午後からパンを仕入れに行ってきた。いつもの村のパン屋。
オーブンをまた新しく買ったそうで、古い方のオーブンが外に出されていて焼き上がる様子を見る事ができるようになっていた。以前はここでちょっとしたカフェをやっていたがコロナでそれもできなくなっていたのでオーブンの置き場兼、鶏の遊び場になったよいだ。
ちなみに鶏は食用でなく卵用だとの事。それにしても大きくて見た事のないタイプの鶏だな。いつかマレーシアを離れる時にここのパンが食べられなくなるのが一番惜しいと今から思っている。
FBで友人が日本はいつもその場限りの事しかしないと言っていた。つまり戦略的に長いスパンで物事を考えて実行する事が無いと言う意味だ。まあ、そう、その通りだろう。
生きていて不安と言うものを多くの人が抱く。抱いている。その中に少し先に起きるか起きないかどちらだろう?と言うのがけっこうある。原子力発電所があるが、また大地震が起きたらどうなるんだろう? 関東大震災もまたあるかもしれないし、富士山もそろそろ噴火しそう。東南海地震もありそう。そこで、じゃあ、何かそれに対して行われていて不安が完全かそれに近い状態で取り除かれているかと言うと、全くそうではない。
高齢の研究者が毎年ノーベル賞取っているが、今現在の日本は論文数が減少していてもう少しあいたらノーベル賞取れる人がいなくなりそう。そもそも研究のための予算がどんどん削られていて学位保持者への待遇も悪い。これで将来国を潤す事のできる新規産業が出てくるのか?答えなし。
税金や社会保障費がどんどん上がっているけれど、賃金は落ちていてだんだんと貧困者が多くなっている。これも答えなし。
コロナで可能な限り家で仕事してください。でもまだ通勤時刻の電車はとても混んでいてラッシュアワーは続いている。これ、知る限り1970年代から変わってない。つまり答えなし。
なぜ答えが無いのだろう?こんな状況でも誰もこれに真剣に取り組んで来なかったし、誰もが仕方ないとか自分の考える事じゃないと言い続けて来たから。もちろんそれは自分も含むとしてだが。それにしても、我々はずっとそんな事に何も答えを出さない人達を選んできてしまった。残念だが国が衰退するってのはそう言う事なんだろう。