<縁日のお好み焼き>
横浜から横須賀方面に走る京浜急行線に、各駅停車しか止まらない「弘明寺」という小さな駅がある。
難しい読みだが「ぐみようじ」と読む。
駅から東方面に向かい、短く曲がった急坂を降りきると「瑞応山蓮華院弘明寺」の仁王門(山門)がある。
千二百年以上前に創建された横浜市内最古の真言宗の寺院で、行基が刻んだといわれる本尊の秘仏「弘明寺観音(木造十一面観音立像)」は国の重要文化財だ。また、空海が彫刻した双身歓喜天(弘明寺聖天)も安置されている。
山門から地下鉄の駅がある鎌倉街道まで一直線に参道がのびているのだが、その大部分が「かんのん通り」と呼ばれるアーケード商店街である。頭上に架けられたアーケードは全長三百メートルを超す立派なものだ。
いわゆるシャッター商店街などではなく、両側に店がずらりとならんだ活気のある商店街で、歴史のある和装店や和菓子店などもある。
五月下旬から九月上旬まで、弘明寺では「三八(さんぱち)」といって「三」の付く日は観音の、「八」の付く日は聖天の縁日となっている。ちなみに伊勢佐木町の縁日は「一六(いちろく)」の日に行われる。
縁日はとくに子どもたちが休みである夏場が盛りあがる。
さまざまな露天がかんのん通り商店街を埋め尽くす。
本日の縁日はというと平日であるのだが、金魚すくいや、金魚すくいの流れをくむ泳いでいる玩具の鯨みたいのを釣るゲーム、射的、射的と同じようなシステムでボールをぶつける露天もあった。
食べ物系屋台ではチキンステーキ、フランクフルト、焼きそば、綿飴、たこ焼き、かき氷、焼きポテト、焼きトウモロコシなど。チキンステーキがかなり人気があった。
ところで昔の縁日は凄かった。
商店街の空き地をうまく使っておどろおどろしい見世物小屋までつくって、「ろくろ首」とか「乳房が三つある美少女」なんて額縁を入り口に掲げて呼び込みしていて、子ども心にもドキドキしたものだ。
秘密の少年探偵団セットなどを袋に詰めて売っている店があったり、怪しい仕掛けのキットなどを売っていた。わたしもセットは買わなかったが少年探偵手帳なんてのを買ってしまった。
名画を尖った小さな箸の先でなぞると、その動きをもう一つのペン先に伝えて置かれた白紙にその名画が綺麗に拡大模写できる仕掛けのセットを売っていて、これは思わず買ってしまった記憶がある。
ガラスのケースのなかに大きさがさまざまな箱ビスケットだったりイチゴ飴だったりがはいっていて、紐がそこからガラスケースの外にまで伸びていて、子どもは金を払い紐を「きっとこれが大きいぞ」と選んで引っ張る、なんてのもあったな。ルーレットを廻して当たりハズレがある駄菓子売りもいた・・・。
おっと、思い出話をしていてもしょうがない。今日来たのには目的があるのである。
長い商店街の中央を大岡川が横切っていて、観音橋が架けられている。川沿いの両側には桜並木となっていて、弘明寺の境内であった弘明寺公園とともに横浜の桜の名所だ。
その観音橋のたもとにでているお好み焼きである。このショバには代々旨いお好み焼きの屋台しか出店できないと、弘明寺に詳しいひとは知っているのだ。
いた、いた。
チキンステーキに負けないほど、客がけっこう並んでいる。
わたしは、食べ物系で並ぶのは大嫌いだが列の後ろについた。
十人ほど並んだ先客だが、ひとりひとりが何人前も買うのでえらく時間がかかる。
「みんな一個づつ買えば回転が速いのに、何人前も買うからいけねえ」
わたしの前にいたオジサンが声高にいって、わたしが無言で賛同の頷きを返す。
鉄板の上の半分が現在作成中のお好み焼きで、山盛りのキャベツの真ん中に玉子を落としきると、バターを包丁で削ぎきった一片をそれぞれに載せている。
それから、桜エビやら天かす、削り節、ショウガなどを順に載せていった。豚肉とかその他一般的な具もはいっているのだろう。裂きイカもはいったかもしれない。
鉄板の残りの半分に、ひっくり返されて焼きあがり完成間近のお好み焼きが、生地に山芋をいれたのだろう旨そうなどら焼きのような色合いで並んでいる。客がなんと言おうが、生焼にならないようにじっくりと時間を掛ける良心的な屋台だ。手抜きはしないのだ。
頃合いになって、ソースを塗って完成したお好み焼きを手際よくパックに詰めた。
「おいくつ?」
と訊かれた前のオッサンが、
「ふたつ!」
と、きっぱり言ったのには腰が抜けそうに吃驚した。
こんだけさ待たされたからさ、とオジサンはブツブツ言い訳をしてそそくさと暗がりに消えた。
わたしもひとつを買い求めると、川沿いの暗がりであまりの旨さに一気に食べてしまった。画像を撮るのもすっかり忘れてしまったほどだ。縁日とかの露店屋台で、わたしがお好み焼きを食べるのはここだけである。
弘明寺のお好み焼きはそれほど旨いのである。
味にうるさい西日本にひとにも、ぜひ縁日にきたら食べてもらいたい味である。
けど、行列が増えるのは困るので、あんまり教えたくないのが本音である。
横浜から横須賀方面に走る京浜急行線に、各駅停車しか止まらない「弘明寺」という小さな駅がある。
難しい読みだが「ぐみようじ」と読む。
駅から東方面に向かい、短く曲がった急坂を降りきると「瑞応山蓮華院弘明寺」の仁王門(山門)がある。
千二百年以上前に創建された横浜市内最古の真言宗の寺院で、行基が刻んだといわれる本尊の秘仏「弘明寺観音(木造十一面観音立像)」は国の重要文化財だ。また、空海が彫刻した双身歓喜天(弘明寺聖天)も安置されている。
山門から地下鉄の駅がある鎌倉街道まで一直線に参道がのびているのだが、その大部分が「かんのん通り」と呼ばれるアーケード商店街である。頭上に架けられたアーケードは全長三百メートルを超す立派なものだ。
いわゆるシャッター商店街などではなく、両側に店がずらりとならんだ活気のある商店街で、歴史のある和装店や和菓子店などもある。
五月下旬から九月上旬まで、弘明寺では「三八(さんぱち)」といって「三」の付く日は観音の、「八」の付く日は聖天の縁日となっている。ちなみに伊勢佐木町の縁日は「一六(いちろく)」の日に行われる。
縁日はとくに子どもたちが休みである夏場が盛りあがる。
さまざまな露天がかんのん通り商店街を埋め尽くす。
本日の縁日はというと平日であるのだが、金魚すくいや、金魚すくいの流れをくむ泳いでいる玩具の鯨みたいのを釣るゲーム、射的、射的と同じようなシステムでボールをぶつける露天もあった。
食べ物系屋台ではチキンステーキ、フランクフルト、焼きそば、綿飴、たこ焼き、かき氷、焼きポテト、焼きトウモロコシなど。チキンステーキがかなり人気があった。
ところで昔の縁日は凄かった。
商店街の空き地をうまく使っておどろおどろしい見世物小屋までつくって、「ろくろ首」とか「乳房が三つある美少女」なんて額縁を入り口に掲げて呼び込みしていて、子ども心にもドキドキしたものだ。
秘密の少年探偵団セットなどを袋に詰めて売っている店があったり、怪しい仕掛けのキットなどを売っていた。わたしもセットは買わなかったが少年探偵手帳なんてのを買ってしまった。
名画を尖った小さな箸の先でなぞると、その動きをもう一つのペン先に伝えて置かれた白紙にその名画が綺麗に拡大模写できる仕掛けのセットを売っていて、これは思わず買ってしまった記憶がある。
ガラスのケースのなかに大きさがさまざまな箱ビスケットだったりイチゴ飴だったりがはいっていて、紐がそこからガラスケースの外にまで伸びていて、子どもは金を払い紐を「きっとこれが大きいぞ」と選んで引っ張る、なんてのもあったな。ルーレットを廻して当たりハズレがある駄菓子売りもいた・・・。
おっと、思い出話をしていてもしょうがない。今日来たのには目的があるのである。
長い商店街の中央を大岡川が横切っていて、観音橋が架けられている。川沿いの両側には桜並木となっていて、弘明寺の境内であった弘明寺公園とともに横浜の桜の名所だ。
その観音橋のたもとにでているお好み焼きである。このショバには代々旨いお好み焼きの屋台しか出店できないと、弘明寺に詳しいひとは知っているのだ。
いた、いた。
チキンステーキに負けないほど、客がけっこう並んでいる。
わたしは、食べ物系で並ぶのは大嫌いだが列の後ろについた。
十人ほど並んだ先客だが、ひとりひとりが何人前も買うのでえらく時間がかかる。
「みんな一個づつ買えば回転が速いのに、何人前も買うからいけねえ」
わたしの前にいたオジサンが声高にいって、わたしが無言で賛同の頷きを返す。
鉄板の上の半分が現在作成中のお好み焼きで、山盛りのキャベツの真ん中に玉子を落としきると、バターを包丁で削ぎきった一片をそれぞれに載せている。
それから、桜エビやら天かす、削り節、ショウガなどを順に載せていった。豚肉とかその他一般的な具もはいっているのだろう。裂きイカもはいったかもしれない。
鉄板の残りの半分に、ひっくり返されて焼きあがり完成間近のお好み焼きが、生地に山芋をいれたのだろう旨そうなどら焼きのような色合いで並んでいる。客がなんと言おうが、生焼にならないようにじっくりと時間を掛ける良心的な屋台だ。手抜きはしないのだ。
頃合いになって、ソースを塗って完成したお好み焼きを手際よくパックに詰めた。
「おいくつ?」
と訊かれた前のオッサンが、
「ふたつ!」
と、きっぱり言ったのには腰が抜けそうに吃驚した。
こんだけさ待たされたからさ、とオジサンはブツブツ言い訳をしてそそくさと暗がりに消えた。
わたしもひとつを買い求めると、川沿いの暗がりであまりの旨さに一気に食べてしまった。画像を撮るのもすっかり忘れてしまったほどだ。縁日とかの露店屋台で、わたしがお好み焼きを食べるのはここだけである。
弘明寺のお好み焼きはそれほど旨いのである。
味にうるさい西日本にひとにも、ぜひ縁日にきたら食べてもらいたい味である。
けど、行列が増えるのは困るので、あんまり教えたくないのが本音である。
本題はこの話ではなくて、実は写真に写っている場所はもともと縁日とは無関係にお好み焼屋さんの屋台が商売をやっていた場所なんです。いつでも行くと美味しい広島風のお好み焼が食べれたわけですが、今から20年以上も前にやめてしまったようです。必ず新聞紙に折りたたんでつつまれ外側はグリーンの包装紙を巻いて渡されるんですが、とにかく何とも言えない美味しさで非常に懐かしいです。
弘明寺の事取り上げていただき感謝します。ありがとうございました
ジツはこの前の縁日の日に、またお好み焼きが食べたくなって遠路はるばる行ってみたのですが、屋台は残念ながら出ていませんでした。
その、やめてしまったお好み焼き屋さんですが、たぶんわたしの友人であるS一家だったと思います。
あのお好み焼きは旨かったですね。一番安いのでもとても満足できる味でした。
弘明寺には懐かしい総菜屋があって、離れてからもよくシウマイ、ポテトフライ、コロッケ、メンチを買いにいきました。
その惣菜屋も店をやめてしまったので、いまや縁日くらいしか訪れることはなくなってしまいましたが、なにしろ懐かしい町なので、また行ってみます。