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もんく [とある南端港街の住人になった人]

良くも悪くも「評価される」場所に置く事

最近あるサイトで短い小説をいくつか読ませてもらった。たぶん、いずれもプロじゃない人が書いたもので、どうもそこで行われているコンテストに出品しているものだそうだ。けっこう数が多かったけれど、短いのでけっこう読める。

それがね、よく書けてるんだよね。すごいよく書けている。でもね、個人的な嗜好からすると全然面白くない。好きな人にはきっとたまらないんだと思う。だって同じ感じのを出品している人がたくさんいたから。これは作品がダメって意味じゃなくて嗜好の問題だなと思った。

そりゃそうだよね、何十億円使って大作映画作っても嗜好に合わなきゃ全然面白くないのと同じ事。でも、そうやって好みってものも塊が作られるんだよね。その塊作る人って元はそんなに人数が多くないんじゃないかな?数人とか?なんかそんな感じがする。まあいいけど。

 

メジャーになって何が良いかって言うと、これはたぶんだけど、お金とかよりも重要なのは、良くも悪くも「評価される」場所にいられるって事だと思うよ。めちゃくちゃダメ出しされても評価されるのはやっぱり良い事だよ。無視より1万倍良い。

そこ行くまでにアウトプットの場所決めて、そこで評価されるフォーマットに合わせるって事になるとちょっと逆な感じだけど。仕方ないんだろうな。どうしても人って合わせるのが上手だからその場に合った書き方をしてしまう。それで、どれ読んでも皆同じ人が書いたみたいになってたりする。作家性って何だろうな?とちょっと思う。

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