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もんく [とある港街の住人]

先生は興味が無い

今日初めて聞いた。マレーシアの学校の事。それ聞いて、なるほどなと思った。日本じゃあり得ないなあ、とも。


マレーシアの学校の先生は生徒が理解したかしないかに興味が無いそうだ。先生は一方的に授業で生徒が覚えるべき事を言う。でも、それで生徒がわかったっかどうか確かめたりはしない。宿題を出しても実際に生徒がやってきたかどうかも確認しない。

それが一般的な先生のスタイルだそう。これとは別のやり方がもう1つあって、それは中華系の学校の先生。そちらはひどく厳しい。わからないとムチで容赦無く叩く。意識の高い親はマレーでもインド系でも厳しい中華系の学校に入れるとか。

って事は、マレーシアに生まれると子供は究極の選択の中に置かれると言う事か。まあ、どこでも同じで子供は自分で入る小学校を選択するなんて事は無いわけだし、生まれる国だって選べないわけだから、それは運としか言いようが無いなあ。


ところで、仕事でマレーシアにいるといつも気になる事があるけれど、これを聞いて納得できると思った。例えば誰かに仕事を頼んだ後、例えば問題が発生してその対策に関して関係者にあれは結局その後どうしたのかと聞く場合だ。その時の多くの答えは "もう誰々に言ってある" なのだ。英語だとalreadyを使う。

この "already言った" が90%以上、ほぼ100%返ってくる。

いや、待て待て、聞いているのは言ったかどうかじゃない、それでその結果どうなったのか、だ。が、already氏 はその先は興味が無い。自分は言ったから自分の義務は果たした、自分の仕事は済んだと思っている。後は相手次第だと。

これは非常に興味深い事だ。言って受け取ったかどうかは相手次第。そこから受け取れたか、言った事に従うかどうかはあちらの責任なのだ。仕事で同じ間違いが繰り返されてもそれなら自分の責任にはならない。なぜなら自分は "言った" と言う正しさが既にあるから。言ったでそこに境界線が引かれる。地面に棒で自分の周りに線を引いて、ここから中は自分の陣地、外は知らないよ、となる。

もう1つ重要なのは、フィードバックを受け付けないと言うところだ。結果が悪くてもそれは相手の事だ。自分は言った事で正しい事をした。つまり誰が聞いても正しそうな事だけ言う。そこで終わるので自分の言った事に対して反省する機会は無い。つまり向上する事ができない。


ここまで書いたところで工場からトラブルの連絡。
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