
だからまだ感動していないのだ。
ウワサでは、マレーシアで観ると同性愛を思わせる部分が大幅にカットされていて大幅に意味が無いストーリーに変化してしまっているとか。そんなにで観る価値あるのかどうかよくわからない。ミュージック・ビデオとして観るならYoutubeがあるわけだし。
そう言う意味もで実は無いが、Youtubeで最近Queenのビデオが多いので観ている。
へぇ〜、Queentってこんなだったっけね。Queenがデビューして日本で紹介された頃、自分はロックと言う音楽自体よくわかっていなかった。ビートルズ位はもう市民権を得ていたけれど大人はまだ不健全な印象があったから積極的に子供に触れさせるものじゃなかったのだと思う。それに自分の親なんてマヒナスターズとか裕次郎とかそんなの聞いてた人だったし。
と、余談が長くなってしまったが、Youtubeでボヘミアンラプソディーを聞いているとちょっと不思議な感覚と言うか、違和感と言うか、理解不能的な感覚に襲われる。
人の話によると、ボヘミアンラプソディーと言う曲はフレディーマーキュリーが自分がゲイだったと悟った時に書かれたとの事。
ママ、僕は人を殺しちゃったよ。頭にガンを押し付けて引鉄を引いたんだ。それで現実を認めてこれから生きるんだ。これまでの自分を自分だと思ってくれていた皆さん、さようなら。僕はもう戻りません、お元気で。
おお、神様、僕を行かせて....
うーん.... すごい苦しそう。そりゃそうだ、これが自分だと思っていたものが実際そうじゃなくて全く違う自分だったといきなりわかったわけだから。
そこで感じるのが、それはその苦しい心情がよく歌われているには違いないけれど、だとしたら、そんな苦しい歌を自分自身で何度も何度も何度も人前で歌ってどうなんだろう?、とね。苦しいのリピートは苦しいをべき乗で倍増させるんじゃないのだろうか?
あの凝りに凝った構成の歌を作るだけでも酷く大変そうなものだ。よほど噛み締めないと出来るものじゃない気がする。そしてさらに何度も何度も歌うなんて。
とすると、フレディマーキュリーはそもそもあの歌を作った時にはもう戻りません、さようならになってスッキリしてしまっていたのかなあ? そうすると、ボヘミアンラプソディーは世に出た時点で既に燃えカスだったのかなぁ?
とりあえず、そのうちちゃんと映画観よう。
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