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学生時代歴史の時間を よほどちゃんと聞いてなかったのだろう。
読み進むうち「へぇ そうなんだ、へぇ 知らなかった。」そんな思いにばかりになる本。
わたしが選んだ本ではない。
長いこと茶の道を、研鑽しているトンボの娘さんのTちゃんのお勧めの本なのだ。
「見せていただきありがとうございました。心安らかに日々送ることができるような気がします。」というような言葉をそえてお返ししたくなるような そんな本だ。
<物語>
卓越した審美眼を持ち、刀の抜き身のごとき鋭さを感じさせる若者が恋に落ちた。堺の魚屋(ととや)の息子・千与四郎。後に茶の湯を大成した男・千利休である。女のものと思われる「緑釉の香合」を肌身離さず持つ利休は、己の美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、気に入られ、天下一の茶頭に昇り詰めていく。利休は一茶人にとどまらず、秀吉の参謀としてその力を如何なく発揮。秀吉の天下取りを強力に後押しした。しかし、その鋭さゆえに、やがて対立。秀吉に嫌われ、切腹を命ぜられる。(紹介文より・・)
読み始めは 秀吉に死を賜った利休。そして物語はその切腹の直前から始まる。
「美」に対して、どこまでも貪欲だった利休。それに対して、物事のすべてに貪欲だった秀吉。対照的でもある二人には、内側に秘めた燃えるような思いという共通点がったのだけど。
この本のテーマは、利休の「美」に対する探究心の源。これだと思う。
その「美」の探求の原点は 利休が19際のころ出会った、美しい高麗の女性。この女性との悲恋が、あの一畳半の茶室を生み、そして究極の「侘び」「寂」を生んだのではないかと思う。
しかし、人という生き物は頂点に立つと 人の持っている物何でも手にいれたくなるのか、それとも、つねに自分の地位に不安があるから何でも手に入れておかなければならないのか、私は頂点に立ったことないから理解できないけど、秀吉は自分は到底かなわないであろう、利休の「美」までこの世から消そうとしているのだ。
「美」とは主観の究極であるからして、それをどう受け止めるのか 形のあるものではないし。
関白からの寵愛が、激しい嫌悪感に転じたとき、決して折り合わぬ二人の運命に
ヒトとしての性(さが)というものは、古今ほとんど進歩がない、いや変わらないものだそんな感じを受けた。
生きることに必死で、侘び、寂の世界に踏み込んだこともない不調法な私にも、なんとなく、なるほど、そういうものなのか とわからせれくれるような本でした。
この本で印象に残った一節
人が必要以上に欲をもたず、つねに穏やかな平常心と、聡き心を持っていれば、世の中はどれほど住みやすいか。
人の世はむさぼり、いかり、おろかさの三毒の焔にみちあふれている。
志にまで高め 高きをめざしてむさぼり、凡ようであることに怒り、おろかなまではげめばいかがでございましょう・・・
つくづく そうだよねぇ と思ってしまう。
晴れ 夏日 28℃
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学生時代歴史の時間を よほどちゃんと聞いてなかったのだろう。
読み進むうち「へぇ そうなんだ、へぇ 知らなかった。」そんな思いにばかりになる本。
わたしが選んだ本ではない。
長いこと茶の道を、研鑽しているトンボの娘さんのTちゃんのお勧めの本なのだ。
「見せていただきありがとうございました。心安らかに日々送ることができるような気がします。」というような言葉をそえてお返ししたくなるような そんな本だ。
<物語>
卓越した審美眼を持ち、刀の抜き身のごとき鋭さを感じさせる若者が恋に落ちた。堺の魚屋(ととや)の息子・千与四郎。後に茶の湯を大成した男・千利休である。女のものと思われる「緑釉の香合」を肌身離さず持つ利休は、己の美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、気に入られ、天下一の茶頭に昇り詰めていく。利休は一茶人にとどまらず、秀吉の参謀としてその力を如何なく発揮。秀吉の天下取りを強力に後押しした。しかし、その鋭さゆえに、やがて対立。秀吉に嫌われ、切腹を命ぜられる。(紹介文より・・)
読み始めは 秀吉に死を賜った利休。そして物語はその切腹の直前から始まる。
「美」に対して、どこまでも貪欲だった利休。それに対して、物事のすべてに貪欲だった秀吉。対照的でもある二人には、内側に秘めた燃えるような思いという共通点がったのだけど。
この本のテーマは、利休の「美」に対する探究心の源。これだと思う。
その「美」の探求の原点は 利休が19際のころ出会った、美しい高麗の女性。この女性との悲恋が、あの一畳半の茶室を生み、そして究極の「侘び」「寂」を生んだのではないかと思う。
しかし、人という生き物は頂点に立つと 人の持っている物何でも手にいれたくなるのか、それとも、つねに自分の地位に不安があるから何でも手に入れておかなければならないのか、私は頂点に立ったことないから理解できないけど、秀吉は自分は到底かなわないであろう、利休の「美」までこの世から消そうとしているのだ。
「美」とは主観の究極であるからして、それをどう受け止めるのか 形のあるものではないし。
関白からの寵愛が、激しい嫌悪感に転じたとき、決して折り合わぬ二人の運命に
ヒトとしての性(さが)というものは、古今ほとんど進歩がない、いや変わらないものだそんな感じを受けた。
生きることに必死で、侘び、寂の世界に踏み込んだこともない不調法な私にも、なんとなく、なるほど、そういうものなのか とわからせれくれるような本でした。
この本で印象に残った一節
人が必要以上に欲をもたず、つねに穏やかな平常心と、聡き心を持っていれば、世の中はどれほど住みやすいか。
人の世はむさぼり、いかり、おろかさの三毒の焔にみちあふれている。
志にまで高め 高きをめざしてむさぼり、凡ようであることに怒り、おろかなまではげめばいかがでございましょう・・・
つくづく そうだよねぇ と思ってしまう。
晴れ 夏日 28℃