マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

「アメリカから読んだリクルート事件の深層」の四回目

2011年11月13日 15時37分43秒 | 古代史
そろそろ佳境に入ってきました。
今日で四回目です、明日ぐらいで終わるかな・・・。

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歴史の証言 リクルート疑惑(その3)
 雲散霧消のリクルート疑獄

 連日にわたるトピックスとして騒ぎ立てていたのに、一九八九年の五月末に検察庁が捜査打ち切り宣言をした途端に、日本人はリクルート疑獄について考えるのを忘れたらしく、疑獄事件はもはや存在しなかったように見えるほどだ。はっきりとした歴史的総括をするのが苦手で、すべてを「台風一過」のように考えて、同じパターンの疑獄の繰り返しが民族性を特徴づけているが、それにしても、今度は些かボケが過ぎていないだろうか。
 あれだけ悪質な政界の買収と疑獄が発覚して、金権に汚れた政治業の奢りに満ちた生態が、いかに虚飾に満ちたものかを露呈したのだから、汚染されていた自民党と政府の首脳だけでなく、それを支えていた腐食構造の全体を切開して、きちんと結末をつけてほしいものである。
 こうして戦後四十年続いてきた一党独裁が、権力者達だけにとって都合のよい、いたってインチキな支配機構にすぎないとわかったのに、残念なことに日本では東ドイツやハンガリーで起こっているような、政治の行き詰まりの根本的な大掃除は始まりそうもない。
 それは飽食に酔って感受性をマヒした国民と、記者クラブ制の安易な取材態度に慣れた、日本のマスコミ界の弛んだ社会主義者への感覚が、リクルート事件の追及を中途半端なものにしたからだ。しかも、日本国内での収賄事件として騒ぎ立てられた報道が、リクルート疑獄の一部分にすぎず、日本人は事件の本質と全体像について、余り知らされていないままだというのが実態と言えるのである。
 日本の書店にはリクルート事件を扱った単行本が並んでおり、その数は十指に余るほどだと言えるが、それらの全部を懸命になって読破しても。リクルート事件の始まりがはっきりする保証はなさそうだ。
 それはラスベガスのハマコー博打リベート事件が、賭博ツアー同行者にメディア関係者がいたために、うやむやになって深追いしなかった時と同じで、自己啓発する勇気のないマスコミ界と、戦後政治を情報操作と利権誘導で動かしてきた、日本の警察当局の体質が深くかかわっているからだ。特にリクルート事件は汚染がひどく、メディアの人間が株を買ってかなり利益を上げ、収賄の政治家と同じ立場にいるから、仲間を撃つ感じで筆が鈍るのかもしれない。
 新聞に公表されたリストを眺めても壮観であり、メディア関係の人間がずらりと並び、役職ともらった株数を比較してみると、所属していたメディアの悩みが伝わってくるし、疑惑追及の声が細くなるのもわかるような気がする。
 森田康 (日本経済新聞社長)
 丸山巌  (読売新聞副社長)
照井保臣 (フリージャーナリスト)
歌川令三 (毎日新聞編集局長)
丸山雅隆 (「財界」主幹)
村田博文 (「財界」編集長)

 利害が直接結びつかない民間人であるならば、株式の購入は何もやましいことではなく、貯蓄の一貫として認められるべきだと思う。また、仮に江副の古い友人でお祝いに株主になったというのなら、最低数の千株をご祝儀として現金購入したのであれば、日本は資本主義の国だから個人の自由だが、それでもジャーナリストには職業倫理が必要である以上は、軽率だったと言わざるを得ないだろう。責任の取り方はいろいろあるだろうが、ジャーナリストとしては失格だったことは疑いなく、同じことは政治家や役人にも言えるはずだ。昔から「李下に冠をたださず、瓜田に靴を入れず」というが、情報時代の現在は情報操作が行われるので、おおいに用心することが必要になるのである。

 情報操作とグレイ・ジャーナリズム

一九八九年春の日本では中曽根の証人喚問の実現を要求したが、応じない中曽根のために国会の審議が完全に停止し、世論も卑劣な「ミスター巨悪」の態度に怒りを示した時に、奇妙にも竹下や安倍の疑惑が各紙の一面を飾った。これは検察当局の捜査を告げる情報に対抗するために、警察庁や警視庁筋の公安情報のルートで、警察出身の自民党代議士の口を通じて、情報がタイミングよくリークされ、情報操作が試みられていたわかりやすい例だが、それを指摘したジャーナリストは皆無だった。
 警察や業界紙などが奇妙な情報を流して、特殊な目的を実現しようとするのはよくあるが、日本人の純朴さを逆用して意図的な捜査をしかねない点で、知能の高い権力者には注意が必要である。
 情報メディアを武器に使いゆすりやタカリを行う手口は、洋の東西や何時の時代でも存在しており、そのようなビジネスをシンポライズして、人はブラック・ジャーナリズムという言葉を作りだしている。補助金や協賛金を稼ぎ出すのを目当てにして、それが丸見えの提灯記事専門の業界紙から、恐喝まがいの醜聞のすっぱ抜きを専門にするものまで、様々なメディアが世の中に存在していて、あるひとにはそれが生活の糧になっていたりする。
 カリフォルニアの日系企業のトップと話すと、「最近の見返りは提灯記事や対談相手で、大分お手柔らかになりましたが、かつては広告を出さないと悪口を書かれるので、日系企業相手のビジネス・ニュースを謳った、ロスで出ているタブロイド版の新聞には、随分とお賽銭を払わされたものです。これもブラック・ジャーナリズムの海外進出でしょう」という話がよく話題になったものだが、この点で日本はメディア活用の技術では先進国に属しているのである。
 このテクニックをもっとスマートな形でビジネス化し、文化的な衣の中に情報をソフトに包み込み、特に日経連と経団連の強い支持を受けて、カルチュア・メディアとして財界と緊密に結んできたのがサンケイ新聞である。共産党員から戦後に転向した水野成夫を先陣にして、視聴率に命をかけた鹿内信隆流の院政は、財界切り込み隊長として一時代を画したが、同じ新聞メディアとしては『朝日』や『毎日』には比べようもなかった。また、急進撃の『日経』や『読売』にもはるかに遠く、ローカル・メディアの「東京・中日」や「TBS」グループの後塵を拝して、どうしてもサンケイは泥臭さを払拭し得なかったのは、日経連と富士銀行がスポンサーだった出征の秘密が関係している。
 それでも、この泥臭さは事件記者魂の育成に貢献し「日本の危険」(東明社刊)に紹介したように、かつて幹事長時代の中曽根が築地署管内で交通事故を起こし、ソ連大使館の情報官と同乗していたというスクープを行い、中曽根とKGBの関係を予想させるベタ記事を書く、骨っぽい社会部記者もサンケイ健在で、その辣腕記者ぶりが評判になったりもした。
 そのベタ記事には日本の政治高官と書いてあっただけだが、記事が出た後で新聞社に電話がかかり、政府高官とはいったいだれかと尋ねたので、電話の主にあなたはだれかと聞くと石田弘英と答えた。そこで担当記者につないで「中曽根幹事長だ」と返事をしたら、電話の向こうで「なるほど、中曽根なら分かった」と呟く声が聞こえたと教えてくれたのは、信頼できる私の読者の新聞記者だったので、中曽根という一面を示すエピソードである。
 いずれにしても、折から神風のように列島の上を吹きだした、経済活動を包んだ発展の追い風に乗って、広告料が急激に増大したという僥倖のおかげで、メディアのビジネスが拡大化したことも利いたにちがいない。サンケイ新聞を中核にしたこの情報グループは、リクルート社とは少し違った隙間産業の雄として、文化事業を中心にメディアの一角に地歩を築きあげ、フジ・サンケイグループがその頂点に君臨していた。

 強請のメディアと倒錯政治の時代

 時代が移って院政を敷いていた鹿内信隆に変わり、二代目の鹿内春雄がフジ・サンケイグループ議長として、銀座を舞台にして派手にふるまうようになっていたし、同じように隙間産業で成功していた江副浩正も、わが世の春で銀座で遊び歩く身分になっていた。ノエビア化粧品の大倉社長に招待された江副は、中曽根首相を取り巻く鬘愛好グループの仲間である、社会工学研究所の牛尾治朗社長などとともに、豪華クルーザーを使ったスワッピング付き沖縄旅行に参加したが、それが一九八五年十月二五日づけの週刊誌「フォーカス」にでたために、夫婦喧嘩や娘の家出などで家庭に波風が立ち、生活が非常に荒んでいた時のことでもある。銀座のあるクラブのママにまつわることで、隙間産業の両雄がなりふり構わず争った挙句、江副がこの時は勝者の立場を手に入れたので、鹿内議長は面目を失ったと考えて、密かに仁義なき戦いを挑むことにした。そして、配下の腕利きの事件記者に指令して、鬘をかぶって喜ぶ女装趣味を持ちそれを武器に中曽根首相に取り入ることに成功し政治部の舞台で派手に立ち回っていた江副の周辺を徹底的に洗ったのだそうである。こんな下世話テーマの問題を私が扱うのは感心しないのだが、ここにリクルート事件の発端があるらしいし、この喧嘩に関しては一九八七年の夏ごろの朝日新聞にもちょっとした記事が書いてあるそうだから、それを未確認のまま一応事件の概要を書くことにした。
 中曽根政権を包んでいる倒錯人脈は、「アメリカから日本の本を読む」(文芸春秋社刊)に書いてある通りで、実に淫靡(いんぴ)で凄まじい内容と人脈であり、そういった爛れた人間関係に属すものが、江副に対しての中曽根による特別の引きにある点は、知る人ぞ知る中曽根政治の恥部であった。それにしても、中曽根時代を特徴づけた倒錯政治は、スキャンダルとしては超一流とはいえ、余りに多くの政・財・官界の上層部が関与していたので、その暴露は日本の支配機構に打撃を与えて、体制を大崩壊させるインパクトを持つ。だから、財界のマスコミ抜刀隊長を引き継いだ鹿内議長としては、直接それを使うのはあまりにリスクが大きいので、どうしてもためらいの気分を感じたらしい。
 ちょうどそんな時に入ってきたのが一流クラスの情報であり、NTTにリクルート関係の未公開株が流れており、しかも、それが真藤NTT会長の稚児趣味との関係で、鹿内にとっては天敵のようになっている江副の重要な役割と関係する事実がわかった。この段階では誰もリクルート事件の存在を考えるはずがなく、今だ中曽根政権が派手な演技政治を行い、国を挙げて財テクと投機に熱中して、大国意識に陶酔していた時でもあったから、一攫千金が享楽的な時代精神になっていた。だから、ちょっとした出来心で始めた日遊びがそのまま燃え広がって大火事になってしまい、体制の天守閣延焼の危機に発展するとは思わずに、昭和の振袖火事が点火されたのである


  NTTをめぐるプリペイド・カードの隠れた秘密
  優れたルポライターとして多くのスクープを誇る歳川隆雄の「NTT事件の金脈と人脈」(アイペック刊)の中に。「真藤の『稚児』はNTT社内に二人、社外に三人いた。社内の二人は逮捕された長谷川寿彦、式場英の両元取締役。社外の『稚児』は江副のほかに二人。ベンチャービジネスの花形企業コスモ・エイティの碓井優社長と、件のゼネラルコースト・エンタープライズの熊取谷(いすたに)稔社長である」という記述があるが、これはリクルート疑獄の全体像をつかむうえで大変重要な意味を含んだ指摘である。
 ここを突破口にして事件の公判を追っていけば、検察当局での上層部の及び腰のために、不様な状態で一度取り逃がした巨悪安眠させずに、今度は取り押さえる決め手があるかもしれない。更には、前回は嫌疑をうまくのがれて胸をなでている多くの腐敗政治業者やその周辺に出没する悪徳人脈の一掃が可能になりそうである。
なぜならば、リクルート事件に続いて黒い煙が立ち上り、今度は自民党が居直っているパチンコ疑惑が、熊取谷の存在によって点が線に変わり、パチンコのプリペイドカードがらみで警察官僚出身の自民党議員に懐疑的打撃を与える天の授けた神風になるかもしれないからだ。なにしろ、「警官汚職」(角川書店刊)が明らかにしている通り、パチンコの主力のパチスロ業界は「日本電動式遊技機工業協同組合」という団体を作り、役員には警察庁の幹部OBがずらりと顔を並べているのである。
 
 理事長  元警視庁防犯部長
 専務理事 元山形県警本部長
 事務局長 元関東管区警察局外事課長
 事務次長 元警視庁王子署長
 技術部長 元四国管区警察局通信部長

元警察庁長官で悪名高い買収選挙で国会議員になり、中曽根改革や総務庁長官や幹事長を歴任したカミソリの異名で日本全土に睨みをきかせ、日本のアンドロポフ役を演じる後藤田正晴が、入閣前まではこの賭博機組合の顧問をしていた。
 なにしろ、一九七四年七月に行われた参議院の選挙では、警察庁長官を退官した後藤田は大量の選挙違反で、検挙者の数は二百五十人以上を数える凄まじさだった。その後に彼が公安委員長に就任しても同じであり、徳島の選挙区では激しい選挙違反が続き、泥棒が十手を預かるのと同じで示しがつかず、暴力団員から「自分の親分を取り締まれ」と嘲笑され、現場の警察官が歯ぎしりしたほどである。
 民間組織としての博徒は多くの場合が暴力団であり、制服を着た国営の暴力団が警察だから、暴力団と警察は根で繋がっているとよく言うが、警察の元高級官僚の選挙違反と同じで、警察という組織が潔白で正義の味方ではないということは、今後パチンコ疑惑の解明が進むことによって誰の目にもあきらかになるだろう。
 日本の社会では利権の根が深く張っており、しかも、国会議員の職業も利権化してしまい、二世議員と高級官僚の慰安所になりはてたが、これが現代日本を支配している悲しい現実である。そして、四十年近く続いた単独政権の弊害のために、利権化した政権に対しての姿勢が固定化すると、政府と政党の区別ができなくなってしまい、自民党員と同じような発想で党との一体感を持って、警察は自民党の安泰が国家の安泰だと考えている。
 いずれにしても、パチンコ業界は警察にとっての利権の場だがパチンコにプリペイドカードを導入した熊取谷は、真藤会長とくんだNTTのテレフォンカードの経験を生かして磁気カード事業のパイオニア役を果たしてきた。実際に、真藤の紹介で自民党の渡辺美智雄政調会長に接触した熊取谷は、大蔵省に働きかけた結果が成功して、大蔵省銀行局が都銀各行に協力を要請したのが功を奏し、日本カードシステム会社を発足させている。しかも、その出資社には都銀十三行のほかに政府系銀行と、NTTや日本たばこ産業などが名を連ね。渡辺蔵相時代にノンキャリアから印刷局長に抜擢された石井直一が初代社長に就任したのである。
 熊取谷はNTTの長谷川取締役の女性スキャンダルにも関与し、将来の社長候補のトップランナーだと言われていた長谷川が、トラブルでNTTを退任せざるを得なくなり、国際リクルート社に重役として転職した時に自民党の有力者や暴力団関係者に働きかける仲介役をした。また、真藤会長のもう一人の社内稚児と言われ、企業INSの布教師と呼ばれた式場取締役は、NTTの看板男という評判を駆使して荒稼ぎして、成田に一件と都内に二件のマンションを持つほど蓄財に励んでいたらしい。
 この時期のサンケイの鹿内議長にとっては、NTTの長谷川や式場などのスキャンダルよりも、リクルートの江副と結びついた真藤会長の方が獲物としての価値がより大きいと判断する理由があった。取締役という個人レベルの醜聞よりも、NTTという日本一の企業を相手にした方が、ビジネスとして有利な展開ができると読んだのである。


 夢工場というイベントの怪

  フジ・サンケイ・グループは大イベントを計画し、一九八七年の東京と大阪の会場を使って、劇団四季を主体にした「夢工場」という催し物を行った。その演出は江副と中曽根を鬘趣味で結びつけ、二人の会談に常に立ち会う浅利慶太であり、影のスポンサーは自民党の中曽根と金丸だと言われている。夢工場の公式ポスターはロスの山形画伯に依頼したが、それはヒロ山形として知られた画伯の絵を当時の皇太子夫人が非常に愛好しており、現に記念のオープニング・パーティーへ、美智子さんがお忍びで姿を見せたように、この企画はフジ・サンケイにとっては、スーパー級の人を動かせる大宣伝の機会だった。
 そして、このイベントをダシに使った鹿内は、NTTに五十億円の予算で参加することを迫り、もし、この申し入れが受け入れられない時には、リクルートの未公開株にまつわる不正行為について記事として公表する可能性をちらつかせたらしい。
 この話を聞いたNTTの真藤会長は非常に腹を立て、「わが社には警察庁のOBを十人以上も飼っているのに、こんな脅迫を始末できないとは何たること」と言って、警察OBを叱咤して鹿内議長の周辺を洗ったのだが、結局は、事を荒立てては勝ち目がないと判断して、四十億円に値切ってイベントに参加することにした。費用の内訳は広報予算から三十億円を出し、子会社から十億円を集めたと言われているが、火のない所に煙は立たないの譬えもあり、一九八九年五月の「週刊新潮」が事件の輪郭をレポートしている。
 だが、肝心なことは未だメディアの追及を得ておらず、夢工場プロジェクトには若山正敏という人物が関与し、どうも胡散臭い感じが付きまとうのである。しかも、彼は社長をしていた日本ダイレックス社の脱税事件で、東京地裁から一億三千万円の罰金と懲役二年六カ月の刑を執行猶予の形で一九八三年八月に言い渡されている。
 その上、この日本ダイレックス社はNTTの輸入代理店として、最終的にはリクルート社が引き取ることになった。莫大な数のモーデム(変復調装置)とTDM(時分割多量化装置)をNTTに納入しており、クレイ社のスーパーコンピュータよりも巨額の取引がNTTやリクルート社の間で実現している。
 その内容を証明するものとしては、一九八六年一月二七日にフロリダ州サンライス市の本社で、ブルックナー社長が記者会見した時に、「NTTがレイカル・ミルゴ社から二十億円を超す通信機器を導入することを決めた」と発表があり、それがモーデムの取引の一部を構成したのである。
 また、その後の時間の経過によって、サンケイ新聞の辣腕記者たちの運命が変わり、一人は中途採用方式で門とを開いた朝日新聞に入り、リクルート事件を掘り起こした川崎支局で大活躍をしている。しかも、神奈川県警では共産党幹部宅の盗聴事件が起こり、それを取材していた社会部記者に対して、矛先を変える目的で試みたと思われるが、捜査二課の警部が記者に向かって、「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が党著事件より大きなスキャンダルがものにできる」とリークしており、ここに何か警察の謀略のにおいが感じられる。リクルート事件がこれほどの大疑獄になるとは当人たちも予想しなかったのだろうが、政治の中枢にOBを大量に送りこむのに成功して、司法権を好き勝手に支配している警察官僚なら、奢りの気持ちに支配されたとしても不思議ではない。

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はい、お疲れ様。明日またね。