マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

実は誕生日でした。

2010年12月07日 19時49分05秒 | ひとりごと
こっそり言います。実は今日はマヨちゃんの誕生日なのです。59歳になりました。
身長は178cm、体重は現在73kg。高校時代から3キロ増えているが、ほぼベストである。うどん屋に従事した8月は78kgだったので、それだけ体が締まったわけである。ウェストは約90cmから87cmに減り、昔のズボンが楽勝ではけるようになった。めでたしめでたし・・・・。
ご飯もたくさん食べれるし、コーヒーも一日5杯、タバコはやや減り、40本程度である。(いそがしくて二箱がやっとである。)

夢の年金生活まであと6年、この調子で頑張れそうな気がしているところに年金機構から「ねんきん定期便」が届いた。そこに65歳から受け取れる年金額が書いてある。「なんだ?これぽっち?」というのが本音だな。
「ねえ、パリ、これだけの年金じゃ夢に見た年金生活はできそうにないね。」
「仕方がないわよ、あなたの給料、安いもん・・・・」
「あ、そうか・・・、でも基金は別枠だろ?」
「さあ、給付を引き下げるって言ってたじゃない。当てに出来ないわよ。」
「そうか、仕方がない、死ぬまでうどん屋をやるしかないってか?」
「そういうことね。」、「うーん・・・・」

うどん屋に従事して四ヶ月が経過したが、すこぶる健康になってしまった。何よりも早寝早起き、まいにち時間に追われ、超規則正しい生活。休む暇も遊ぶ暇もない。以前のブログ三昧のぐうたら生活とはえらい違いである。それが健康に良いとするならこのまま行くしかないではないか。
おそらくサボったらすぐにもとの木阿弥、いわゆるメタボ体型に逆戻り。やっぱし貧乏人は一生懸命に働くしかないか・・・・・・。

正直、自分が59歳との自覚はできていない。まだ50歳ぐらいのつもりだし、周りもとてもそんな歳に見えないといってくれる。若い人たちと競いながら仕事をするのは楽しいし、仕事か遊びか区別がつかないぐらいだ。
誕生日に思うのは、遂にこの歳になってつくづくこれが天職なのだと気づいたと言うことである。仕事は確かにきついけど、でも少しも苦痛はない。毎日心地よい疲れを感じるだけである。

皆さんに言いたいのだ。苦しみながら生活のために仕事をしてはいけない。貧乏でも楽しく、笑顔で出来る仕事を探すべきだ。自分に向いている仕事は何なのか、それは自分で見つけるしかないが・・・。人並みの生活をするため、車や家のローンを返すため自分に向いていない仕事をしてはいけない。ましてや家族や子供のためと自分に言い聞かせるような事をしてはいけない。奥さんも子供も楽しく働いている父親を見たいのだ。
貧乏は決して恥ずかしくはない。金のために魂を売り渡した人間など少しもうらやましくない。毎日夜の街で遊びまわっている奴など人間のくずと言ってやろう。自分の人生は自分のものである。自分が楽しくなくてどうする?

誕生日に際し、過去の色々な事をすべて結果オーライとし、残りの人生を精一杯楽しませてもらおうと自分に言い聞かせているところである。