アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

還暦パパ アユタヤで迷子に

2008年06月05日 | Weblog

 60歳が灼熱のアユタヤを自転車でぇ?!(下) 
   ~還暦パパ、タイへ行く⑩ 迷子になったパパ~

 四世紀にわたるゴミ捨て場・・・

 バンコク中央駅発チェンマイ行き(還暦パパはアユタヤで降りる)の列車は、9時25分に発車。発車から30分間ほどの車窓からの眺めは、「汚い!」ゴミだらけ。18世紀後半から、辺りかまわずゴミを捨て続けてきた?家も…雨が降ったら中は水浸しだろうなと思えるものが続く。サイクロンが来たら、間違いなく、皆吹っ飛ぶ!BTSが走り、巨大デパートが立ち並び、こぎれいなファッションの人々が行き交うバンコクとは、全く対極にあるバンコク。これがバンコクの裏側。列車に乗ったから見られたもの。
 向かいの席では、御飯を食べ始めた、御飯をラップでまとめたようなもの(おにぎりではない。そのようにして、売っている。自分の家で弁当など作るはずがないんです)指でつまんでパクパクと、御飯だけを食べている。
 1時間ほど行くと、水田が現れた。ゴミが目立たなくなってなんだか安心した。水田1枚の面積は、陸上競技の400mのトラックほど。広い!
 自主的車内販売は、駅で停車するごとに新手が現れる。とうとう、「物乞い」まで現れたぁ!足が不自由(?)らしく、スケボーのようなものに乗って・・・。もう、何が来ても驚かない。2時間は、飽きることなく過ぎ、いよいよアユタヤ!11時35分に到着。

 アユタヤは広かった

 さっそく、トゥクトゥクのお兄さんが声をかけてきた。トゥクトゥクは、タイ独特のモーター三輪車。還暦世代なら知っている、「ミゼット」をもっと素朴にしたようなアレ。トゥクトゥクの生産は、すでに停止されているので現在走っているものが動けなくなることにより減っていき、姿を消すことになる。乗車体験は今のうち。
 「トゥクトゥクの3時間コースどおですかぁ」
 「いらない。自転車で回るから」
 「無理無理。アユタヤは広いんだよ」
 「自転車で回りたいんだぁ。ところで、貸し自転車屋は何処?」
 「あっちだ!」
 「ありがとう」
 お兄さん、逆方向を教えやがった。意地悪な奴だ。おかげで、暑い中を余分に歩かなければならなかった。歩いていると、また別のトゥクトゥクのお兄さんが声をかけてくる。振り切るのが結構大変。冷たくあしらえないんだよねえ。
 駅前の通りを渡って、レンタル自転車屋を発見。1日借りて、40バーツ(120円)。貸し自転車と、食堂と、売店をきりもりしているおばちゃんが、「(午後)6時までに帰ってきてねー」と言って、ガリ版刷りのような地図をくれた。地図に、「インフォーメーションセンター」を見つけ、まずそこへ行くことにした。自転車を持って、チャオプラヤー川の渡し船に乗ってアユタヤ市内へ。渡し船は、5バーツ(15円)。
 自転車を10分漕いでも、20分漕いでもインフォーメーションセンターに着かない。地図では、数分の距離のように見えるのに。そのうちに、遺跡を2カ所見物し、「エレファントライド」まあ、早い話が、「ゾウ乗り場」に到着。ゾウの直径20cmの球体の糞も拝ませていただいた。通常、自転車が通らないところまで通って(それが還暦パパのいいところ)40分かけて、インフォーメンションセンターに到着。いやあ!アユタヤは広い!日本語のパンフレットも、地図もいただいたが、「雑!」。地図のあまりにも大まかなこと。わざわざ時間をかけて行かなくてもよかった。
 木の根に埋まった仏像、名前は分からないが(早い話が、読めない)美しい寺院跡、3つの仏塔が残っている寺院跡。次々と見所(寺院跡、仏塔)が現れる。好きな人は何日も居たいだろうなあ。

 自転車による観光について

 自転車は正解だった。ただ、問題は、アユタヤの広さと、交通量の多さ。車は、自転車の還暦オヤジなどに注意してくれない。交通事故に遭わないよう細心の注意が必要。コレは、何処でも同じか。水を常に補給してさえおけば、36℃の中を自転車で行くのは快適(見栄とか、意地っ張りではないです。本当にそう思うのです)。見物場所の効率化から考えて、トゥクトゥク利用も悪くはないでしょうが、あの振動に耐えられるか?トゥクトゥクは、見物箇所を限定して値段交渉し、利用するのが賢いかと。3時間もトゥクトゥクなら尻が割れてしまいますよ。え?はじめから割れているって!
 アユタヤ世界遺産自転車巡り、出会った範囲で同様に自転車で回っていたのは、アメリカ人が5人(男3人、女2人、ニューハーフはどうかは尋ねなかった)、日本人が1人(男子)であった。なぜか、旧知のように談笑した。「ホリディーか?」の問いに、「私は、年中ホリディーさ」と答えたら、「ウッ」と、つまっていた。通じなかったらしい。日本人は、大学生で、「雨期のため、タイツアーへの格安商品があったので」とのこと。学業はどうした!学業は!などとは言いません。21歳の若者がタイを旅する。立派な学業です。

 迷子になった還暦パパ

 さて、日本男児60歳。アユタヤを自転車で疾走。夕刻の列車でバンコクへ帰ろうと、駅を目指した。行けども行けども遺跡はあるが、渡し船乗り場に着かない。思いの外広いのである。トゥクトゥクの意地悪兄ちゃんの言葉が脳裏をよぎる、「無理無理、アユタヤは広いんだよ」。
 そこへスコール。折からマーケットがあったので、雨宿り。時間が早いのか客がまばら。マーケット見物をしているうちに晴れた。世間話のターゲットも見あたらなかったので、再び渡し船乗り場を目指した。
 川が見えた。「お、近いな!」と、見ると、対岸への吊り橋が。渡し船の運賃の5バーツを浮かそうという訳ではないが、橋があるなら渡ればいい。自転車を持って渡る人などいない作り・・・秘密の橋だなコレ。大きな川で、増水しているので落ちたらナマズのエサに・・・。無事渡りきり、駅を探した。妙だ?駅前通りの喧噪らしきものが全くない。実に静か。建物の中から、授業中の先生の声が。学校かあ。
 ありゃあ?!道が途切れて川だ。では別の方向へ、これまた川だ。もう一カ所・・・やはり川だ・・・。なんなんだ?焦って闇雲に走ったが、駅へ行く道がない。迷った。6時までに自転車を返さなければ。しかし、間に合うだろか?この迷路のようなところから抜け出せるのか?
 人がいた!テニスコートで、なにやら作業の打ち合わせをしていたお兄さんに声をかけた。
 「迷ったんだけど、アユタヤ駅はどっち?」
 「地図持ってる?(地図を渡した)オー日本語!」日本語であることが分かるレベルの人だった。
  「これは、bad mapだよ!」
 「ホント!コレじゃあ分からない。案内するよ」
 親切な人がいるものである。話しかけてきた人ならきっと詐欺師なのだが、話しかけたのはこちら。相手は正真正銘ものすごく親切な人。
 なんと、先ほど苦労して自転車を持って渡ってきたあの橋をまた引き返した。トホホ。
 「ここは、川に囲まれた島なんだ。小さな中州の島で、造船学校があるのさ」合点がいった。どっちへ行っても川だったので、狐につままれたような(狐が人をつまむかどうか?)感じだったので。
 「この先2km行くと、左手に船着き場あるからね。」
 私は、厚くお礼を言って出発した。100mほど行くと、「プップー」と後方からクランクション。なんとさっきのお兄さんが、オートバイで追いかけてきた。
 「後を付いてきなさい」という。心配して来てくれたのだった。
 もうそれこそ必死でオートバイを追いかけた。尻を浮かして自転車を漕ぎ、車を縫うようにして。「アユタヤ市内自転車乗り大会」があれば、上位入賞間違いなしだろう。私自身は必死だったが、第三者が見たら「元気な若者」に見えただろうなあ。若々しいぞ!還暦パパ!自分で言うなってがぁ!
 お兄さん(造船学校の教職員でしょうか)は、時折「日本人のおやじさんついてきているかな」と後ろを振り返ってくれた。
 お兄さんは、船着き場に着き、「おーい客だよ」と舟に声をかけ、切符売りのおばさんに、「日本人だよ」と、教えた。日本人は珍しくないだろうが、自転車で迷って島の造船学校へ闖入する日本人は後にも先にも還暦パパだけでしょうねえ・・・。彼は、私が舟に乗り込むまで見届けてくれた。良い人っているんですねえ。
 アユタヤへ行って何が良かったか?やはり、「人の心の優しさと行動へ移すことの素晴らしさを具体的に再認識させられた」ですねえ!

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