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もんく [とある南端港街の住人になった人]

学んでも従うな

昨日また家の修理に来て、前回ダメだった地上階の洗面所の天井を通っている水道のパイプを修理した。

例によってそのパイプ、斜めにテキトーに通されていて固定されていない。右から左少し斜め上へ行って上の天井に入る前にエルボーで左に曲がりそのすぐ後に上に曲がる変な配管になっていた。そのエルボーからの漏れだった。接着剤が白化していたからちゃんと乾く前に水を通したと思われる。

そんな作りでもマレーシアでは高級戸建て住宅なのだ。信じられないでしょ?



今日はつぶあんときなこの5歳の誕生日。
うん、よくここまで来た。何度か死にそうになりながらもよく頑張った。よかったよかった。
野良のままだったらきっと2年程度で死んでたと思うから嬉しい。
あと10年は頑張ろう。



老害と言う言葉がある。

先日、年長者からのアドバイスはこれからの社会では有害になると言うようなのを言っている人がいた。きっと多くがそうだ、そうだと言うと思う。そうだよね。これまで使えていた知識が次の時代には使えなくなる。古くなる。そして方法論もそうなるから。

でも、待って待って。前提条件もちゃんと考えた方が良いよ。例えば日本以外の国ではどうなの?国や教育や人生やいろいろなシステムが違う場所でも老害はあるの?これは微妙だよね。時代が進んでテクノロジーは変わるし社会の在り方も意識も変わるからきっと日本と同じようにあの人の言う事は古いと鼻をつままれるのはありそう。

でもね、もっと長い目で見ればテクノロジーだって社会の在り方だって全て前の時代の上に積み重ねてきてるのは間違いない事。もちろん積み上げの中には否定も含まれると思う。でもそれでもそれは積み上げには違いないし。


時々これの事を書くけど、「UNIXと言う考え方」(マイク・ガンカルツ)と言う本があって、これは別にコンピュータ関係本のバイブルでもないんだけど、今起きてる変化のその方法論とか原理みたいなのが書いてあると思って良いと思う。Windowsなんかよりずっと古いUNIX系のOSがこんなに使われてる(Androidとか)のは時代も人もどんどん変わっても積み上げてるからで、オープンソースだって時間を経るに従って行われる積み上げを期待して公開してるからなわけ。

簡単に言うと、そう言うのやってる人は皆、ジジイの言う事をちゃんと学んでるってわけ。数学とか化学とか物理学もいろいろな文系科目だって全部実はその分野の歴史を学んでるに過ぎないわけだからジジイどころか既に骨になったり灰になった古い人から間接的に学んでるって事になる。でも、老害とは言われない。


何が違うかって言うと、老害と感じるのも実際の老害氏も、日本では「学ぶ」って事と「従う」って事の区別をちゃんとしてないって事だと思うよ。日本は何か習得する時、まず真似をする。師匠がいて弟子がいるけど、師匠は弟子に親切にあれこれ教えない。弟子は師匠の技を盗む事で学ぶ。

マレーシアではこう言うのが全然ないし、慣れてないからマレーシア人には全然できない。

以前に仕事で試作品の納期が迫っていて管理職も技術職も全員で手作業して間に合わせようとなった時、自分が最初にやって見せた。とても丁寧に。間違うと困るから。結果として、誰一人真似できなかった。そう言う訓練がマレーシアの教育の中にはが多分無い。仕事でエンジニアと言う人が自分の分野に関わる基本作業を全然できないのは、マレーシアは覚える事が重点になっていて多分実習がほぼ無いからだと思う。日本の大学は機械科なら手を油にして機械をいじるってのがあるけどマレーシアはそもそも発想が違ってて、そんな汚い仕事をしたくないから大学に行く。

日本はそれとはずいぶん違う。小学校から先生の手本通りに文字を書くとか言われた通りに整列したりと言う真似、従うが学ぶと同時に入ってくる。だから先生は教える機能以上に師であって、偉くって、なりたい目標であって、となっている。

だから学ぶ方も学ばせる方も、学ぶと従うをいつでも重ねてしか考えない。だから老害と悪く言ったり、実作に老害として振る舞う。規格の合ってるプラグとソケットになっている。


と言うわけで、じゃ、学ぶから従うを外せば良いじゃない、と言う発想は自然に出てくる。そう、UNIXやオープンソースやってる人みたいにすれば良いじゃないって事。

でも、これをするには大きな障害がある。日本には。だって、スキルや知識がいつもネットとか本とかじゃなくて人に常に属してしまっているから。ある人が退職すると技術が消えるとたまにニュースなどで聞くけど、日本は徒弟制度っぽくずっとそれやってきた。だから何かできるって言ってもその中のは田中さんと相川さんと向原さんがいてできてた。彼らはずっとやってきたからそれを知ってて、経験とか言うけど、そこから物を言うし、学ぶには従うしかない。デカい障害だ。

会社何してたんだ!って事だけど、マネジメント無くでも相川さんみたいな人が出てくるから成立しちゃってて何も危機感がない。つまりきっと何もしてない。日本あるあるだ。実は今の会社でも日本から人が時々来るけど、それをよく感じる。ちゃんとした技術標準的な書き物は全然無くて誰々が言うから正しい的になってる。

つまりは、年長者からのアドバイスがいけないんじゃなくてね、アドバイスを聞いて、同時に従わないといけないって習慣がダメなんだと思う。もし紙にいちいちまとめて書かれて教科書みたいになってれば別に相手は物だからって従う必要なんかない。時代遅れは修正すれば良いわけだし。

老害って言ってる方も言われてる方も同じ狭い通路に立ってるって事だよね。学んでも従うな、が正しいでしょう。そして、その為には知識や経験を人の中に保存して(させて)おかないでどこか簡単にアクセスできるところに保管し直すべきでしょう。
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