温泉クンの旅日記

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赤穂温泉(2) 兵庫・赤穂

2021-09-26 | 温泉エッセイ
  <赤穂温泉(2) 兵庫・赤穂>

 朝方、ベッドでがばりと目を覚ますと、いつものようにタオルを持ち温泉に向かう。昨日の到着時よりは、比較的落ち着いた足取りで。
 浴室には誰もいなかったので、ゆっくりと掛け湯を浴びてから浴槽に身体をするりと沈めた。

 

 昨日の夕方、近辺の手ごろな居酒屋を探したのだが休業だったり、入口に灰皿を設置されていてつまり店内禁煙らしかったりで、早々にあきらめてコンビニで買い物をして部屋で酒盛りをすることにしたのだった。コロナ禍の最近、こういうのが多い。

 

 
 
 内風呂、露天風呂そして内風呂と入ってから、締めと仕上げの掛け湯を存分に浴びる。

 部屋に戻りお茶で一服し、着替えてパンと豆乳の朝食を食べながら、さて今日はこれからどうしようかと考える。
(そういえば・・・途中に大石神社というのがあったな)
 フロントに降り、大石神社までの道筋がわかる簡単な地図でももらおうとすると、送迎バスで送ってくれるという。ありがたい。旅先では人の親切は素直に受けたほうがいいとしたものだ。

 大石内蔵助といえば、もちろん思い浮かぶのは忠臣蔵とか赤穂浪士であろう。
 その昔、<東映オールスター時代劇>というのがあって、東映のスター俳優が盆と正月の年に二回、スクリーンで一同に会する。有名なところで、任侠シリーズ「任侠清水港」、「天保水滸伝」や「水戸黄門」、「赤穂浪士」などがあった。
 赤穂事件はわたしも映画で知ったのだった。

『時は元禄14年3月14日、江戸城松乃廊下で赤穂藩主「浅野内匠頭」が「吉良上野介」に斬りかかる。
 事件当時は朝廷の使者を接待していたこともあり、五代将軍綱吉は激怒、刃傷事件を起こした浅野内匠頭は切腹、領地没収の上改易という処分。ただし、喧嘩両成敗であるべき当の相手の吉良上野介には、なんとお咎めなしであった。
 赤穂城も明け渡しとなり、浅野家家臣は、反発の意思表示のため籠城や切腹も検討されたが、浅野家再興の道を考えて予定通り明け渡すこととしたのだった』

 

「橋を渡って門を抜けたら、道なりに進めば神社は右手にみえてきますので」
 わたし独りを乗せ、送ってくれた運転手が教えてくれる。
 赤穂城の大手門に架けられた橋を渡る。橋の先、右手にみえるのは「三の丸大手隅櫓」である。

 

 遠くに見える五つ倉らしきものは「赤穂市立歴史博物館」で、「塩と義士の館」の愛称で赤穂の塩・赤穂の城と城下町・赤穂義士・旧赤穂上水道の四つをテーマとして歴史資料を展示しているそうだ。

 

 

(博物館か・・・今日はいいや、大石神社だけにしておこう)

 赤穂大石神社は、播州赤穂城内、大石内蔵助の屋敷跡にある。

 

 

 石鳥居から神門に続く真っ直ぐな参道の両脇には、四十七義士の石像がずらりと並んでいる。
 神門は楠木正成を祀る神戸の湊川神社の創建当時の門で、昭和17年(1942年)に移築されたものである。

 

 門を入ったところの左右には、社運隆昌と商売繁盛の「恵比寿さま」と開運招福と夫婦円満の「大黒さま」の木像が守護している。像をお参りなでることでご神徳をいただいてくれ、と書いてあった。

 

 境内を真っ直ぐ、すこし歩いたところに拝殿がある。朝が早いので、他の参拝客は誰もいなかった。

 

 赤穂神社の祭神である旧赤穂藩主浅野家・森家の祖霊と、大石神社祭神の大石内蔵助良雄ら赤穂浪士四十七人、および事件を早駕籠で知らせるも中途で自害した萱野重美(通称:萱野三平)を主祭神とする。
 主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因んで、「大願成就」の神徳で信仰を集めている。

 酒場で地酒というのは叶わなかったが、名物を食べ温泉に入り、ちょっぴりの観光もして、これで播州赤穂という土地をしっかりと記憶に刻みこんだ。
 ところで、いまのわたしにとっての「大願」とはいったいなんだろう。そう思いながら、播州赤穂駅に向かうのだった。なに、大願ほどではないが、「中願」くらいならわたしにはまだまだいっぱいあるのだ。


  →「赤穂温泉(1) 兵庫・赤穂」の記事はこちら


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