マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

Eの筆頭格、キャボット家とは・・・・

2012年08月16日 05時58分19秒 | 世界の支配者
実は、かん違いや混同が見つかり、大幅に書き直しました。別にどこかから文句があったわけではないので、ご心配なく。

現在世界を動かしているABCDEの中で最強なのがE勢力である。もともとベネティアに起源を持つ黒い貴族たちの一派といわれるが、その正体を知ることはなかなか難しい。でも丹念に調べて行くとまったく表に出ていないわけでもない。

今までEという勢力の説明は十分にできていなかった。また、Bの主力メンバーであるスカル&ボーンズとの区別も非常に難しい。ロックフェラーもBのメンバーでもあるし、またEの筆頭格でもある。しかし、あまり知られていない一族で、日本の近代に大いに関わっている家系がある。それがキャボット家(カボット)である。
さて、日本とアメリカの最初の関わりと言えば、もちろん黒船である。そう、あのペルー提督だ。彼の役目は石油を燃料とする大型船の優秀性を示すことにあった。つまり、石炭から石油の時代に変わる時代だったのだ。

さて、私が苦労して翻訳したYamatoDynastyの第七章にその話が出てくる。
実はhttp://mayonokuni.web.fc2.com/yamato07.pdfで出てくるが、yamato07の数字を変えればすべての章が見れるようにしてある。00、01、02、・・・・みたいにね。ついでに言うとGoldwarriorsも同じように「http://mayonokuni.web.fc2.com/gold07.pdf」の07部分の数字を書きかえれば全部見れるんだよ。(裏技ですが・・・)
ずいぶん苦労して翻訳したんだけど、今から見てもすごい本だと思う。ただ、D側から書かれているという点で注意が必要で、逆にいえば、D以外のことは結構真実が描かれている。つまり、日本軍が略奪したアジアの金塊はDの資産だったわけで、腹の収まらないDは本質を隠し、日本の皇室がアジアで蛮行を働いたことにしたのだ。
まあ、この話は置いておいて・・・・Yamatodynastyから引用する。

「一八五三年、ペリー提督による有名な東京湾での武力誇示以来、ペリー家代々の人々は、日本で特別の威光を謳歌してきた。現世代ではグルーの妻、つまりアリス・ペルー・グルーその人だ。提督の可愛い姪っ子なのである。日本語を話し、裕仁の母を初めとして重要な人は誰でも知っていた。父親、トーマス・チージャント・ペルーはボストンの科学者だ。母の名前はキャボット、当時としては社会的に比類ない気高い一族だった。アメリカの詩人、ジョン・ボシディがよく知られている風刺で「豆と鱈の故郷である古きよきボストンで、ローウェルはキャボットに話し、キャボットはただ神にのみ話した。・・・・」

このキャボット家のアリスの親友に鍋島信子がいた。さらにアリスが信子から紹介されたのが裕仁を生むことになる九条節子、つまり後の大正皇后である。
西園寺と牧野伯爵、そして吉田茂、さらには松平家の関わりはこの7章を見ていただければわかるであろう。つまり、日本とキャボット家の関わりはここから始まり、現在も続いているのである。

さて、大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕となり、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は吉田茂の妻、麻生太郎首相の祖母となる。
この牧野雪子も親友としてアリスから国際情勢・政治経済の「教育」を受けているという。要は、日本の戦前戦後を通してキャボット家の影響を強く受けている事になる。

秩父宮の妃は松平勢津子(旧会津藩主・松平容保の四男で外交官を務めた松平恒雄の長女)であり、グルーとの交流は格別だった。つまり、英国大好きの裕仁天皇にとって、秩父宮は自分の地位を脅かす存在だったはずだ。Goldwarriorsにでてくる「金のユリ」作戦で、秩父宮が東南アジア方面を自由に行き来できたのには訳があり、第二次大戦の闇は深いのである。

さて、日本の高速道路計画を策定してきたのがブルッキングス研究所と言う処で、キャボット家の支配下にある。先日の記事に書いた特別会計を考えてもらえば、道路特定財源というものが一体誰の物なのかは想像できるかな・・・・。

さて、もうすこしキャボットを追いかけてみよう。これがEの代表格なのだから・・・。
米国独立戦争のきっかけとなるボストン茶会事件というのがある。wikiを見ると、「ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん, 英:Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が、アメリカ・インディアンに扮装して、港に停泊中のイギリス船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷の紅茶箱をボストン湾に投棄した事件。アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。」
これらボストンから反英で立ち上がった一族をボストンバラモンといい、その中のひとつがキャボット家であった。

さて、ボストンの茶会事件から米国独立運動が始まったといっても過言ではないが、それに至るまでの考察はそう簡単ではないので、今後の課題とします。実は今勉強中なのです。あしからず。