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もんく [とある南端港街の住人になった人]

これまで数年間の仕事上の反省とは

人生には数々の失敗が付き物。細かい事を含めれば毎日何回も何回も失敗している。たまには猫に美味しいご飯をと思ってカリカリじゃない柔らかいキャットフードを奮発して2袋も買ったが全く食べなくて泣く泣く捨てる羽目になったのは最近の失敗。そんなの予想できるかい!

ま、それは小銭程度の失敗ではあるけれど、仕事上の失敗は少し深刻だ。が、こっちも予測できない面もあるにはあるが。最近の大失敗の例は以下。

今の仕事場は工場のある一部門。大きな機械を動かし、外国人作業者が働いている。夜勤もあるのでなかなか全てに目が届かない。

なので2年ほど前からマレーシア人の現場管理者を設定した。もちろんマレーシア人がどんなものか、自分には完全に理解できているとは言えない。それがやはり基本的な間違いの元だったと今は思う。その中でマレーシア人の現場管理者を最初に2人、その後に1人を入れていた。

最初の2人は若く仕事経験がほぼ無い。後の1人は仕事経験のある年齢は少し上。結局どちらもダメだった、と言う失敗。


その意味は先日の他の部署とのミーティングでの発言によく表れている。

問題は外国人作業者が作業順序を間違えると言うところだった。手順書はある。ただ、外国人作業者にはそこに書いてある英語が読めない。英語と言っても文章ではなく短い単語と絵だけだ。が、それでも十分に理解できているとは言えない。そこで現場管理者がわかるように手取り足取りでも教える必要がある。

現場管理者はそのために手順書の内容を理解していなければならない。間違ったとしたらそれを指摘して直してあげなければならない。そして正しい作業であると確認までする必要がある。

さて、その席での現場管理者の発言は、「言葉が十分に通じない」のみだった。言ってもわからないと言うもの。

日頃の仕事ぶりを見ているとそれは単なる言い訳に過ぎない。と言うのは明らかに間違っている作業手順をその場で気付けないのだ。もう少しよく見てみると、現在の現場管理者のみでなく、以前の者も含めて彼らの課題は人に命令する事だけに焦点が当たっている。

つまりは、自らはその業務の内容を知らなくても命令はする。結果がどうなるかには焦点が無く、命令だけして相手が聞けば良いと言う事だ。なので言葉が通じないにどうしても焦点が絞られる。どのように何を具体的に指示するとわかるかではない。


もう1つの典型例例が先日あった。

生産品の検査結果が仕様よりほんの少しズレていた時だ。その表を作業者に示して、ズレているぞ、と指摘した。指摘はしたがそれに対する修正方法は何も言わなかった。実際の修正方法は、微妙に異なる症状によっていくつかある。作業者は、その方法を知っていればそのうちのどれかを採用するが、少しのズレでどれを採用すれば良いかはわかりにくかった。

左右バランスを調整するのか、全体のレベルを変えるのか、そのための実際の設定変更箇所もいくつかある。が、それであっても、それを作業者が知っていればの話だ。もし経験の浅い作業者であった場合には指摘された後に何をすれば良いかはわからない。具体的に何をどう修正すれば良いかを絶対に言い、そしてその結果を確認する必要がある。

が、管理者は間違いを指摘する事に終始するのみである。

これは実は他の現場を見ても同じ事になっている。スーパーバイザーと言うような立場の者もいるが、何をやっているかと言うと実際の業務を管理して正常に保つのに役立ってはいない。ルールを守れ、規律正しく行動せよと概念的な事を言うに過ぎない。その上のマネージャークラスであっても全く同様で部下の仕事の内容を細かく知ってお膳立てしようとする者は誰一人としていない。

結果、間違いが起きたらその者を叱責するに留まる。具体的な改善策は示された事が無い。

こうした事を理解せずに管理、マネージする立場の者を設定するのは大変な間違いであったと考える。作業管理であっても実務的なルーチンワークのような機能として置くのが良いのかも知れない。ただ、そんな部下のいない仕事をするために会社と言う組織に留まって仕事を続けられる者はマレーシアにはいないかもしれない。
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