めったに小説は読まないマヨちゃんですが、天童荒太の「悼む人」という風変わりな小説を読んだ。あらすじをここで言うほど熱心に読んだわけではない。
ただ、この本の主人公はちょっと変わっている。色々な事故や事件で死んだ人の現場を訪れ、故人がどんな人で、誰に愛され、そして誰を愛したのかを聞きまくり、そして故人がそこに生きていた事をいつまでも覚えていると誓い、お参りするのではなく、哀れむわけでもなく、故人の死を「悼む」というのだ。特徴としては死んだ原因にはこだわらないことだろうか。
物語は主人公が全国を回り悼む旅をつづけるうちにそれに関わることになる雑誌記者、あるいは愛する人に殺すよう頼まれ、愛するがゆえに彼の命を奪った幸薄い女、そして悼む人の家族などを中心に、終わってみるとなんだったの?という結末なのである。
だが、肝心なことは私と同じように、現在の殺人事件などのマスコミの報道への痛烈な批判が隠れた主題なのである。
殺されて当然と思われる凶悪犯、寿命が尽きる寸前で自ら命を絶った老人、理不尽な乱暴狼藉によって殺されたかわいそうな被害者、しかし、いずれも人の死に変わりはない。マスコミはその殺され方で報道姿勢を変える。人の死に区別はつかないはずなのに。悲惨な殺され方を劇場的に伝えることで、読者の注目を集め、いかにもお涙頂戴型のドキュメンタリーを作れば、確かに雑誌は売れ、テレビは視聴率を稼ぐ。しかし、後に残るのは加害者への憎しみと、被害者遺族への憐れみである。
つまり、マスコミは被害者の遺族に感情移入し、読者を被害者の遺族の気持と共有させ、加害者を社会的に裁こうとしているのである。
しかし作者が考えたのは、被害者の家族が本当に望むのは死者の存在を忘れてほしくないということなのであった。
私は現在のマスコミの事件報道があまりにも一方的で、いかにも遺族の気持を汲む様に見せて、単に興味本位に読者を裁判官にさせ、世論で加害者を裁こうとしているだけだと思う。
肝心なことは、ある人間の存在が消えてしまったことであり、消えてしまった原因とはまったく別の問題である。遺族にとって消えた存在が悲しいのであって、憎しみや怒りへ摩り替えても心は癒されはしない。
私の自宅のそばで女性が三人の男に嬲り殺された悲惨な事件があった。現在裁判で三人を全員死刑にするかどうかで争っている。いわゆる私的には一番の首謀者と思われるものが無期懲役になったいる。
マスコミは早速その悲惨な殺し方から、いかに加害者が残酷で、死刑が相当だとの誘導をしているが、だったらきれいな殺し方なら良かったのか、苦しまずに殺したなら死刑にはならなかったのか?
遺族は三人全員の死刑が確定して気が治まるのだろうか。でも、恐らく加害者が全員死刑を宣告されるころに、いつしかこの事件は風化し、被害者の生きていたと言う事実も忘れ去られるのである。
私は毎日その事件の発生した場所を通過する。通るたびに私も彼女の事を「悼む」ことにした。大事なことは、加害者を死刑にすることではなく、彼女が生きていた事を覚えていくことなのだ。
「お前は被害者の事を考えたことがあるのか?」と言われそうだが、毎日世界で、日本で色々な事件や事故が起きている。どうして私がすべての被害者の立場に立つことが出来よう。私は自分の回りで、自分の立場で目先の問題を解決するのが精一杯である。そしてなるべく感情移入しないよう心がけている。そうしないと生きていけない気がするからである。
ただ、この本の主人公はちょっと変わっている。色々な事故や事件で死んだ人の現場を訪れ、故人がどんな人で、誰に愛され、そして誰を愛したのかを聞きまくり、そして故人がそこに生きていた事をいつまでも覚えていると誓い、お参りするのではなく、哀れむわけでもなく、故人の死を「悼む」というのだ。特徴としては死んだ原因にはこだわらないことだろうか。
物語は主人公が全国を回り悼む旅をつづけるうちにそれに関わることになる雑誌記者、あるいは愛する人に殺すよう頼まれ、愛するがゆえに彼の命を奪った幸薄い女、そして悼む人の家族などを中心に、終わってみるとなんだったの?という結末なのである。
だが、肝心なことは私と同じように、現在の殺人事件などのマスコミの報道への痛烈な批判が隠れた主題なのである。
殺されて当然と思われる凶悪犯、寿命が尽きる寸前で自ら命を絶った老人、理不尽な乱暴狼藉によって殺されたかわいそうな被害者、しかし、いずれも人の死に変わりはない。マスコミはその殺され方で報道姿勢を変える。人の死に区別はつかないはずなのに。悲惨な殺され方を劇場的に伝えることで、読者の注目を集め、いかにもお涙頂戴型のドキュメンタリーを作れば、確かに雑誌は売れ、テレビは視聴率を稼ぐ。しかし、後に残るのは加害者への憎しみと、被害者遺族への憐れみである。
つまり、マスコミは被害者の遺族に感情移入し、読者を被害者の遺族の気持と共有させ、加害者を社会的に裁こうとしているのである。
しかし作者が考えたのは、被害者の家族が本当に望むのは死者の存在を忘れてほしくないということなのであった。
私は現在のマスコミの事件報道があまりにも一方的で、いかにも遺族の気持を汲む様に見せて、単に興味本位に読者を裁判官にさせ、世論で加害者を裁こうとしているだけだと思う。
肝心なことは、ある人間の存在が消えてしまったことであり、消えてしまった原因とはまったく別の問題である。遺族にとって消えた存在が悲しいのであって、憎しみや怒りへ摩り替えても心は癒されはしない。
私の自宅のそばで女性が三人の男に嬲り殺された悲惨な事件があった。現在裁判で三人を全員死刑にするかどうかで争っている。いわゆる私的には一番の首謀者と思われるものが無期懲役になったいる。
マスコミは早速その悲惨な殺し方から、いかに加害者が残酷で、死刑が相当だとの誘導をしているが、だったらきれいな殺し方なら良かったのか、苦しまずに殺したなら死刑にはならなかったのか?
遺族は三人全員の死刑が確定して気が治まるのだろうか。でも、恐らく加害者が全員死刑を宣告されるころに、いつしかこの事件は風化し、被害者の生きていたと言う事実も忘れ去られるのである。
私は毎日その事件の発生した場所を通過する。通るたびに私も彼女の事を「悼む」ことにした。大事なことは、加害者を死刑にすることではなく、彼女が生きていた事を覚えていくことなのだ。
「お前は被害者の事を考えたことがあるのか?」と言われそうだが、毎日世界で、日本で色々な事件や事故が起きている。どうして私がすべての被害者の立場に立つことが出来よう。私は自分の回りで、自分の立場で目先の問題を解決するのが精一杯である。そしてなるべく感情移入しないよう心がけている。そうしないと生きていけない気がするからである。
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対に保存ができない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 思考そのものの形は現象に含まれ, 視覚的現象等と共に常に変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が,【0∞1】有の無限拡散性をもつ物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何なのかを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であることである。
零的確定論では一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え,【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。
残念ながら私にはさっぱりわかりません。が、物理的に死んだら同じだよ。ということですかね・・・。
DVや殺人などに至る者の絡まった糸の様な精神状態・・・。 その糸を手繰って糸の最初の端と終わりの端を坦々と辿るようなイメージが残っています。
それでいて、糸の縺れを解くでもなく、読み終わってもモヤ~が残りますが(笑)
マスコミの事件報道は、私も常々うんざりですので、話題の事件の続報などはチャンネルを変えます。
私の死者に対しての感情は、人によっては冷淡と批判されるかも知れません。
それは感情が無いとか、冷酷だとか云う訳ではないのですが、いくら飾り立てても同情しても、死と云う事実は同じじゃないかと考える訳で。。。
マヨさんの事件現場を通り過ぎる時の「悼む」は、共感できますね。
ちょっと話は変わりますが、韓国と日本は被害者と加害者の関係ですよね、被害者に加害者が謝罪すると売国奴と怒る人がいますが、どうなっているんでしょうね、その人たちの頭の中は。
そもそも八百長論でいけば、加害者=戦勝者、被害者=敗戦者とならない訳ですから、謝罪って云ったって・・・(苦笑)
加害者=為政者、被害者=民衆と考えれば、両国の国民が喜ぶべきことじゃないですか?
それにしても原爆を使用しても謝らない国に、日本を守れって言っている人達ですよね。 どうなっているんでしょうね。
ついでに追伸。 私は誰もお迎えに来ません。 ん~。。。そこでちょっと考えてみました。
次に来るお迎えはなんじゃろな? QQ車とか09車とかにはまだまだ来て欲しくないな・・・。 出来れば、白馬に跨った・・・いや、みなまで言うのは止めておきましょう(笑)
アメリカは原住民を殺したり追い払って建国した国ですからね。謝ることは国家の正当性を否定しかねない重大な問題になります。
私の知ってるそれと同じならば、この事件後しばらく軽い鬱になりました。
どう考えても犯人達の頭の中を理解できず、
本当に苦しみました。
来世信仰はないのですが、こういった類の
事件で命を落とした方には、もう一度
生のチャンスをあげられないものかと
思ってしまいます。
犠牲者の方を悼むしかありません。私は毎日悼むことにします。
「包丁で一突きの即死と、残虐ないたぶられ方をしながらの死では、犯人への報復は違えて当然では?」と、最初この記事を批判的に読んでいましたが、
確かに遺族にとっては、消えてしまったという事実が悲しく、そして覚えていてほしいと願うものなんでしょうね。
そして最後の
>そうしないと生きていけない気がするからである。
冷めた印象を与える記事ですが、実はとても繊細だから。なんですね(^^)
いつもありがとうございますm(_ _)m