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もんく [とある南端港街の住人になった人]

正しい事言う人は、実は考えてないのかもしれない

何か正しい事を言う人と言うには多い。

正しい事、言ってるんだからそれは間違いじゃないし、
誰に文句言われるとか批判される筋合いは無い。
それはそれで良いと思う。

が、最近思うのは、正しい事を言う人は、実は、
考えていないのじゃないか、と言う事。


右側通行しましょう、廊下を走らないようにしましょう、
電車に乗る時、切符を買う時は列に並びましょう。
うーん、正しい。
正しすぎるほど正しい。

でも、それって自分で考えて言ってないよね?

単に正しいんである。
意味も無く。


そう言う世の中の一般的なルールとかモラル、
そうした事ばかりじゃなくて、他の分野でも正しいと言う事はある。

仕事をするとき、これはこう言うルールが設定されている。
だからこうするのが正しい、と言うのもある。
これはローカルルールだけれど、ルールが設定されている以上
そこに正しさと言うのはある。

トイレでたばこを吸ってはいけません。
と言うルールがあって、たばこを吸ってしまった人に対して
ここで吸うな、と言うのは正しい。

でも、考えていないと言うのは感じる。
なぜ、その人はここでたばこを吸いたくなってしまったのか?
その人はルールをわかっているのに吸ってしまったのはなぜか?
その人ばかりじゃなくていつか誰か他にもそうする人が出てくるのは
なぜなのか?
ルールを守れない理由があるのかもしれない。
もしかするとルールの中には無理を強制している事があるのかもしれない。

でも、吸うなと言う人は単に正しい事を言う。
つまり考えない。



例えば、物を作る時、
これはこう設計したら良いと誰かが言う。
それは正しい。
誰も文句言えない正しい設計と言うのはできる。

でも出来てみたら使えないと言うのは実際にある。


例えば取り付け出来てもメンテナンスが面倒過ぎて誰もしない。
使うのに必要なスキルが高すぎて使いこなせない。
それを使うといつもの仕事と違う面倒な作業が増えてダメ。
管理が面倒でつい使わなくなる、など。


いろいろ世の中には正しいと言う事があって、
その正しさを推し進めると良いように多くの人が思う。
けれどもそれが実際はかなり限定的な環境下での正しさであったり、
一般にそう言うけれども自分の周囲の特殊環境を考慮していない
など、正しさに限界がある事、
それを考えないのも多くの人がする事のように思う。
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