。
東京タワーのエレベーターの中で、赤鬼のようにデカイガイジンさんに「カワイイネ」と声を掛けられ固まるn5歳。
ガイジンさんが苦手になったのはそれからかもしれぬ。と、本日は終始思い出に浸っております。
コメント (2)
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