マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

広島・長崎の真実は?

2010年08月07日 09時57分05秒 | ひとりごと
毎年広島の原爆投下の日にあわせ、核廃絶を願う式典が開かれる。今年は英・米・仏、さらには国連総長まで参加したとあって、世界中に核廃絶の祈りを広げようとの意識が盛り上がったとマスコミが盛んに報道をしている。
大変に申し訳ないが、広島の原爆と核廃絶の運動とは別の次元でやっていただけないだろうか。何か、広島や長崎の原爆投下を核兵器廃絶の運動として問題を摩り替えようとしているように思えてならない。
核兵器がなくなったところで、戦争はなくならない。人間同士が殺し合いをする戦争を廃絶しようというのならわかる。しかし、広島や長崎に原爆が落ちたことと核廃絶運動は必ずしもイコールの問題ではないだろう。
本当の原爆被害者の遺族、被害者の心情はそんなものではない。
本当に知りたい問題は、なぜ広島や長崎に原爆が落とされたかである。なぜ、広島、長崎の住民が犠牲にならねばならなかったかなのである。
戦争を早く終結させるために原爆の投下はやむを得なかったとアメリカの国民は教えられている。今でも公式見解はそのようになっている。しかし、逆なのだ。原爆を落とすまで終戦をさせなかったのが真実である。日本はすでに十分負けていた、ただ、アメリカが引き伸ばしていただけである。それは、原爆の完成が遅れただけなのだ。
昭和天皇が「しかたがなかったのだ・・・」と言った意味はなんなのか?歴史家はきっちりそれを説明しなければならないのだ。
日本に落とされた原爆が人類に対する生態実験だったことは明らかで、だれかがそれを指示し、日本のなかにも知っていた人間がいるのである。

死んだ人達は生き返らない。その人たちが犠牲になった理由をはっきりすることがこの広島原爆投下の式典を継続する意味であり、核廃絶運動は後付の目くらましにすぎない。
マスコミが核廃絶を叫べば叫ぶほど私は「違うだろ?本当に追求するべきことは」と思うのである。ごまかしたってだめである。