アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

イエズス会?イエス様の会なら、「イエスズ会」でしょう!?

2013年04月05日 | Weblog
 3月末の送別会のとき…送別される女性介助員の挨拶に驚かされました。どんな挨拶だったか…
 「この度、イエズス会出身のローマ法王が誕生しました。私は喜びでいっぱいです…」そうだったのか!この介助員さんは、イエズス会だったんだぁ!恥ずかしい話、「イエスズ会」だとばかり思っておりました…!そうゆう話じゃないか!
 退任の挨拶がそれだけだったのかって?格調高く、「ローマ法王」で始まった挨拶でしたが、後半はオカルト…

 「去年の4月、この職場の駐車場に車を停めました。帰りにフロントガラスのワイパーに紙が挟まっていました。その紙に、『ここに駐車しないでください』と、書かれてありました。私は、ああ、今年限りで辞めてくれという意味だなと感じました。ですから、辞めます」
 なんなんでしょうか?これも、イエスズじゃなかった、イエズス会の陰謀か?

 イエズス会と聞いてすぐに頭に浮かぶのは、もちろん、新渡戸稲造さん。「武士道」には大変お世話になりました。私の思想と、ピッタリ一致。恩師って感じです。NHKの大河ドラマ「八重の桜」の人気から、新渡戸さんの「武士道」が、読まれているのだそうで…なぜかって?会津藩校日新館「什の掟」の、「ならぬことはならぬものです」が武士道を謳っているからです。

 武士道の全てがいいですが、特に選べといわれると…第5章の仁(benevolence)、惻隠の情(the feeling of distress)でしょうか。
 愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは、常に至高の徳である。仁は、優しい母のような徳。孟子は「惻隠の情は仁のルーツである」と。か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、とくにサムライに似つかわしいものと称揚されたわけで…素晴らしい!

 稲造自身、「仁」を実践しておりまして…人助けの逸話が多い。
 札幌から旭川に農業を教えに行った帰りの馬車に、初老の男と若い娘が乗り合わせた。男は旭川で娘を買い、札幌に売りに行くところだった。稲造は男が娘を買った以上の金で娘を買い取った。すぐに旭川へ返すわけにはいかなかった。なぜなら、娘が戻るとその家はまた食うものにも困る暮らしが待っており、再び娘を売らなければならなくなるから。稲造は、娘を自宅へ連れ帰り、妻とともに育てた。武士ですよ!そして、中学にも通わせた。仕事が出来るようになった娘を旭川に帰した。

 私だって、人助けの逸話は…あるにはある。一昨年は、倒れている老婆を助けたし…しかも二人も!今年は、雪山に突っ込んで動けなくなっていた乗用車を助けました。ドライバーはお婆さんでした。どーも、婆さんばかり助けるなあ?!娘さんをたすけたことは…ないなあ。
 札幌へ、娘を売りに行く途中の男には遭遇していないので、娘を買値以上で買い戻すことは、まだできていません。なかなか馬車をみつけられないもので…