←今日もまた頑張って更新いたしますので、「ブレンド日記」を応援してやってください。
クリックよろしくです。
≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁
WBCも終わり、すっかり抜け殻ようになっています。
それにしても放映中は 一回一回応援に力が入り 疲れました。
ブログもうまく書けないような・・
で、少し前に読んだ本の感想です。
歳を重ねて、ある日ふと 何の気なしに過去を振り返ったとき、「遠くまで来たなぁ」という感覚。最近この感覚が頭から離れない。振り向いた先にいるのは当然自分自身の姿で、だからこそ読み残しの本を読まなくちゃ 悔いが残る。
そういう思いで 古典を読みあさっています。
時々トンボの本を横取りしていますが・・
≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁
太宰は嫌いだった。
学生時代、本好きの友達が読んでいたので、かじってみたけど、ほとんど読みかけで、最後まで読んだ本は一冊もなかった
それというのも 女性関係にだらしがなくて、そして小説も弱い自分のそのだらしがないどろどろした生活を基に書いていたんだと思っていた。そういう生き方は絶対に許せない、と思っていたこともある。
年を重ねて行く内 太宰の本を読み残していると、置いてきぼりを食ったような気がして なーんか心に引っかかるものがあった。 それだから 生誕100年という記事を目にして、積読だった太宰を本箱から引っ張り出して 誇りを払い、読んでみようかなそう思った。
そんなときたまたま 朝日新聞の百年読書会で「斜陽」の感想文の募集を目にした。よし!これを機会に読んでみるか・・(尤も 短編で綺麗な内容の本は5,6冊読んでいるのだけど。)
読み始めて驚いた。あらあらあら・・ぐいぐい引き込まれていく。最近ないがしろにしてきた文体とか文章力といった表現能力に引き込まれるのだ。偉そうだけど、やっぱり基本的な作文がしっかりしているのだと思う。
この物語は 太宰らしい中年の作家と、その作家に恋をする姉のかず子、生きていく能力がないと、自分を評する弟の直治、最後の貴婦人といわれるような立ち居振る舞いの母。
これだけの ある没落貴族の家庭を舞台に、登場人物四人四様の滅びの姿を描いたものなのだ。
読めば読むほど、太宰という作家は、自己の弱さや、孤独、生い立ちの宿命と闘いながら、そしてその弱さにうんざりしながらも 酒と女に溺れ そうすることしかできない気持ちを 文章にすることにより、本能のまま生きている、その極限状況に追い込んでからの人間の真の姿を描いているんだと思う。
(余談ですが、ここまでの文章は投稿した文です。)
ついでに「人間失格」も読んでみようと思った。
恥の多い生涯を送ってきました。
の書き出しから始まる三つの手記で綴られる葉造という太宰らしき男の物語なのだけど。
”自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。”
というように、人の顔色をうかがい 自分の意志で何も行動することができない、葉蔵は酒、女、に溺れ 人間失格との刻印を自ら押してしまう。
葉蔵はやがて人間であるという恐怖をまぎらすために、酒、煙草、淫売婦にのめりこむ。やがて葉蔵は一人の女性と心中を試みるが、女性は死に、自分は助かる。
というようなほとんど自叙伝風なのだ。でも・・
この物語の中でこんな箇所
『食べ残した三粒のご飯でも、一千万人が一日それだけ残せば山ほどのコメを無駄にするという錯覚に悩まされたりもします。僕も食べ物を残したり、無駄遣いをしたりすると、「これだけのものをもし寄付していればあるいは世界の貧しい人々の何人かの命を救えたかもしれない」と後悔することがあります。また、いくら開発援助といっても、全世界の人の生活レベルが日本人と同じになったら世界の環境は一週間も持たないでしょう。』
そして自分の生が果たして他の生と比べて生きるに値するのか、自分は生きるに値するのかと思い悩むところ・・。こういうところは葉蔵に共感するところもある。
あれだけ嫌いだった太宰治。
いまこんなに新鮮で 面白く読めるのは やはり歳をとったせいだろうか・・・
雨 のち曇り 9℃ 寒い。
クリックよろしくです。
≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁
WBCも終わり、すっかり抜け殻ようになっています。
それにしても放映中は 一回一回応援に力が入り 疲れました。
ブログもうまく書けないような・・
で、少し前に読んだ本の感想です。
歳を重ねて、ある日ふと 何の気なしに過去を振り返ったとき、「遠くまで来たなぁ」という感覚。最近この感覚が頭から離れない。振り向いた先にいるのは当然自分自身の姿で、だからこそ読み残しの本を読まなくちゃ 悔いが残る。
そういう思いで 古典を読みあさっています。
時々トンボの本を横取りしていますが・・
≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁
太宰は嫌いだった。
学生時代、本好きの友達が読んでいたので、かじってみたけど、ほとんど読みかけで、最後まで読んだ本は一冊もなかった
それというのも 女性関係にだらしがなくて、そして小説も弱い自分のそのだらしがないどろどろした生活を基に書いていたんだと思っていた。そういう生き方は絶対に許せない、と思っていたこともある。
年を重ねて行く内 太宰の本を読み残していると、置いてきぼりを食ったような気がして なーんか心に引っかかるものがあった。 それだから 生誕100年という記事を目にして、積読だった太宰を本箱から引っ張り出して 誇りを払い、読んでみようかなそう思った。
そんなときたまたま 朝日新聞の百年読書会で「斜陽」の感想文の募集を目にした。よし!これを機会に読んでみるか・・(尤も 短編で綺麗な内容の本は5,6冊読んでいるのだけど。)
読み始めて驚いた。あらあらあら・・ぐいぐい引き込まれていく。最近ないがしろにしてきた文体とか文章力といった表現能力に引き込まれるのだ。偉そうだけど、やっぱり基本的な作文がしっかりしているのだと思う。
この物語は 太宰らしい中年の作家と、その作家に恋をする姉のかず子、生きていく能力がないと、自分を評する弟の直治、最後の貴婦人といわれるような立ち居振る舞いの母。
これだけの ある没落貴族の家庭を舞台に、登場人物四人四様の滅びの姿を描いたものなのだ。
読めば読むほど、太宰という作家は、自己の弱さや、孤独、生い立ちの宿命と闘いながら、そしてその弱さにうんざりしながらも 酒と女に溺れ そうすることしかできない気持ちを 文章にすることにより、本能のまま生きている、その極限状況に追い込んでからの人間の真の姿を描いているんだと思う。
(余談ですが、ここまでの文章は投稿した文です。)
ついでに「人間失格」も読んでみようと思った。
恥の多い生涯を送ってきました。
の書き出しから始まる三つの手記で綴られる葉造という太宰らしき男の物語なのだけど。
”自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。”
というように、人の顔色をうかがい 自分の意志で何も行動することができない、葉蔵は酒、女、に溺れ 人間失格との刻印を自ら押してしまう。
葉蔵はやがて人間であるという恐怖をまぎらすために、酒、煙草、淫売婦にのめりこむ。やがて葉蔵は一人の女性と心中を試みるが、女性は死に、自分は助かる。
というようなほとんど自叙伝風なのだ。でも・・
この物語の中でこんな箇所
『食べ残した三粒のご飯でも、一千万人が一日それだけ残せば山ほどのコメを無駄にするという錯覚に悩まされたりもします。僕も食べ物を残したり、無駄遣いをしたりすると、「これだけのものをもし寄付していればあるいは世界の貧しい人々の何人かの命を救えたかもしれない」と後悔することがあります。また、いくら開発援助といっても、全世界の人の生活レベルが日本人と同じになったら世界の環境は一週間も持たないでしょう。』
そして自分の生が果たして他の生と比べて生きるに値するのか、自分は生きるに値するのかと思い悩むところ・・。こういうところは葉蔵に共感するところもある。
あれだけ嫌いだった太宰治。
いまこんなに新鮮で 面白く読めるのは やはり歳をとったせいだろうか・・・
雨 のち曇り 9℃ 寒い。
今、大手家電専門店のバナー広告を掲載いただける優良なサイト様に個別にお声掛けさせて頂いております。
サイトを拝見したところ魅力的な内容で是非広告主様にオススメしたいと思い、勝手ながら書き込ませて頂きました。
少しでもご興味をお持ち頂けましたら、詳細をご案内させていただきますので是非こちらからご連絡いただけますでしょうか。
http://followmail.jp/affiliate/118/0
3月29日までにご協力頂いたサイト様には通常の広告報酬に加え、特別報酬をお支払いさせて頂いております。
ご質問ございましたら”My”アフィリエイト スカウト事務局(http://followmail.jp/affiliate/contact/)までお願い致します。
最後にこの度のご連絡で不快な思いをされた方には誠に申し訳ございません。重ねてお詫び申し上げます。