マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

妄想のアジア史

2013年07月14日 14時13分14秒 | 古代史
ここ一年、私はS氏からの情報を皆さんに伝えることを使命と考え、自分の妄想を封印するように心がけてきた。なぜなら、事実は小説より奇なりと言われるように、私の妄想より現実の方がはるかに過激で、深刻なものだとわかったからである。
天皇家の系図など、物語に出来ないほど恐ろしいものである。つまり、私の妄想はまだまだ愛国的すぎて話にならないのだ。
しかし、「お種理論」のように当たらずと言えど遠からずみたいな話もあるように、ドルイド神官が日本へやってきた経路と私のクラスノヤルスクから日本へ行くルートはほとんど同じだったわけで、まぐれあたりもないわけではない。

さて、先日も考察したように、アジアは特定の姓を持つ者が王になり、特定の部族が影からそれらを裏支配したという話を調べて行くと、答えを知っていればいざ知らず、たいがいの場合は答えはわからないものである。その為にはやはり妄想を利用しないと前に進めない。で、久しぶりに妄想のアジア史と銘打ち、連休の暇つぶし(失礼ですね・・・)をしてみたい。

先日神武東征とアレキサンダー大王東征の伝説はまったく同じ内容の話だったということを書いた。でも、どうして神武の歴史にアレキサンダー大王が使われたのかという謎は解決していない。が、まったく無関係だったらそのようなことをするだろうか、つまり、後世に神武がアレキサンダーと共通する血流なのだと察してもらうために書き残したと見るのが普通ではないだろうか。

アレキサンダーはバクトリアで妃を娶ることになる。
まず、ソグディアナの征服(BC329-327)があったが、ここがバクトリアであり、ゾロアスターが生きた場所である。
中央アジア方面へ侵攻したアレキサンダーはソグド人勢力による激しい抵抗に直面した。ギリシャ軍はソグディアナとバクトリアにおいて過酷な戦いを強いられ,最後はそれらの地域を征服したものの,将兵の士気は低下した。アレキサンダー大王はBC328年に帰順したこの地方の有力者オクシュアルテスの娘ロクサネを妃としている。
その後、インド遠征を行い、パンジャブ地方に侵入したが、さすがに疲れたのか、スーサへ向かう。

紀元前324年にスーサに帰還した。この際、部下のネアルコスに命じてインダスからペルシア湾を通ってユーフラテス川の河口までの航海を命じた。この探検航海によりこの地方の地理が明らかになると同時に、ネアルコスの残した資料は後世散逸したもののストラボンなどに引用され、貴重な記録となっている。紀元前324年にはスーサの合同結婚式が行なわれた。

スサノウという神さまが日本にいる。スサの王であるから、まさにアレキサンダーがスサノウであることはまちがいなく、まさか本人が日本に来ることはないので、彼の子孫が日本に来たということだろう。それほど、日本とアレキサンダーは縁があるのだ。

さて、先ほどバクトリアで種まきし、さらには合同結婚式を行ったとある。つまり、この思想が朝鮮半島の血分け大好きな文氏に引き継がれたのか?・・・これは妄想だが・・・要は、種をばらまいた可能性は限りなく大きい。

さてさて、話は変わるが、秦の始皇帝(在位:前246年 - 前210年)は一体どこからやってきたのか?彼は焚書坑儒を行ったと言われ、過去の歴史、政治、伝統・・・などなどすべてをひっくり返した。つまり、秦国は実はそれ以前とは全く違う征服王朝だったのだ。
つまり、秦国はアレクサンダー大王のお種を持ったバクトリア人が中国を支配したのではないかと。まあ、これは色々な人が主張しており、妄想というより現実の話に近いと思うのだ。

そして、秦は始皇帝の死後、宦官により滅ぼされ、中国は大混乱になったと言われるが、実は秦王家はイスラエルの消えた10支族のように各地に散り、アジア全体を自分の思う通り動かすように表から消えた。つまり、秦王は裏に隠れ、表の王を立てることで二重構造の大陸を作ろうとした。そして裏の支配者にレビ、神官の秦氏が、裏の支配者に五人の王族を指名したと・・・。

ローランといえば敦煌を思い出すと思うけど、実はローラン自体は幻になっており、実態は楽浪へ移動した。その証拠に楽浪は日本ではさざなみだが、中国ではローランと読む。この楽浪の場所も謎だらけだが、私の理解では遼東にあったはずで、ここを拠点に朝鮮半島、さらには日本侵略の足がかりを得たと考える。

さて、この消えたローランからバクトリアへ移動したのが月氏であり、そこでは大月氏と呼ばれる。wikiによれば、
クシャーナ朝、「大月氏は大夏を征服すると、その地に和墨城の休密翕侯(きゅうびつきゅうこう),雙靡城の雙靡翕侯(そうびきゅうこう),護澡城の貴霜翕侯(きしょうきゅうこう),薄茅城の肸頓翕侯(きつとんきゅうこう),高附城の高附臓侯(こうふそうこう)の五翕侯を置いた。」とある。うーん、五氏だ!

さて、西欧では表の政府と地域の権益を持つ裏の支配者=領主(貴族)がいると前に述べた。現実の政治は国境を決め表の政府に預け、自らは裏支配に徹し、金儲けに励む。戦争などの殺し合いは表の政府に任せ、自分達はなにも責任をとらなくてもよいようにしたと。つまり、秦の始皇帝が考えたのは、同じようなシステムを作ることで、裏支配は秦王の子孫が受け持ち、表の王にはソグド人に産ませたアレクサンダー大王の子孫でたらいまわしにするという、二重構造である。(妄想ですが・・・)

日本に当てはめるなら、裏支配は秦氏=賀茂氏が行い、表の天皇家をソグド人の末裔に受け持たせる。藤・橘・源・平はみんなソグド人だった?

話は変わって、煌さんのコメントの中のリンクを眺めていて興味深い話があった。
http://www10.plala.or.jp/mituha/sa_na/lunaandsolu.htm

「世界の神話を見ていると、どの神話にも少なからず共通項が存在することに気が付きます。その共通項の一つ、太陽族と太陰族(月)の対立構造で世界は成り立っている。と言う仮説を立ててみます。・・・略・・・
まず、太陽族とは、トーテム(ここでは、部族のシンボル程度の意味)を太陽に関連するモノを持つ部族です。そのトーテムとは、鳥(鷲や鷹が多い)、牛、菊の花、色として黄金、などがあげられます。日本に限定するならば、ご神体が鏡であることもあげられるでしょう。太陽はもちろん、風や雨の神とされることも多いのが特徴です。
続いて、太陰族は、トーテムに月に関するモノを持つ部族です。そのトーテムは、蛇、もしくは竜です。日本では、勾玉をご神体とする神です。水、銀と言ったものに関連する傾向があるようです。ただし、天から降る雨は、太陽神族のモノである。と言う認識なのか、雨は除外され、河川や海、湖と言った、地に貯まった水が支配領域となります。」
うーん、そうか・・・、太陽と月、陰と陽。太陽は表に出て、月は裏に回る。これかも・・・・。


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