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もんく [とある南端港街の住人になった人]

キツツキ

キャサリンさん、時々言う。こんな仕事辞めちゃえば!? どうせバカらしいでしょう?、今みたいな仕事。それに皆ちゃんとやろうとなんてしてないだろうし。



確かにそうかも知れない。でも、今の仕事場だけがそうだとも言えないな。これまで経験してきたいくつもの会社だって程度は違えど似たような所はあった。合理的納得できた仕事場なんてそんなに世の中には多くないかも知れない。

そして本当に楽しくやれる場所ってそう多くあるだろうか?

仕事てのはだいたいにしてどれも他人の為にやるわけだし、まして会社ってとこでやるのであれば仕事の枠組みすら自分で用意したものじゃない。それはもちろん自分で後から変えられる部分もあるにしても。



そう思うと、それを変えられないのはある部分、自分のせいでもある。別に耐えるなんて必要はないのでどうしてもダメなら辞めて別の仕事すれば良い。

変えるってのはある部分はとても容易で、これは知らない人から見たら想像を超えるほど。変えられる部分を変えるにはどうすれば良いかと言うと、枠組みを無視すれば良い。



でも、全然変えられない部分もある。

多くの人は枠が窮屈と言いながらもそれがある事で安心感を得る。何か事件があると規制しろ規制しろとうるさく言うのと同じ。他人がズルい事して自分より利益を得るのもそれによって損するのも嫌なのだ。だから規則が必要である程度自由でない方が好きだ。

それに規則があれば自分でその事について考えたり悩んだり、他人と意見を調整しなくて済むから楽だ。



大半の人がそう言うのを自然と思って生きているのが現代社会と言える。

それである人たちは近代から現代にかけて「自由」ってものをテーマにしてきている。でもそんなの一番の意識高い人だけで、多くはその反対だ。多くが反対だから逆にそれがテーマとして成立するとも言えるけれど。



自分はそんな意識高い系ではない。それに世の中みたいなデッカいものはもとより、会社とかそう言ったごく小さいものすら変えられないわけで、それはすなわち自分の実力なんてそんな程度のものなのである。

とすれば、キャサリンさんに言われるほど大した事のないバカげた職場にもある程度は耐えなければならないとも言える。皆さんがそうしているように。



そして、辞めると言う事はすなわち撤退であり、自分のある部分において敗北でもあるだろう。全部じゃないにしても。

でも、負けは多くても構わない。最終的にそれで死にはしないから。



と言うわけで、生キツツキ初めて見たのは昨日。パン屋さんにもうシュトーレンが出ていたのと参列者のもの凄い多い結婚式に出たのは今日の事。
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