ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

8月15日に寄せて・・

2006年08月16日 | 四方山話
 う~ん、散々迷ったんだけど、(生半可な知識で生意気じゃないかと・・)やはり、書くことにした。

8月15日 終戦記念日。
思っていた通り 小泉首相がこの日靖国神社を参拝した。
「いつ行っても批判を受ける、ならば今日が適切な日ではないか・・」
小泉劇場のフィナーレは小泉美学の自画自賛のパフォーマンスに見えた。

 昇殿参拝方式をとり、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳したらしい。
単純思考回路の私は難しいことはわからないが、赤紙一枚で戦場に送られ、しかも片道燃料、おまけに命と引き換えに敵艦に突入して若い命を無駄死にさせられた一兵卒と、それをさせたA級戦犯が同じところに神として祭られているところに、一国の総理が参拝しそれを、心の問題、として片付けてしまうにはあまりにも狭量さが目につく。

 昨日の続きじゃないが、子が親を殺す、親が子を殺す、そんな殺伐とした今の世の中、当時家族を守るため戦った兵士たちのことを考えたら、複雑な気持ちになるのも無理はないと、思うのだが・・

 話は少し変わるが、義父(夫の父)は、終戦間際の20年3月にフィリッピン沖で戦死した。
義母は「戦死の通報を受けても、子供たち5人を育てていかなければならないので、悲しんでる暇はなかったよ、当時国から1000円の見舞金をもらったが、いつの間にかなくなってしまった。」
そうは言っても、「毎晩お仏壇の前に座れば『戦争がなければこんなことにならなかったのに。』と涙が止まらなかった、子供の前では見せられなかったけど、」
そういってたが、三十路半ばで後家になり、子供を育てていくのは本当に大変だったろう。戦争を体験している人は強い、到底私には真似できない、義母には頭が下がる思いだった。
そして、戦後すぐに浜田にも天皇陛下が来られたらしい、しかし決して義母は顔を見に行かなかったらしい。

それでというわけじゃないけど、私の愛読書「戦中派不戦日記」の昭和20年8月15日を読んでみた。

8月15日 炎天
 帝国ツイニ敵ニ屈ス。
これだけ記されていた。この短い文章の中にすべての気持ちが込められている、そう思った。

ちなみに前日の14日の書き出しが
国難!幼い日にきいたこの言葉は、何という壮絶な響きを含んでいたろうか。国難!今呼んで見て、それは何という恐ろしい言葉だろう云々・・

戦争は嫌だ、二度としてはいけない。
そんな思いの複雑な日でした。
晴れ 33℃ 炎天。