マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

「アメリカから読んだリクルート事件の深層」の三回目

2011年11月11日 16時05分05秒 | ひとりごと
結構長いものですな、たいした事はないと考え入力させたものの・・・、なかなか終わらない。
実は、この本「平成幕末のダイヤグノシス」は数年前にサムライさんからいただいたもので、確かに藤原氏はサムライさんが先生と呼ぶだけのことはあるなと感心したものである。それから数年、まさか今の政治体制を論じるに、この本のこの章が必要になるとは思わなかった。
それにしても政治と「ホモ?」・・・・、まったく世も末だ。

それでは今日の分です。

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警備警察が果たした特殊な任務

 五五年体制は安保事件の教訓で警備警察を充実したが、その典型は総務庁長官として官僚ににらみを利かせ、同時に、官房長官として内閣の手綱を取る後藤田正晴であり、彼は中曽根内閣の舵取り役を演じていた。後藤田は警察庁の長官から田中の用心棒になり、中曽根を助けるのではなく監視する目的で、ナビゲーター兼お目付役として送り込まれ、乱行にのめり込みがちな権力の体現者を、側面から巧妙に誘導しているのである。
 国家の番犬役としてかつて警察力を統括し、しかも、田中角栄の懐刀として監視役を果たした後藤田は、カミソリの鋭さで国政を切りまわしながら、田中が法廷闘争で忙しくしている間のお目付役の任務を託され、留守番家老として中曽根の長期政権を支えてきた。自己顕示欲が強くて大言壮語の弊害があるが、強者には無条件で追従する性格の中曽根は、弱みを威嚇できる扱いやすいタイプの権力者に属している。
 だから、弱みを握っている限りは操縦がしやすく、その手始めにしたのかどうかはわからないが、元内調の調査員だった外交官による情報だと、中曽根内閣が誕生する前の総裁選の段階で、内閣調査室にあった中曽根康弘のファイルが紛失していて、その資料は後藤田が握るところになったらしい。当然、中曽根についての全情報は目白台に届いており、弱みをすべて握っているつもりの田中角栄は、ロッキード事件を政治力で無罪にしうると安心していた。
 それに、後藤田機関と呼ばれる警察の情報網を使えば、中曽根についての珍聞奇聞が幾らでも集まったから、真夜中の事務所で鬘を前に悦に入る光景や、キャンパスだけでなく体に絵具をぬって、得意にシャンソンを口ずさむ報告を受けるたびに、目白台の大将はさぞ胸糞悪い思いした下に違いない。
 中曽根の最大の欠点は軽率な点であり、それを作家の平林たい子は「中曽根という人はカンナ屑のようにペラペラ燃えすぎる」と形容しているが、思いついたら突っ走って我慢が出来ないから、それを慌て者は中曽根の実行力と錯覚してしまうのである。
 後藤田にとって最も気がかりだったのは、中曽根の複雑で奇妙な交友関係であり、友達との付き合いになると前後の弁えが無くなるから、首相好みの餅肌秘書官を牽制するために、警官から選び抜いた屈強な人間を張り付けたが、問題は中曽根が住んでいる野球の長島から借りた家だった。世田谷区上北沢の長島邸は鉄筋二階建てだが、長島が巨人軍の監督を降ろされた秘密は、試合に勝利するために有能な選手を結集して、彼らを戦力として上手く指揮しなければならないのに、長島にはそれが困難だったのが原因だそうである。
 政治のように汚れているビジネスとは違い、野球は病的な悪癖に対して実に厳しいものがあり、人気稼業にはスキャンダルが致命傷だから、それがゴシップ化しないように苦労した話を、かつて読売のトップから聞いたことがある。それでも、王監督による巨人軍はファンの満足を勝ち取って、読売は売り上げを落とさないですんだのだった。
 その後としては、長島は自分の性格に似つかわしいモデル稼業に転身し、駅に並ぶ商品ポスターに不思議なスマイル写真を連ねて、モナリザ張りの謎の微笑を投げかけているが、心理学者の平安女学院の上野千恵子助教授の説だと、あれはナルシストの寂しい微笑だということになるらしい。中曽根も長島もともにナルシストの傾向が強く、素人向きで力量を懸念されている二人だから、つまらない噂は摘むのが最良だというわけで、別の側面からのスキャンダル予防工作も進み、商法改正を機会に後藤田の統制が厳しくなった。そして、この方面の情報は完全にカットされて、政権担当時代は大きなボロを出さずに済んだのに、リクルート事件で江副や真藤だけでなく、株を受け取っていた顔触れのリストから、小姓人脈や側近グループの名前が続々と登場してしまった。
   鬘趣味を江副の女装七変化

 文芸春秋社から出版した「アメリカから日本の本を読む」の中に、私は「日本ではナルシスト集団の饗宴の日々が、司祭政治としての中曽根時代を特徴づけた。(中略)中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴づけられる人材だったという事実」といった指摘をしておいた。すると、これを東京に行って話題にした時、日本の最上流の家庭の奥方が教えてくれた話に、中曽根が長い髪を垂らして女装している写真があり、それがカルメンの姿だったという情報だったから。このエピソードを「加州毎日」新聞の記事に書いたところ、情報誌の「インサイダー」が日本国内に紹介した。そのために、日本から国際電話が沢山かかり、週刊誌や新聞記者と情報を交換し合ったが、多くのジャーナリストやルポライターが注目し、中曽根、江副、鬘という奇妙な組み合わせに関心を持って、わざわざ高い国際電話を使ったり、中にはロスまで取材に来た人まで出現した理由は、ここに突破口があると感じたプロとしてのカンがあったからだろう。私が「加州毎日」に書いた記事は中曽根の鬘姿だったが、東京からの情報は江副と鬘についての物が多かった。最初の頃に江副が雲隠れして入院した時に、鬘をつけた変装で外部と連絡したことは有名だが、それ以前から彼には鬘をつける趣味があり、その後にも、岩手から女装して東北線で上野駅に到着したところを、週刊誌に証拠の写真を撮られている。
 また、中曽根が財界から寄付を集めて作った「世界平和研究所」には、リクルート事件で世界的に名を上げる以前の段階で、事業家の江副浩正が女装で時々出入りしていたと言われている。ある新聞の社会部記者の話によると、世界平和研究所は女装趣味を持つ集団の拠点らしく、この研究所を地検が家宅捜査すれば、ダンボールに幾箱もの女装用のかつらが押収できそうだ、という実にうがった珍説まであるそうだ。それに、中曽根が行った弁明記者会見によると、中曽根が江副と公式に会う時には、いつも奇妙に演出家の浅利慶太の同席があるが、演劇は鬘のコレクションの宝庫だとすれば、リクルート事件の別の側面は鬘コネクションではないのだろうか。
 そのような状況分析が始まった段階で、NTTの真藤会長が株式受領で浮上して、急速度で逮捕から基礎に移行したし、中曽根に影のように付き添う瀬島竜三が、NTTの取締役で相談役であることが注目されており、これも事件の見落とせない隠れた鎖の環である。最初は否認していた真藤が観念して、事前共謀と村田秘書の工作を供述した理由は、検察当局が江副と真藤の特殊な関係について、何か確証を握ったことが重要な決め手らしい。
 かつて写真雑誌「フォーカス」を舞台にして、女の写真をめぐって中曽根と江副の嫉妬に基づく暴露合戦が起こり、そこを突破口にして追及した地検は、江副、真藤、中曽根の三角関係について何かを探り当てたようだ。それを掘り起こされると政経官界の恥部が露呈し、支配体制は崩壊しかねないので、たとえ竹下内閣を潰しても中曽根の召喚を防ぐというのが、体制防御総司令官の後藤田が下した最終的な決断であり、それを自民党執行部が承認したということである。
 それにしても問題はまだ色々と残っているのであり、児玉誉士夫、三島由紀夫、小佐野賢治、長嶋茂雄、瀬島龍三、江副浩正、高坂正尭などの中曽根康弘を囲んでいる顔ぶれには、将来の或る時点で精神病理学の専門家の手によって、詳しい分析が行われた時に初めて明らかになる、実に興味深い共通の病症例が観察できるそうである。
 江副は物心身の全領域で中曽根と真藤の稚児役であり、それは日本のエスタブリッシュメントの、歪んだ部分の小姓とピエロ役を演じていたが、リクルート事件で一番分かり難かったのは、株のやり取りと利益金の保管を秘書が関与して、当事者達は一切知らないというパターンの横行である。しかし、議員や経営者の年間給与を上回る金額を、卑しい目つきで金脈漁りに明け暮れ、パーティー券を売り歩く人々が知らないわけがない。
 それは元議員秘書たちを取材すれば明らかになるが、秘書の役目は雑用担当の男の女中である。万一の時はご主人の身代わりとして、罪を背負って切り捨てられるが、時には。名代役を果たす責任も与えられている。秘書は一種の女房役だから、繊細な配慮にたけている必要と、主人の代理役として見せる決断力も要り、秘書役に向いた人材は二重人格と倒錯精神が重要である。
 こうして、主人と秘書の間に奇妙な友情が芽生え、けじめの訓練ができていない人間だと、そこから奇妙な倒錯感情に支配されて、遂には生死をともにしかねないほどになり、泥沼の愛人関係に発展してしまう。これは封建時代の殿様と小姓の関係と共通で、支配と服従の複雑な二重関係から、サディズムとマゾヒズムが共存になるのであり、軍隊やヤクザの感覚と共通だと言われている。そして、こういう異常な心理状態が支配的になると、狂態が常態として罷り通って、何が異常だかわからなくなってしまうのである。
 親しい友人で国会議員の経験が長い人の話だと、自民党議員の三割は秘書官と議事愛人関係にあり、それが拡大すると派閥の愛憎関係に転化するから、派閥は政治とエロスが一体になったものだそうだが、果たしてこの話は本当なのだろうか。

はい、お疲れ様、本日はここまで。

ところで明日、明後日とお店の周辺でお祭りがあります。「ゑびす祭り」というお祭りで、繊維問屋が放出する特価品の店やフリーマーケットなどがたくさん出ます。したがって私の店も休み返上で営業です。たぶんブログの更新は出来ないと思いますので悪しからず。うどん屋は日曜は休みますが、カフェは両日とも営業です。

「アメリカから読んだリクルート事件の深層」の二回目

2011年11月10日 16時59分18秒 | ひとりごと
昨日からの続きです。文章は女房のパリに入力をお願いしています。誤字脱字がありましたらご容赦ください。なにせ、仕事の合間にやらせてますので・・・・。



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歴史の証言 リクルート疑獄(その2)
 事件を囲むタブーの砦

 リクルート疑惑は時間の経過とともに新しい展開を遂げ、国民の前に隠れていた氷山の一角を次々に露呈して、高級官僚や政商的な経営者たちの間から逮捕されるものが続出し始めた。自民党の派閥連合として反主流派もない体制を作り、小手先政治でこの世の春を謳歌してきたが、国民の信頼の喪失と戦後最低の内閣支持率で竹下内閣はついに空中分解してしまった。しかも、首相が退陣表明の記者会見をした直後に、リクルート社から一億円以上の献金を受け取っていた首相の金庫番で経理担当の青木秘書が首つり自殺した。
 それでなくても奇妙な事件だという印象を伴って、事件がすこしもすっきりした形で解明が進まないのはそれなりの理由があってよさそうだ。ジャーナリズムや政治家たちが口を噤み時たま奥歯に物が挟まった発言をする裏には黒い霧の元凶に脅える共同体心理が働いているものだ。しかもその背後には誰もがふれるのをためらうようなその時代における最大のタブーが関係しているのが世の習いである。
 特に権力者がタブーに守られてしたい放題をした場合にはタブーに接近したという行為だけで社会から葬られたり命を奪われることも多く、こういう事件では多くのジャーナリストや関係者が謎に満ちた状態で姿を消しているのであり、首相の秘書の死はその始まりを意味しているのだろうか。なにぶんにも秘書は男が担当する女房役であるし、金庫番となると汚い金の動きに関与するから、ヤクザ的な政界の裏面との接触も多いのでタブーの世界と紙一重の位置にいると言えるのである。
 川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関して便宜を計った見返りとして株を受け取り、それが巨額の賄賂だったことが収賄事件として発覚し、それを口火にしてリクルート疑獄の煙がたちのぼった。この段階で汚職容疑で内偵していた神奈川県警に対して、元警視総監で中曽根内閣の法相をやった秦野章が、圧力をかけて操作を中止させようとしたほど、リクルート社の自民党中枢への浸透は強力だった。それは本命の中曽根首相は言うに及ばず、ニューリーダーと呼ばれる竹下、宮沢、安倍などの幹部が賄賂性の強い金を一億円以上も受け取っており、その事実がここにきて続々と発覚しなかったら今頃はリクルート疑惑などは存在せず、竹下内閣は大いに安泰でこの世の春を楽しみ、経済援助の美名の下に世界中で血税をばらまき、政治的無能力を札束の威力で抑え込む竹下流の買収外交として、撒ける金がある限りは順風に乗っていたかもしれない。しかしリクルート事件は首相の秘書の自殺で新展開を見せ始め、女房役の秘書が金庫番であった事実に注目すれば、平和相互銀行の吸収合併が最大の政治資金作りの仕掛けだから「死人に口なし」でうやむやになるか時限爆弾になるかは、今後の成り行きにかかっているのである。
 それに竹下首相と自民党は内閣を犠牲にしながらも、中曽根の国会への喚問という簡単なことをなぜ全力を挙げて阻止したかという疑問に対して、誰も未だはっきりと答えていないのである。
 すでに江副や真藤を始めとした幾人かの当事者は起訴済みで、これから本命の巨悪の砦に包囲網が絞られていくはずが、今の段階は未だほんの序の口であり、竹下退陣程度のことで気を緩めてはいけない。それは造船疑獄の教訓がはっきりと示しており、戦後最大と言われたこの疑惑がたとえ忘却の彼方にあっても。もう一度それを思い出す必要があると言えるのである。

   造船疑獄の教訓

 造船疑獄の発端は川崎市の助役の賄賂に似ていて、伏魔殿の天守閣とは程遠いところで始まり、小さな鮒会社の重役が会社の金を着服したという、ありきたりの公金横領事件が火種だった。そして、次の段階で丸の内や霞が関に飛び火して、最後に国会や自民党本部のある永田町や平河町で、大火事として燃え上がるパターンが待っていた。
 造船疑獄では百人近い財界人が逮捕され、自由党の佐藤幹事長と池田政調会長が収賄していたので、逮捕されるばかりになった時に、悪名高い指揮権発動という暴挙ですべてが雲散霧消した。そして、自民党としてはどんな大赦でも消すことが不可能な、永劫に残り続ける犯罪記録を作ってしまった。
 この例において既にはっきりしている通り、過去の歴史に似たような事件を体験しているし、なぜ巨悪を取り逃がしたかという苦い経験があるから、今度は同じヘマをしないことが肝要だと、ジャーナリズムや検察当局は新たな覚悟が必要だ。なぜならば、高辻法相は指揮権の発動を気軽に口にすることで知られ、指揮権発動がいかに国政と民主主義の破壊とに結びつき、その根幹に触れるものであるかを知るならば、それを軽率に口にする人間は信用が置けないことを、造船疑獄の教訓が示しているからである。
 リクルート事件が造船疑獄に似た構造疑獄であり、腐敗した政治家と高級官僚が職務権限で関与し、当時の文部次官や労働次官が既に逮捕されている。だから、国会議員や閣僚の逮捕を予想するのは、乱れ飛んだ札束や利権の内容からして、それほど難しいことではないだろう。それにしても、現在の段階において。これが奇妙な疑獄だと言わざるを得ないのは、マスコミ界で取り沙汰されている問題と、事件の本質が肉離れした形で進行していることだ。現金で自腹を切らないで賄賂を支払いながら、株券を領収書の代わりに利用している点を考えていないし、リクルート事件はNTT事件かスパコン事件と呼ぶべきだが、国民は事件の核心が巧妙にすり替えられているのに、それに全く気がついていないのである。
 なぜであろうか。それは疑獄としてのリクルート事件は、民活の一貫として国有財産の払い下げに関係し、中曽根内閣時代の犯罪と不始末の数々が、内閣交替を機会に次々とボロを出したものだからだ。しかも、初期の段階から本命は中曽根康弘だと言われながら、これまで一年も時間が経過したというのに中曽根の天守閣からは全く遠い場所で、火が燃え煙が立っているにすぎない。
 ここに来て風向きが本命の方向に変わり、中曽根召喚についての紛糾が命取りになり、竹下内閣が腰砕けで崩壊するに至ったし、あれだけ目立ちたがり屋で芝居っけの強い中曽根が、ここにきて存在を顕示するのを抑えているのは、一体なぜかという点に着眼するならば、リクルート事件の真相の半分が解明できたと言えるのである。
 リクルート疑獄は面白いほど犯罪心理学の教科書通りに進み、リクルート社関連の未公開株の譲渡にまつわる与野党を巻き込んだ政治疑獄を暴きだしたが、株券が領収書の代わりだったのは興味深いてんだ。特に松原社長室長が札束を持って楢橋代議士を訪ね、国会での追及を賄賂で抑えようとし、その現場をビデオに撮られるというヘマを犯して、地検に告訴されたというハプニングがあったために、物証主義の検察当局は本腰を入れなければならなくなった。
 それまで明電工事件や撚糸工連疑獄などで、中曽根がらみのスキャンダルを追った特捜部が、政治権力の圧力のために途中で挫折させられ、当時の伊藤検事総長の巨悪発言を空手形にしている。だから、未公開株のリストまでが現れたので、法治国家の番人の面子を賭けるラストチャンスとして、検察は追求せざるを得なくなった。なにしろ、株式上場の株分けを使った賄賂工作は、政界、財界、官界、学界、言論界などを巻き込んで、日本全体が金狂いに陥っていることを露呈した上に陰湿な地下の結社集団を浮上させたからである。

  政界におけるセイジごっこ

 リクルート社はお祭り騒ぎが好きな仲間意識に支えられた女性的な企業文化をもつミーイズム集団だと言われ、性の平等化が目覚ましかったと指摘されるが、このユニセックシズムの心理現象で塗りこめて。政治行為に一般化したのが中曽根内閣だった。
 発足した当初の内閣は田中角栄に手綱を取られて、目白台の顔色で動く「田中曽根内閣」と呼ばれる哀れな存在だった。それは総理大臣の罪を軽くするために、その任に当たるとはだれも考えていなかったのに、中曽根は闇将軍から首相に指名されていたからだ。
 しかし、権力に慣れるに従い面従腹背が目立ちだし、独宰官への憧憬を権力機構に反映すると、首相の私的諮問委員会が派手に動き出して、実質的な無視による国会の骨抜き化が進行した。委員家業でタカリ癖のついた学者や評論家は大量にいたので、大平首相が総裁時代に作った「総理の政策研究会」の諮問委員の中から、めぼしい顔ぶれを集めて矢継ぎ早に作ったのが、中曽根流の首相の私的諮問グループだった。
 従来のものは私的集団の自民党総裁が、党レベルの総裁の私的機関として設置したのに、自民党総裁が日本国総理を兼任するのを利用して、中曽根は審議会もどきの私生児を乱造し、審議会なみの権限を勝手に与えると、国会での公式な審議を回避する目的で、この私生児に行政行為を実行させたのである。
 これは憲法に決められた議会制度の否定であり、昭和のファシズムと呼ばれた戦前の軍国主義の時代でも、こんな暴挙は行われなかったのに、奢りに支配された中曽根はそれを敢行した。政府関係の諮問機関は国家行政組織法第八条に基づいて、国会の承認を必要とする正規の審議会と、法律や国会に拘束されない私的なものがある。中曽根は私的なものを正規なものにみせかけ、何億円もの税金を使って茶坊主集団に対して、鼻薬としての小遣いを与えながら政治を壟断した。政治のルールが首相の趣味のためにこれほど乱れたことは、明治以来の日本の憲政史を振り返ってみても、かって前例を見ないほどのものであった。
 実際問題として、首相が自分の好みに合った追従者たちを集めて、適当な口実で個人の満足を満たす上で利用したというのに、その費用は首相のポケット・マネーではなくて、各省庁の予算という血税で賄われていたのである。例えば、高坂正尭京大教授を座長にした「平和問題研究会」は、一九八三年(昭五八)八月に発足しているが、一年あまりの間に八千万円ほどが総理府の予算から支出されていて、委員は旅費や宿泊費のほかに二万円の日当を受け取っている。
 瀬島竜三や佐藤誠三郎のような十以上の委員会に顔を連ねる常連は、その収入のほうが本業の給料を上回る月も多く、乞食と政府委員は三日やったらやめられないと、口の悪い連中から妬まれる種を作るほどだった。しかも、やっていることの多くは、中曽根がそうしようと考えたことを受け、意向をそのまま反映させて恰好を作るだけの、傀儡としての役割を演じたにすぎないのだ。要するに、その頭脳が役に立ったわけではなくて、お殿様の言いなりになって身も心もささげ尽くし、学術用語を使って春の歓楽をもてなす、象牙色の肌をもつ今様の白拍子として、彼らは集められていたに他ならないのである。
 こうした殿様の道楽が過ぎていることに対して、参議院内閣委員会の調査室長は東京新聞の記者の取材に答えて次のような興味深い発言をしている。
 「歴代の首相の私的諮問機関は、一内閣一機関にほぼ抑えられ、行政の前面に出るケースは少なかった。中曽根さんの場合は質が異なり、明らかに正規の審議会と同じ役割を果たしている。意図的とは思わないが、脱法行為であることは否めません」
 高島易断神聖館の高島龍峰館長は首相時代の人相をみて、目の冷たさにはずる賢さが現れていると喝破しているので、、中曽根のやり口は意図的だったに決まっているが、私的諮問機関を悪用して、彼一流のやり方で議会制度を骨抜きにするクーデターを試みたのが、中曽根時代の政治を特徴づけた。乱造私的諮問委員会の実態だったのである。
 有能な頭脳を動員してよりよい国政を実現するのなら、プレーン政治も悪くはないだろうが、エストロゲンで体がふっくらと丸みを帯び、首相好みの餅肌の中年学者や評論家を集めて、セイジごっこに現を抜かされたのでは、納税者としてはたまったものではないのである。
  
  三島事件の教訓
 法的には全く根拠を持ち合わせない集団を、首相の私的諮問機関と名付けて飼い慣らした弊害は、議会軽視と政治不信を助長したが、それを破廉恥にも外交の場まで持ち出してしまい、中曽根の個人的な願望に合わせて宦官集団が作文したものを、まるで我が国の基本政策であるかの如く扱ったために、自民党内で大紛糾したのが前川レポートだった。これは数ある私的諮問機関の一つとして、一九八五年(昭六〇)の十月に発足した「経済構造調整研究会」のレポートで座長が前川春雄前日銀総裁だったために、政府は前川レポートと称したものの大宣伝をした。
 内容は首相好みの奇麗事の羅列にすぎず、国会での審議にかけた民意とは無関係のものだが、それを独断で対米外交の公約に使ったので、自民党内にも批判の声が高まったいわくつきの私的レポートであった。
 思いつきに従ってその場逃れに終始して、自分だけは常にいい子でいようとする中曽根政治の実態は、同じ自民党でも古手の政治家たちには、胡散臭さを強く感じさせて他のである。彼らはダテに国会議員をしてきた訳ではなく、永年に亘って築いてきた党の存立基盤を損なうものに対して、お目付役として時には立派に機能するのが、自民党のオールドリベラリスト議員の良いところでもあった。
 彼らが教訓的な例として明確に覚えていたのが、一九七〇年(昭四五)十一月の三島事件である。
 イタリーの民族的英雄で詩人だったガブリエレ・ダンヌンルィオに憧れ、学習院の文学少年時代から死の瞬間まで、徹底的なコンプレックス心理を持って模倣に徹して詩人に献身した余りに、遂には本格的な性倒錯者の仲間入りをした三島は、イタリーの永遠の恋人に焦がれ死にをした。
 同時に、彼を裏切った日和見主義者への面当てとして、しかるべき地点を死に場所として決定すると、彼は愛刀の「関の孫六」を使って自刃したが、そこが市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部だったのは、中曽根康弘が防衛庁長官だったからである。
 中曽根は文官的な宦官学者を私兵に仕立てて、日本の議会制度をいびり殺そうと試みて、日本の民主主義が死の苦しみで足掻くのを、首相官邸の中で快感として味わったらしいが、武力蜂起によるクーデターを指向した三島の倒錯の美学は、それに十年も先だって楯の会という私兵集団を組織して、玉砕戦術に死の快感を感じていたのだ。戦争の推進力を一種の性的妄想と理解した三島は政治とエロスとの関係を戦いの場で一体化して、絶対者への服従にマゾヒズムとサディズムを感じ、その種の突きつめた狂気をナルシズムに体現していた。
 共通の倒錯精神を持つ中曽根は三島の戦法に口では共鳴し、物心両面から支援をしたといわれている。しかし、それはアメリカからの外圧に虐げられ、日本国が呻吟し産業界が悲鳴を上げたのを放置し、却って被虐的な快感を楽しんだだけでなく、平和国家として蘇った戦後日本に対しては、総決算と称して苛め加虐的な快感に陶酔していたが、これは中曽根流のナルシスト的なSM趣味に基づく友情の一種かもしれない。
 それは政治家として日本国に対しての裏切りだが、ナルシストとして自分だけが可愛い中曽根にとっては、自分のために他のあらゆるものが犠牲になるのは、矛盾ではないし痛くも痒くもないのだ。だから配下の陸将補が三島の決起に呼応して、自衛隊員を引き連れて参加するのを内諾していたのに、責任をとるのが怖くなった風見鶏の中曽根は、土壇場で翻意すると三島を裏切ったと言う人が多い。
 だから、三島の死は片割れに裏切られた情死であり、残ったほうは位人臣を極めて宰相の印綬を手に入れ、官房機密費を使って茶坊主遊びを楽しむこともできた。そのお仲間が昔取った杵柄の海軍の中級士官出身の財界人や官僚とか、権力に擦り寄る心の卑しい小姓志願の学者だとしたら、政治がまともに機能するはずがないのも当然だろう。
 しかも、首相という公的な立場と政治権力を利用して、公的な国家の私物化が進み、自小国家主義者が国家を食い物にする時、そこに亡国の音が響き渡ることになるのである。

  東京のベルリン化と国家機密の流失

 立花隆が「文芸春秋」誌に執筆した田中金脈の記事が、飛ぶ鳥を落とす勢いの田中政権を崩壊させた、と一般に広く信じられている。だが、それは事実の一端を示しているにすぎず、致命傷を与えたのは外国人記者クラブの質問であり、外国の特派員の金脈事件についての質問に対して、田中首相が追及をかわしきれずに自滅したのである。
 そのことを肝に銘じて感じた中曽根首相は、日本の新聞記者は幾らでも誤魔化せても、外国系のジャーナリストの鋭い問題意識の前では、正面からの追及でボロが出ることを恐れて、幾ら招待されてもいつも口実を作って逃げ、外国人プレスクラブでの記者会見を承知しなかった。後ろめたいことが何もないのであれば、特派員と会見して政策を説明するチャンスだのに、中曽根首相はお気に入りの特定記者と会うだけで、公的な会見を全力を上げて回避し続けた。これは有楽町のプレスクラブの理事をする特派員たちが、何人も私に繰り返して言っていた話である。
 こういったメンタリティの背後には異常心理が潜み、茶坊主的な取り巻きをプレーンに使ったのと同じで、倒錯的な仲間意識に支えられた共同感覚と、密室政治の陰湿なパターンが読み取れる。現に、中曽根首相を取り巻いている新聞記者の多くは、同じ特派員仲間でも眉をひそめる趣味の持ち主で、有楽町の電気ビルのエレベーターの中でも、男同士で手を握り合っているタイプに属しているそうである。
 外国の諜報機関はこのタイプの人間を送り込み、重要な国家機密を盗み出すことが多く。それはMIBやCIAのケースでよく知られているが、最近ではモサドが活用する手口として有名だ。そして、日本人はこの手口に余りにもナイーブであり、中曽根内閣の周りに群がっている人間には、この種のいかがわしい者が特に多いという話を、東京に行くたびに読者の特派員たちから聞かされたものである。
 一九三〇年代のベルリンは放埓な悪習が蔓延した都市で、手軽に享楽を味わえる放蕩の町として、倒錯趣味の人間を相手にした施設や出版物が氾濫し、不倫と贅沢趣味が時代精神になっていた。同時に、国家の最高指揮者のヒトラーが倒錯趣味で、ナチスの組織が異常精神に支配されていたから、支配と服従を体現するサディズムとマゾヒズムが政治を情念とヒステリーで彩っていた。
 それに似た異常興奮の熱気に包まれたのが、中曽根時代の東京の雰囲気であり、このお祭り騒ぎの享楽と投機熱を求めて、奇妙なコスモポリタンが日本に集まったし、同類の日本人がメディアの上で浮かれたのである。
 このような倒錯人脈のルートを通じて、国策を決定する上で重要な多くの国家機密が、外国筋に流れたのではないだろうか。それは戦時中のゾルゲ事件の教訓からしても、十分に予想することが可能であるのは、審査基準のない諮問委員会の中に外国の下請けもいて、首相官邸は言うに及ばず赤坂や紀尾井町でも、待合での密談や霞友会館での会合の内容は、たちまちその筋のネットワークを通じて流れ、よその国のデータベースに組み込まれてしまい、日本の安全は損なわれてしまうことになる。
 奇妙な趣味が権力と癒着して時代精神が狂えば、首相官邸での決定や国家機密に相当するものが、責任ある地位にいる者たちの見識の欠如で、価値ある情報として他国に大盤振る舞いになったり、代償と引き換えに便宜と置き替っても、少しも不思議なことではない。
 それと全く同じパターンが国内で実行され、自民党の執行部とリクルート社の間で露見し、政府委員の地位や政策決定の取引として、株のばら撒きの形でスキャンダル化したことを思えば、未だ露見していない悪質な不正の数々が、よその国の各種組織との間に存在してもおかしくない。現に中曽根内閣の閣僚や自民党の執行部のほとんどが、何の罪悪感もなくリクルート社や江副から金や株を貰い、国の知的所有権や便宜を切り売りしているのだ。これは自衛隊の機密漏洩とは重大性で桁違いであり、末永陸将補事件の何万倍もの打撃を国家に与えている。こういう乱行による国家機密の切り売りを、昔の人は売国行為と呼んだはずだし、たとえ現金ではなくて株券で受け取ったにしても、背信が民族の運命を根底から損なう以上は、これは売国行為そのものだと言わざるを得ない。スパイ防止法が必要だと騒ぎたてる議員が多いが、体制の中枢にいる首相や閣僚が国益を切り売りし、それを私益に還元しているのだとしたら、一体どうやってそれを防ぐというのだろうか。
 国家の中枢部から機密が流れ出し、権力者のほとんどが倫理観を喪失していることは、亡国現象の最たるものであり、いくら資金を投入して軍事力を強化しても、内部から腐っていく以上は救いがない。この内部を腐食する国家の敵が、極左勢力のテロリストだと考えて、日本の警察機構を公安警察主導型に改造したのだが、気がついてみたら敵は本能寺にあって、国家を食い荒らしていたのは権力者たちで、首相以下の代議士や高級官僚が供応や買収で頂かれていたのだ。そして、六〇年安保以来の過去四半世紀にわたって、ひたすら公安と警備の増強に励んできた結果、逆井に警察の刑事部門は弱体化してしまい、三億円事件、グリコ・森永事件を初めにして、犯罪面での無力さは目立つばかりである。それは警察官僚が権力志向になり、出世と支配力の魔力に捉えられてしまい、本当の公安と安寧の意味を忘れてしまったからである。

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本日はここまで、また明日・・・・。

日本人が知らない闇社会

2011年11月09日 14時50分22秒 | ひとりごと
説明しだすと非常にややこしいことになるけど、とりあえず今日からしばらくの間、藤原肇先生の著書「平成幕末のダイアグノシス」(1993年5月初版 東明社)から、その第六章 「アメリカから読んだリクルート事件の深層」をお届けします。
本から手入力で打ち込むため、やや時間がかかり、数回に分けて掲載することにします。

なお、著作権等の問題がありますが、掲載する趣旨は以下の説明をご覧いただければ理解いただけると思い、許可なく転載することにします。
ただし、本人からクレームが来た場合、中止することもあり得ます。

ついでの話ですが、私はシーグレイブ氏のGoldwarriorsとYamatodynastyの翻訳を自分で行い、かつ無料でHPで公開して来ました。もちろん著者に無断でしたことです。しかし、何の抗議も来ないばかりか、出版の関係者からシーグレイブ氏もそれを承知しており、非常に喜んでいたと聞いています。文筆家である以上、自分の書いた記事が広く世間に伝わることは本望であり、必ず著者にも喜んでいただけると信じております。

さて、本文へ行く前に宇宙巡礼というサイトで「記事」をクリックし、「藤原肇・本澤二郎が語る日本の現在と未来」http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai111102.htmlを読んでいただきたい。

そして、次に宇宙巡礼の掲示板http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/のなかの: 「松下政経塾内閣の危険と放射能汚染で破滅に向かう日本」http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/#4を見てください。

最後にお暇のある方は、そこの過去ログで「掲示板やHPの維持管理を今後どうするか 考える」(http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/storage/1318525859.htmlを見てください。

ここまでお読みいただけば、なぜ私がこれを公開するかがお分かりいただけると思います。

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   第六章 アメリカから読んだリクルート事件の深層

プロローグ 日本人にとってのリクルート事件

仮説としての全体像の構成
 リクルート事件とはいったい何だったのだろうか。事件そのものに多くの日本の政財官界のトップが関与して、平然と背信行為をしていた犯罪性は言うまでもなく、うその証言をした人が沢山いたのにもかかわらず、偽証罪で告発されることも無かったこの事件は、いったい何だったのかと思うと気詰まりな気分になる。
 それにしても、あれだけ日本の報道界がエネルギーを注入したり、一億二千万人の日本人が注意を払って追求したのだから、リクルート事件の教訓が一種の歴史的遺産になっていいはずだが、泰山が鳴動して数匹の子鼠が捕まっただけだから、何が間違っていたらしいという印象が残るばかりだ。
 言論の自由が存在すると考えられている社会では、基礎事実が報道されているという神話があり、日本で活字になったものが事件の全容を伝え、それが犯罪を立証できなかったので仕方がないという態度が、一種の社会的な暗黙の諒解になっている。そして、この基本原理が人々の意識を支配しているために、狡猾な権力者にそれを利用される懸念があり、初期の段階で警察官僚出身の秦野代議士による、もみ消し工作による情報操作が試みられたとか、検察当局がやる気を持っていなかったと伝えられたが、記者クラブの現状からすればありうる形だから、これは心配のし過ぎとは言えないことになる。
 こういった種類の苛立ちを感じることで、不必要なストレスを人生に持ち込むのは、実に愚かなことであり、「あんな不祥事に関わりをもたないで、のんびり瞑想して生きていればいいのに」とよく忠告を受ける。しかし、余計な発言をして権力者に怨まれたり、親しい人に生命の安全を危惧させてしまうにしろ、歴史の証言を残しておくことは一種の義務であるし、歴史感覚疼きがそれをさせるのかもしれない。
 地質のプロとして四十五億年の地球の歴史を扱うし、石油開発の専門家としての修行を通じて、時間と空間を取り扱う訓練を受けている私は、断片的な破片か全体像を組み立てることに慣れている。その結果、国際政治や社会現象を観察する場合でさえ、相似象転換と位相解析を使いこなして、兆候から病理の全体像を診断するのが得意である。
 こうして身につけたダイアグノシスの能力を武器にして、二十年前に石油危機の襲来を感知した時に、私は「石油危機と日本の運命」(サイマル出版会刊)という本を書いたが当時は誰も石油危機の襲来を信じなかったので、パニックが現実のものになるまでは冷笑されたものだ。しかし、造船王国の沈没、鉄鋼産業の低迷、株式市場の暴落などの例をみても、私の予感はその後の時間の経過を通じて、不幸なことに的中しているのである。
 そして今、このリクルートゲートとよばれる疑惑事件の背後に、日本人が気づいていない不吉な影が潜んでおり、未だ光が当たらないまま闇の中に隠れているが、日本の歴史と社会の運命に極めて重大な影響を及ぼす、不気味な始動の始まりを告げていることを感じ取っている。果たしてそれが杞憂であったか否かについては、歴史が証明してくれるに違いないが、取り返しがつかない事態が起きてからそれに気がついて後悔しても手遅れである。
 また、考えられないことを考えつくという所に、戦略発想を持った史眼の輝きがあるとすれば、出来る限り集めた情報源のマトリックスを使い、歴史の場でシュミレーションすることで、意表を突くモデルを取り出すのは価値ある挑戦になる。そして、二十世紀の支配者だった国際石油政治の中に陣取って、戦略思想を磨いてきた私にとっては、このモデル作りはそれほど困難な挑戦ではないと思えた。
 そこで太平洋の対岸のアメリカに陣取って、故国で発生した奇妙な事件を観察した記録を歴史の証言として活字に残すために、ロスで発行されている「加州毎日」新聞の紙面を利用し、一九八八年十二月五日から、一九八九年十二月五日にかけて発表したのである。
 証言としてのリクルート事件の解析の本文に続き、それが佐川事件と同根の構造に由来する点を分析した。短いエピローグから本稿は成り立っているが、その基礎には株と投機をめぐるホワイトカラー犯罪と、世紀末を象徴する倒錯精神の関係を取り出し、それが共に犯罪病理と精神病理にかかわりをもち、しかも、知能犯罪はメタストラクチャーの側面から追わない限り全体像は捉えられないことを証明したのである。

  定説や常識を懐疑する精神
 
 報道が作り出す公認された全体像を通じて、その時代における通説が出来上がりビジョン化した概念を共有しあったものが、ある時代を特徴づける情報空間を構成する。
 だが、公認された定説や通説がどこまで事実の全体を示すかは、多くの疑問が残るところであり、それが単に有力者の見解に過ぎなかったり、単なる一部分が水面上の氷山のように全体だと信じられ、まかり通っているというのは普通である。そして、ありきたりな疑問への考察がなされないまま、定説や通説をそのまま鵜呑みにした挙句に、定説の修正を繰り返すのが世の習いだが、それが歴史の実態であることを叡智ある史眼は知っている。
 常に仮説として立ち現われたものが定説化し、時たま異端者と呼ばれるタイプの人間が出現して、それを否定したり修正を試みる過程で新仮説を生み、その繰り返しを続けたのが歴史の実態である。それにしても、情報化が進んだ大衆社会とよばれる今の時代は、異端の立場に立つ気概を持つ人間の絶対数が、目立って減少していると言えないだろうか。
 異端の説として時代から冷笑されたり、反逆しそうの烙印をおされて指弾されるにしても、主張するに値する仮説を考え続けた人間を、歴史は後になって知識人と名付けてきた。このような知識人の生きざまの外見には、保守と進歩の両面がちぐはぐに現れるが、その動きの方向性は一義的ではない。問題は自分の生との関わりの仕方にあって、価値の根源との結びつきで物事を捉える姿勢と、不易の上に立って流行に左右されない点で、知識人は常に孤独なタイプの人間であった。
 知識人と大衆の問題について思索し、高貴な生とは何であるかを洞察し続けて、生を誠実に生きようとする限り、人は単独行の道を選ぶしかないと結論した。あのスペイン生まれの哲人オルチガ・イ・ガゼトは、「自らを特別な理由づけに基づいて考えて、善いとも悪いとも評価しようとせず、自分が皆と同じだと感じて苦痛に思わないどころか、却って、他人と自分が同一であるということに、快感を感じるような人々の全体が、大衆なのである」と「大衆の反逆」の中に書いている。
 ある事柄を前にして思索と懐疑を行い、自分なりの評価から決断を生みだすという点で、この指摘は知識人の思索体系のモデルだし、その生きざまを方向づける道標の言葉である。
 そんなことに思いをはせると「ロッキード事件で軍用機のP3Cの代わりに、民間機のトライスターに焦点が移されて、しかも、五億円が田中首相の外為法違反に矮小化」したり、「リクルート事件ではスパーコンピュータが介在し、これは主に軍事的な用途に使われるのに、真藤や江副の起訴にはスパコン疑惑には触れず、もっぱら株の問題に矮小化」されているのがなぜか疑問になってくる。
 そこに共通しているのは軍事問題であり、それは六十年前にあった「満州某重大事件」と共通する、国家機関の中枢が関与する重大機密に対して、権力が総がかりで張作霖の爆殺を隠蔽した、あの謀略事件を思い出させてしまうのである。

  ダイアグノシスの重要性
 異常な現象や症状が発生した時には、その治療が可能かどうかにかかわらず、先ずは生理的な情報を集めてマトリックスを作り、それを病理学的な問題として扱うべきかについて、色んな側面から比較検討して判定を試み、ダイアグノシスを呼ばれる診断をするのが、医学における伝統的なアプローチである。
 だいたい、疑獄や政治的な腐敗現象の基本パターンは、社会病理学の問題に属しているから、多様な自然と幅広い歴史現象を下敷きにして、多層構造をもったマトリックスを組み上げれば、「天網恢恢、疎にして漏らさず」と老子が言った、威力のあるスクリーンを作り上げて世紀末の日本を覆うことができるのである。
 特筆に値する二十世紀の異常精神として、全体主義体制の中で暴虐と乱行の限りを尽くした二人の特異な政治家の病跡学的な診断の試みの形で、早野泰造博士は「ヒトラーとスターリンの精神医学」(牧野出版社刊)と題した非常に興味深い本をまとめている。このように日本は優れた精神病理のプロを誇っており、優れたパイオニア的な仕事がなされているので、一九八〇年代についての分析の実現する日が、出来るだけ早く訪れるようにと期待したい。そして、診断を下すという事実がインパクトを生んで、日本文化が内包する自然治癒力を目覚めさせ、病巣の自壊による快癒現象をもたらせれば、治療行為を施さなくても社会の健康が蘇るし、日本列島が健全な生活環境になるに違いない。
 ウィーンの世紀末現象についての記録は、十九世紀の代表的なものとして有名だが、このヨーロッパの辺境の王朝都市からは、異常精神についての分析の大家として、リビドと無意識機制で新時代を築いたフロイトや、エゴによるコンプレックスのアードラーが輩出した。そして、フロイトが確立した精神分析の手法は、まさに意識体系の複雑なマトリックスであり、リクルート事件として姿を現した錯誤行為の断片から、入り組んだジグゾーパズルを組み立てることで、世紀末の病理の検証が可能になりそうだ。
 最終的には、豊かな経験と卓越した手腕を誇る日本のプロの手で、カルテの分析を通じた病跡学的な仕上げが行われて、世紀末としての一九八〇年代が記録されるだろうが、それに先んじた診察と診断のまとめが必要になる。
 そこでリクルートゲートがメディアに登場した、事件の発端でもある一九八八年六月の時点から、東京地検が公式に捜査の終結を宣言した一九八九年五月末までの経過を振り返ると、最初に株にまつわる事件が川崎市で発覚した段階で、一冊の本が犯罪の輪郭と主役の横顔について浮き彫りにしていた事実がわかるのである。

 歴史の証言 リクルート疑惑(その1)

 「罠」を読む
 日本では年間五万点近くの新刊書が出版されるとかで、本屋の店頭は本を求める人で賑わっている。こんな様子を目撃すると、眼光紙背に徹する読書人口も多そうな印象を抱きたくなる。しかし、ある読書子の意見によると「あれは隣の百姓気分がベストセラー作りに貢献しているだけのことで、話題の本に目を通していないと流行遅れになる、という強迫観念を利用した商業主義が、有名人の名前や題名の付け方で勝負しているだけです。動機も目的も金儲けであり、内容的にタイムリーな本が書店にあったり、横積みになっているわけではありませんよ」ということになるらしい。
 内容的に幾らタイムリーでも数年前に発行された本だと、ほとんど誰も思いだそうとしない場合が多いことからして、これは首肯できる好説明である。
 その典型的な例が一九八六年に講談社から出版された「罠」(東郷民安著)という題名の本だ。副題に「殖産住宅事件の真実」とあるこの本のまえがきには「私が本書を刊行した目的は、とくにこれから大企業に成長しつつある未上場会社の経営者諸賢に対する、迂闊にも張り巡らされた罠にまんまとはまってしまった私の苦い経験からの忠告のためである」とあって、まるでリクルート社の現在を予想したような文章が印象的である。
 しかも第三章の「運命の岐路」には新聞記者や東京地検特捜部検事たちに見落とせない、株を使った錬金術の手口が活写されている。
 一一五頁の「会がはじまり中曽根や木部代議士の挨拶が終わって間もなくのことだった。中曽根が、うしろに手をついて体をそらせるようにしながら、顔だけ私のほうにむけて、なにやら小声で話しかけてきた。『今度君の会社は株を公開するそうだね、その機会に、私にひと儲けさせてくれないか。実は今は名前をいえないが、ある有力なスポンサーが金を出してくれると言ってるから、それを使い株式公開を利用して政治資金を作りたいんだ。なんとか協力してくれないだろうかぜひ頼むよ』とか、その一ヵ月後には『このあいだ頼んだ資金造りについて、ぜひとも協力してもらいたい。総裁選ともなると、二十五億円くらい準備しなければならないんだよ』」と言われ東郷民安は「彼が本気で殖産住宅の株式公開を利用して政治資金つくりをしようと考えているのだということを、その時改めて知った」と告白している。そして、一一四頁には、野村証券からの話として、「規定上、個人に割り当てうる最高額は五千株までだから、中曽根先生個人には百万株を割当たることはできない。そこで、表面的には法人割り当ての形をとる必要がある。この形をとって、中曽根先生が資金を法人名義口座に払い込めば、新株式は先生のものになる。そして、先生が時機を見て、それを売却すれば相当の金額を手にすることができる。ついてはそれに必要な法人の名義貸しを殖産住宅の取引関係会社で引き受けてもらいたい」との要請を受けるのだが、ここに二匹目のドジョウをリクルートで狙ったパターンが浮かび上がっている。

  株と秘書名義を使った中曽根流の錬金術

 より意味深長な記述は第四章の「祭りのあと」の」「中曽根の取り分五億円の処置」に書かれている。一四四頁から一四五頁にかけての記述は「十月五日、野村証券から中曽根割り当て分百万株の売却代金が、何の連絡もなく突然、榎本の口座に振り込まれてきた。このやり方は私も首をかしげざるをえなかった(中略)早速、私は中曽根の所に行き、金額の詳しい説明をすると同時に、中曽根に渡せる分(五億円)をどのようにしたらいいのかの指示を仰いだ。『今すぐ必要な金ではないから、君の所でもう少し預っておいてくれないか』この中曽根の返事には私は少々腹が立った。彼が拝むようにして頼んできたので私としても非常に無理を重ねて、やっとここまで漕ぎ着けたというのに、いざ金ができると、このようなそっけない返事である。あまりにも身勝手すぎる話ではないか。『とんでもない。君の金を僕のほうで預かるなどというのはとうていできない』そう言って、私はきっぱりと拒絶した。『そうか。だったら上和田の名で預金しておいてくれないだろうか』上和田というのは中曽根の秘書の名前である」とあり、ここには秘書の名前を使った中曽根流裏金作りと、それまで金にガツガツしていた中曽根が五億円に大喜びしない状況が描かれている。しかし、その翌朝の十月六日には三井銀行銀座支店において、上和田秘書官と日本学術会議事務局長の名義を使った口座が開設され中曽根の政治資金としての五億円は預け入れられるのである。
 この殖産住宅事件と今回のリクルート事件を、青年時代の一時期にフランスに滞在して、レヴィ・ストロース流の神話の構造分析や、ジャック・ラカン流の深層心理の構造解析の洗礼を受けた構造主義者としての私が眺めるならば、状況の背後に潜んでいる基本構造を、疑獄のモデルとして抽出が可能になる。
 東郷民安が五億円を中曽根に渡す以前に、中曽根はその金額をはるかに上回るだけのものを入手済みであり、それは日本のジャーナリズムや検察当局が追求し得なかったロッキード事件にまつわる対潜哨戒機P3Cがらみの収賄であることは、ほぼ確実であると言えるのではないか。二匹目のドジョユを狙ったたけに中曽根は殖産住宅のやり口を繰り返し、構造疑惑の一端を氷山の一角として露呈したようである。
 公判維持のためにはまず物的証拠が必要だ、という先入観に支配された検察当局や事件記者たちは物的証拠という捕物帳レベルの伝統思考のまわりで右往左往しているだけである。しかし、現代における知能犯罪のやり口や国家権力を総動員して役人を手駒のように使う政治業者たちの悪行を、状況証拠の蓄積を突破口にして一掃するだけの気概と勇気を持ち合わせないなら、社会の道義心の低下が経済力を根底から損なう結果をもたらすことを教えている。
 かって伊藤検事総長が「巨悪は眠らせない」という名言でマスコミの拍手喝さいを受けた時に、発言の狙いが中曽根にあると噂されたが、腰の座らない検察当局に対して警察官僚は密かに嘲笑の声を漏らしたと伝えられている。
 検察官たちが検事総長の遺言を看過し「秋霜烈日」ということばを戯れに愛しょうし続けるなら日本列島に生きていく次の世代の多くは、正義とはいったい何を意味するものかについて、まったく理解できない人間になり果ててしまうと思わざるをえないのである。

  倒錯精神の危険

 専制政治というものは全体主義であり、帝国主義、民主主義、社会主義、そして自由主義という好みの名前で幾ら自分を飾りたてようと差異はなく、権力者による専横が続いている限りは基本構造を支配する腐敗体質が政治体制を特徴づけることになる。
 特に日本のように一党による権力支配が四十年以上も永続すれば、幾ら自由や民主を名乗ろうとも悪い風通しの中で支配機構の空気はすえたものになる。そして官僚機構の上層部が供応と共同謀議の慣れでバランス感覚を喪失して放免集団化して、権力の持ち駒として飼いならされてしまうと自浄機能が全く動かなくなる。こうした状況においでは、エリート集団が異常精神の持ち主によって構成されることを人類の歴史は末法時代や世紀末現象として教えているが、現在の日本を支配しているのがこの狂の時代精神である。
 そのことを拙著「アメリカからの日本の本を読む」(文芸春秋刊)の一五六頁から次の頁にかけての部分で「そして今、空洞化する産業界とカジノ化した経済環境の中で狂気と呼ぶしかない(円高)に振り回された日本ではナルシスト集団の饗宴の日々が司祭政治として中曽根時代を特徴づけたのである。国際化への派手な掛け声とは裏腹に孤立化への度合いは強くなり、自閉症的な人びとが好んだエリート主義は自由社会圏における経済競争を激化させたというのが新体制時代顛末である。また、生の様式としての男の友情がひとつの時代精神を構成したこともあり、中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴づけられる人材だったという事実。(中略)さらにこの時期に三島文学に傾倒した外国の文学者たちが大挙して日本にコロニーを作り、友情に結びついた海軍賛歌の静かなブームの中で情念の美学が文学界に浸透した。
 同性愛が時代精神を彩るにしても、このことばは現代最大のタブーである。そうである以上、倒錯精神やナルシズムをキーワードにして世界史や現代史の謎に挑み閉ざされた秘密結社の扉を開く鍵にしたらよい」と書いた。
 現代における最大のタブーに挑んだが故にその頭目から暗殺命令がでるかもしれない、大変きわどい章句を含んだ本書が出版された時、私はちょうど秋の東京を訪れていたが、折しもリクルート事件が燃え上がっていた。そして宮沢叩きがマスコミ界を賑わせていたが、私の読者であるジャーナリストの多くはこの事件の本質が単なる株のバラまきだとは拙著を読み抜いていれば考えなかったはずである。
 先の引用部分のメタファーを一読しただけで、第二臨調や中曽根首相の私的諮問委員グループに結集した異常精神に支配されたエリートたちがリクルート事件に関係していたと予想できる。それも国鉄、日本航空、電々公社などの国有財産を利権化し、鳴り物入りで大宣伝した民活のカモフラージュの陰で収穫物を仲間のうちで分かち合おうとしたときに、川崎市という権力の周辺で発覚した収賄事件の余波から思わぬ疑獄構造が露呈してしまttのだ。また、そうである以上は第二臨調や首相の私的諮問委員グループの顔ぶれが、最終的に企みの配役として舞台に姿を現すことになる。「中曽根ファミリー」(あけび書房刊)に登場する二一四の諮問機関や審議会の顔ぶれを丹念にクロスチェックすれば、その全貌はたちまち明らかになるはずである。
 また、偶然ともいうべきか、私の東京滞在のある日のことだが、親しくしている日本のエスタブリッシュメントの家庭で、禁裏にも近い人を訪問して拙著を贈呈したら、本の内容について話に花が咲いた。中曽根政治と倒錯趣味についての話題になった時に奥方が「そういえば、お友達の家でアルバムを見せてもらっていたら、中曽根さんが長い髪を垂らして女装している写真がありましたのよ。そこで皆で、中曽根さんて変わった趣味をお持ちなのねって噂したんです。それもカルメンのいでたちでして実に板についておりましたわ・・・・」と教えてくれたが「フォーカス」あたりが耳にしたら大喜びしそうな情報だ。
 そういえば、何年か前に「週間朝日」だったじゃ「サンデー毎日」だかの記事で笹川良一が似たようなものを保管しているという発言をしたのを読んだ記憶がある。
 火のないところに煙りが立たないのだろうが、学生時代の仮装行列ならともかく、こういった病理学に属すような良くない趣味を国政のレベルにまで持ち込まれたのでは、一億二千万の日本人はたまったものではない。政界と財界を巻き込んだリクルート事件に関連して、これから次々と姿を現すナルシストたちは、ある意味では気の毒な異常精神の持ち主かもしれないが、こういった腐りきった倒錯趣味や疑獄への不感症を国政のレベルから一掃しない限りは日本に明るい未来は訪れないのではないか。
 私は構造地質学の学位をフランスの大学でもらったが、学士入学した文学部は中退だったし、ファシズムやナチズムの歴史や異常心理について学んだのは、政治学部や医学部のフリーの学生としてだった。それにしても政治の中に異常心理や倒錯趣味が紛れ込むような国がいかに悲惨な結果を招来するかについては、ナチスの歴史を通じて徹底的に学びとったつもりだ。
 そこで提案になるのだが、ロッキード事件やリクルート疑惑の追及を担当する東京地検特捜部の犯罪分析スタッフとして異常心理に精通した精神病理学の専門家を加え、世紀末の日本を地獄につき落としかねないエリート犯罪への対策を整えていただきたい。
 政治家たちの選良意識と倫理感覚がなくなっている以上、もはや歯止めになるものとしては犯罪病理学を徹底習得することと、児童心理学的なアプローチが役に立つと思うからである。

  代議士の分身としでの秘書

 一握りの権力者たちが情報と決済権を独占することにより、国政を政治業化している状態を指して、田原総一朗が「情断」国家と形容した点に関しては彼の「新・内務官僚の時代」に指摘してあるとおりだ。そして、情断化が巧妙に完成した国に、いかにも似つかわしい形で起こったのがリクルート事件であり、これは日本流のインサイオd・トレードがもたらせた大疑獄の氷山の一角である。
 株式の上場を利用して巨大な政治資金を作る錬金術は、中曽根康弘が最も得意にしていたやり口でそれは東郷民安の「罠」という本に詳述されている。そのものズバリの賄賂を受け取ると田中角栄のように収賄罪で御用になるから、コロンビアやシシリー島の犯罪シンジケートの手口をまねて不正に入手した汚れた金をクリーニングするのである。
 また、老獪な政治業者として熟知するノウハウは、秘書をつかってその名義で取引することで、そうすればいざという時に秘書に全責任を負わせて自分は責任を逃れることができる。しかも秘書は雇い人だから使い捨てが可能でいくらでもボロ雑巾のように使ってポイである。
 リクルート株でボロ設けをした灰色高官として、公表されたリストで自民党の重鎮代議士を整理すると、その秘書の使いぶりが次のように歴然とする

  竹下首相関係(元蔵相)
    青木秘書官・・・・・・・・・・・・三〇〇〇株
    福田施設秘書(竹下の親族・・・・・一〇〇〇〇株
  宮沢蔵相関係
    服部秘書官・・・・・・・・・・・・一〇〇〇〇株

  安倍幹事長関係(元外相)
    清水秘書官・・・・・・・・・・・・一七〇〇〇株

  中曽根前首相関係
    上和田秘書官・・・・・・・・三〇〇〇株
    築比地秘書官・・・・・・・二三〇〇〇株
    大田私設秘書・・・・・・・・三〇〇〇株

  渡辺政調会長関係(元蔵相)
    渡辺私設秘書(長男)・・・・五〇〇〇株
  
  藤波前官房長官関係
    徳田秘書官・・・・・・・・二〇〇〇株


  加藤農水関係
    片山秘書官・・・・・・・七〇〇〇株
    加藤私設秘書(次女)・・・五〇〇〇株

ざっとこんな具合であり、国会を舞台に日本の政治業界ではヤクザの世界で子分が親分の身代わりになり、ムショいりするのと同じパターンが出来上がっている。そして税金を払わないでいい濡れ手に粟の黒いカネを求めて、蔵相や閣僚時代に手口をマスターしたホワイトカラー犯罪の名人たちで賑わっている。しかも。竹下首相以下が口裏を合わせたように「違法ではない」とうそぶいているが、「その身を正すこと能わずんば、人を正すを如何せん」である。為政者が政は正であると考えずに政治の要諦を見失い、上に立つものが「してはいけないことは絶対にしない」という倫理観を喪失すれば、これは亡国路線以外の何物でもない。特に蔵相を歴任した渡辺美智雄にいたっては「法に触れていねえことをやってどこが悪いと言ぐのか」とズーズー弁でまくしたて、盗人猛々しい態度で居直ったが、犯罪が実証されて起訴されないならば政治家はどんな破廉恥なことでもやっていい、とでもこの男は考えているのだろうか。

 千里を走る政治家の悪事
  一九八八年八月十日付の「ニューヨークタイムズ」をはじめ「ウォールストリート・ジャーナル」やロンドンの「エコノミスト」誌などは日本におけるインサイド取引を取り上げ「世界の常識からすると収賄なのに、日本では誰も刑務所に行かない」「米国なら即座に首が飛ぶようなことでも日本の当事者たちは悪いことをしたとは思っていない」「収賄した閣僚が誰ひとりとして辞任していない。日本は本当に大国たりえるのか」といった論調で首をかしげている。
 われわれ海外で生活している日本人にとって、日本の汚名は自らのものとおもわざるをえないので、故国のこの醜態と悪評を実に恥ずかしいと感じてしまう。
 日本の政治業者たちは国内のことしか考えないから出来るなら収賄事件を揉み消そうと居直っているが、情報化時代の現在は国内のスキャンダルにとどまらず「悪事千里」で伝わっていくのである。だから国際社会における日本の信用は損なわれ近代国家としての体面は大いに傷つけられたのだから、腐敗行為の責任を取ってケジメをつけるためにも竹下内閣は総辞職して国民の信任を問うべきだろう。
 われわれの祖先が伝えた「恥を知る」人間が内閣にいないが故に、天寿を全うしようとしている天皇でさえ安心して冥界に旅立つことができずに苦痛の中で生命力をすり減らしているではないか。
 拙著「アメリカから日本の本を読む」の中にも書いておいたが、中曽根や竹下のごときヤクザ政治家たちに首相の印綬を帯びさせたことに対して白虹が帝都の上に架からなかったのが不思議でならない。
 拙著といえば私はその中で山田正喜子の「アメリカのプロフェッショナル」(日本経済新聞刊)を講評した時に米国の証券取引委員会(SEC)の問題にふれておいた。そして「粉飾決算、インサイドトレード、株価操作といった日本では日常茶飯事化しているホワイトカラー犯罪は米国では日本で想像できないほどリスキーなビジネスだ。そのベースにはコインの両面である情報公開を、プロフェッショナツ倫理への信頼がバランスを保って共存しているのである。日本にはSECに相当する独立した監視機構が存在せず、そのためにほとんどの会社が粉飾決算に近い行為をやっている。(中略)その結果、株主総会が儀式化してしまい総会屋という珍妙な事件屋が横行する羽目になり政治家と暴力団が結びついて、日本の経済的体質を不明朗なものにしてきた」と書き。SEC的な監視機構の設立が急務だと強調した。それなくしては世界の経済コミュニティのパートナーとして真の信頼に基づく仲間入りはなしえないのである。
 実際、米国のSECは二五〇〇人以上のプロフェッショナルをスタッフにもち、悪質な証券犯罪がアメリカン・キャピタリズムを蝕むのを防ぐために目を光らせている。ところが日本にはSEC的な組織は皆無であり辛うじて大蔵省証券局の数人の役人が、証券市場全般を担当しているにすぎない。そして殖産住宅事件をはじめタテホ科学事件や新日鉄事件とかリクルート事件などのように株を使った悪質行為が野放し状態である。しかも歴代の蔵相経験者がリクルート事件では顔を並べて巨大なボロ儲け話に加わっていたのだ。
 また、NTT株の放出の手口を見ても明白なように大蔵省自体がリクルート社と同罪の違法を試み詐欺まがいの投機的な株式操作を演出して、十兆円近い資金を証券市場から吸い上げ国庫に入れたが、その直接の担当が証券局だったのである。こんな泥棒が十手を預かるような茶番劇をしていたのでは、日本が世界から信用されるはずがないではないか。同じ民活でもブリティッシュ石油(BP)の株式を公開した英国は、利回りが公定歩合に見合うように価格を設定し、しかも公平を期して一回で全株を放出している。
 ところが日本では小出しの公開を大蔵省が行い、その設定価格だと利回りは1%に遠く及ばずこれは投資ではなく信用詐欺の同類だとおえる。仮にNTT株の利回りが定期預金並みならば放出価格は五十万円以下のはずで、この株が世界の投資家に受け入れられるためにはPERから一株十五万円くらいが相場だが、大蔵省は十倍以上も吹っ掛けたのだった。
 アメリカ人のエコノミストの友人は「日本の兜町は株式市場ではなくてカジノだ」と言ったが、私も同じ意見で三流市場のデンバー並だと思う。いずれ東京市場は大ガラに見舞われNTT株も三十万円くらいのレベルで落ち着き日経ダウも三桁台になることだろう。その時に汚れた日本の大掃除をする瞬間だと悟り、西方浄土の方角に立った大きな虹が限りなく透明に近い白光で包まれていると気づいたのではあまりにも情けないといえないであろうか。

今日はここまで、明日また続きを・・・・




ガスファンヒーターにしました。

2011年11月06日 06時19分35秒 | ひとりごと
つながっている・・・と言うのはまゆみさんのブログのタイトルだが、やはり、ギリシャの金融危機とトルコの地震、さらにはカダフィーの殺害がつながっていなくては我々研究者?に仕事がなくなってしまう。そして研究者たるもの、例え違っていたとしても、適当な理屈をつけてそれらのつながりを説明する必要があるのではないだろうか?
で、マヨちゃんはその辺のところをお得意の妄想で頑張ってみようかなって思った次第です。
やはり問題はトルコだ・・・。以前、もちろんいつ書いたか忘れたけれど、NWOは中東に新しい国境線を作成しようとしていると書いた。それは滅びたオスマントルコの領域であり、時代を第一次大戦前の世界に戻すものである。そこにはイスラエルの居場所はなく、事はそう簡単ではないことが伺えるのだ。パレスチナを国家として承認しようとしているのも、間違いなくその流れの中にある。
ギリシャとトルコは領有権問題でもともとあまり仲がいいわけではない。しかし、中東の雄を目指すトルコは財務問題で窮地に陥りつつあるギリシャに恩を売ろうと機会をうかがっていた。そこへ地震が起きた(10月29日)。これは「ギリシャを救うではない!」との強力な意志の表明である。・・・・ん?ちょっと変だな…主語がない。誰が地震を起こすのか?誰の意志なのか?まあ、わからないところは置いといて・・・・。
要は、トルコはオスマン帝国の残りかす、と言えばやや表現が悪い。しかし、現在のトルコがオスマントルコの後継国ではなく、単に、名前と領土の一部がそこに残ったのである。で、私が言いたいのは、現在のトルコがオスマン帝国である前にツランでもあることだ。今回ギリシャ危機で、ギリシャを救うために大金を負担しているのは、ほかでもない日本である。(妄想ですが…)
NWOの一員である日本には、ツランとしての裏の顔がある。もちろんトルコにもロシアにも、言うまでもなくエジプトにもそれがある。
世界地図を眺めると、地理的に言って、ツランのスタートはチェニジアから始まり日本で終わる。して、NWO、つまり1984年で示された世界分割計画を見ていただくとわかるが、ツラン計画とNWO計画では相容れないところが出てくる。今日本は、TPPでもめているが、それもその矛盾の一つである。このままではアメリカが孤立しかねない、そこでなんとしてもTPPなのである。そしてギリシャも現在、両陣営のはざまで揺れているのである。

1984年の小説は第二次大戦直後に掲げられた世界戦略で、状況に合わせ計画自体が修正されるものではなく、極めて原理主義的なアジェンダである。つまり、その通りに実行されるものである。ツラン計画は血流によるものであり、時代を超え、何があっても変えようがない遺伝子のなせる技なのだ。
・・・と書いてきたが、これ以上は皆さんが妄想していただきたい。私がすべてを書いてしまうと皆さんの楽しみがなくなってしまう。さあ、あとは自由にお考えください。っていうか、今日は部屋の模様替えをしなくっちゃいけないため、これぐらいにしたいのです。
模様替え?実は、石油ストーブに石油を入れるのは年々うっとうしくなり、この際、ガスファンヒーターにしようと考えた。で、幸い我が家は古い家なので、各部屋にガス管がひかれている。そこで、ガスファンヒーターを設置するためのお部屋の整理をしようということ。では、またね。

秀吉の朝鮮征伐と出口の満州進出は・・・

2011年11月03日 07時33分07秒 | 古代史
今日は祝日のため仕事はお休みだ、で、何の祝日だっけ?まあ、そんなことはどっちでもいい。せっかくのおやすみなのだからゆっくり静養しよっと。
先日、腱鞘炎が痛いと書いたら、多くの読者から色々アドバイスをいただきました。現在はテーピングで親指と薬指の動きを制限し、かなり楽になってきてます。ご心配をおかけしました。ありがとうございました。

今、悩んでいるのは、私がブログを始めた時、「還暦になったら本を作り知り合いに配る」を目標にしたのだが、昨年うどん屋に従事したおかげでまったくそっちの方面に時間が割けなくなったのだ。仮に時間があったとしても肉体的に限界で、栄養が脳に届いていないというか・・・、要は頭が悪くなったというか・・・、言い訳がましいな。早い話、研究が少しも進まないのである。
で、仕方がない。還暦は今年の十二月にやってくる。もう時間は残されていない。もちろん、シバチャンブログから適当に抜き出せば本の一冊ぐらいは作るだけの記事はないわけではないが、ばらばらの記事では「つながらない」でしょうね。
で、で、決めた。今年の十二月に日頃は買うことが出来ないような高級生豆を購入し、特別焙煎のコーヒーを作くり、希望者に配ろうと・・・。高級と言えば、ブルーマウンテンとかハワイのコナなどが有名で、1kg当たり5000円ぐらいはするかな…。でも、その種のコーヒーはどちらかというと酸味が強く、私の趣味ではない。もう少し苦みを生かしたエクセレントを探そう。

私が還暦に作ろうと思った小説は「秀吉」である。彼は実はジンギスカーンのお種を宿した有力皇族の隠し子で、いわゆる「お坊ちゃま」だったのだが、幼少のころ名古屋の農家に密かに託児され、執事として蜂須賀が付き添っていた。百姓に身をかくしながら兵法、漢学などにも精通し世に出る機会を待っていた。そんな時朝廷からの秘密指令が来て、信長に仕え、天下布武を助けるように命令された。
信長は秀吉(当時は藤吉郎だが)の持つお種の秘密は知らないものの、蜂須賀の力は知っていた。木曽川の水利権を持つ蜂須賀と組めば斎藤家を圧倒できる。すなわち、秀吉は信長の草履持ちなどではなく、客分の待遇だったはずである。
信長殺しは秀吉なのか?八切さんはそう言った。でも本当の犯人は皇室である。勝者の歴史書によれば、当時皇室は幕府の陰に隠れ、非力だったように書かれているが、実はそんなことはなく、敦賀湾から世界に向けて交易を営み、圧倒的な財力と権威を持っていたのである。表向き武力を待たない皇室はただ単に、国内の政治を軍隊、つまり幕府に委託していただけなのだ。まあ、このあたり、アメリカ軍に軍事を委託している現状と似たところがある。
しかしある時、海外に派遣していた奉公衆からキリシタン(イエズス会)の動向を伝えてきたため、もはや貴族化している足利幕府にはその対応力が備わっていないことははっきりしている。それが戦国時代に突入した原因である。
すべては朝廷の仕組んだ内戦で、いわゆる全国甲子園大会のようなものであり、信長はその筆頭に選ばれたのである。しかし、信長はキリシタンから武器を購入し、ついには朝廷をも超える権威を築きつつあった。安土城に天皇をお迎えした時にその決定がなされた。それが信長殺害の意味である。秀吉も光秀も当然命令に従っただけである。

問題は朝鮮出兵の意味だ。考えてほしい。当時の明は元王朝を滅ぼしたのだ。ジンギスカンの血をひく秀吉にとって明は宿敵である。しかもその王は「馬の骨」なのだ。モンゴルからは新たな主ととして秀吉の大陸進出を望む声が朝廷に舞い込んでいる。当時の李王朝は元の支配下にあった高麗を滅ぼし、王族を根絶やしにした逆臣だ。しかも明国を主と仰ぐいわゆる柵封体制の中にあった。だが、逆に共同して明を倒すことは朝鮮にとっても独立を果たすチャンスでもある。李王朝の朝廷が一枚板であったなら恐らく朝鮮は秀吉の進出を受け入れ、ともに明へ攻め込んだ可能性が高いのだ。つまり、朝廷の重臣には明とつながることで財をなし、王に対する忠誠心はそれほど大きくなかったということである。
勝者の歴史書には秀吉の朝鮮征伐を、「秀吉は頭がおかしくなった」と決めつけ、彼は正常な判断が出来ない状況だったとするが、それは歴史の矮小化である。つまり、秀吉の朝鮮出兵の意図を説明できなければ、おそらく西郷の征韓論も日韓併合も単なる歴史の千切り取り、いわゆる偶然の積み重ねの歴史観しか思い浮かばないだろう。
秀吉は朝廷から「明国を滅ぼし、元王朝を再興しなさい」との勅命を受けていたのである。歴史は繰り返す。清王朝が滅び、中国が建国されようとした時、日本の皇室は満州の地に清王朝を再興しようとしたが、その時の状況は秀吉の時とほとんど変わっていないのである。

秀吉は関白にまで上り詰めた。つまり、彼はその地位に着くべきお種を持っていたのである。徳川は征夷大将軍、足利も源頼朝も同様で、北条は執権にすぎない。皇室においてお種は絶対であり、例外はないのである。
秀頼は徳川に殺されるが、実は秀吉の種はひそかに託児され現代にまで伝えられている。私の妄想ではそれが大本の出口であり、笹川であり、鳩山(兄)である。

ところで託児だが、現在私たちが知っている系図は決して正しいものではなく、隠された養子はいたるところにあるのだ。栗原さんの「歴史の闇を禊祓う」を注意深く読むと「正田貞一郎は太平食品創立の翌年に藍綬褒章を授与され、昭和三十四年には孫娘の名目で預かり育てた美智子と皇太子の御成婚に恵まれ・・・」とある。預かり育てられるとはいかなる意味か?
正田家は皇室の外戚であるにもかかわらず、宮中へ招かれることはないという。血がつながっていない以上、当然なのだろう。つまり、皇室の外戚になるには表向きは平民でも、「お種」は必要なのだ。つまり、雅子さんも・・・・。

まあ、こんなストーリーで小説を書きたかったのだが、それらの肉付けとなる周辺資料を集める時間と方法がない。
残念だが今書いたストーリーで皆様勝手に妄想してください。