ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

ソウル朗読会と 記念詩 故郷ー済州島を訪ねて (2011年11月27,28日)

2020-09-22 15:20:11 | 詩・コラム
  「朝鮮学校無償化除外反対のソウル朗読会」と故郷-済州島を訪ねて早や10年近い月日が流れました。

  2011年11月27日、朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーの韓国版と、権海考さんのエッセーと朝鮮学校の子供たちの絵が収録された「私の心の中の朝鮮学校」が同時出版され、ソウルでの出版記念朗読会に詩人の河津聖恵さんと共に招待されました。







 私は「ふるさと」をウリマルで朗読し、河津さんは「ハッキョへの坂」を1連はウリマルでそのあとは日本語で朗読しました。





 権海考さんも挨拶に立たれ、この日初めてじかにお話をしました。





 そのあと二人でホ・ナムギ先生が1948年に書かれた「これが俺たちの学校だ」をバイリンガルで朗読しました。





 次の日11月28日の朝,河津さんは日本に帰り、私は故郷ー済州島を生まれて初めて訪ね、

 祖父が生まれ、父が生まれ、今は兄が一人住む故郷の家を初めて訪ねました。




 そして30年前に異国の地で亡くなり「死んでからでも故郷の地に埋めてくれ」と言い残された父の遺言を守り、

 長兄が埋葬してくれた小高い共同墓地を訪ね、初めて両親のお墓参りをいたしました。




 たった一日の故郷訪問でしたが感無量で、記念詩がすぐ出来上がりました。再掲いたします。


「記念詩」故郷―済州島を訪ねて


1.故郷の我が家

 
 
           
飛行機に身をまかせれば
2時間で辿り着く故郷の大地を
60数年の歳月をかけて
やっと 踏みしめた

この家で生まれた 祖父と父
長兄と甥たちが生まれ育った処
代々守ってくれた 西帰浦の
夢にも捜し求めた ふるさとの家

密柑畑に囲まれた故郷の我が家には 
門がなかった 鍵もなかった
いつでも帰っておいでと
両腕ひろげて待っていてくれた

庭先に足を踏み入れれば
たわわに 実った 密柑が
甘酢っぱい香りを漂わせ
うれしそうに 迎えてくれた

背中が曲がるほど はたらき続け
数知れず送り続けた 苗木や農機具
両親の深い思いやりと 長兄の汗と涙が
密柑畑に豊作をもたらしたのか

密柑をひと粒 噛みしめると
またたくまに広がる 蜜のような甘さ
生まれて初めて食べた我が家のみかん
なぜだか 胸がつまり 涙が溢れた

家族がいつも集い 笑い 泣き 助け合う
唯 それだけを夢見て生きた 父と母
その夢叶わず 異国の地で果てた悔しさ
ひとり佇む長兄はすでに70を越えたのに

張り裂けそうな痛みと 再会の喜びが交差し
涙でくしゃくしゃになった兄の手を取れば
真っ青な故郷の空は 暖かいまなざしで
私の胸を やさしく 溶かしてくれた


2.海の見える丘で

            
アボジ、オンニョが来ました 30年ぶりに
オモニ、あなたの娘ですよ 分かりますか?
愚かなこの娘の 参拝を受けてください

親不孝者と叱ってください
馬鹿者と罵ってください

でもこの娘は
あなた方の恥ずかしくない娘でいたくて
歯を食い縛り 今日やっと海を渡りました

アボジ、オモニ
西帰浦の海が見えます
水平線の彼方に漁船が浮かんでいます

必ず故郷の地に埋めてと願われた
あなた方の想い通りこの地に祭りました
海の見える 風致麗しき 共同墓地に

生前あれほど長兄に会いたがっていたのに
今は長兄を独り占めしているんですね
雑草取りやお酒も欠かさないそうですね

私、いつのまにか 孫が5人ですよ
定年のその日までがむしゃらに働きました
あなた方の前で 胸を張りたくて

友人たちが両親の墓参りに行くたび
なぜ私は行けないのかと嘆きもし
他人を羨んでばかりいました

でも やっと 安堵しました
子守唄のように聞いていた懐かしい故郷で
美しい海を見ていたら心が和みました

私たちの心配はもうしないで下さいね
やっとひとつに繋がりました 家族が
全ての憂いを忘れ安らかにお眠り下さい


3.鬼タンポポ
            

オモニのお墓で 雑草を刈っていたら
墓地のてっぺんに愛らしい花が咲いていた
黄色くて ちっちゃな 10cmほどの花

花の名前を尋ねてみたら
村の人が親切に教えてくれたっけ
外国から飛んできた鬼タンポポだそうな

風に運ばれてきたのか
雲に乗ってきたのか
あまにりにも愛らしくてじっと見つめた

ふるさと済州島は 何処を見ても絶景なのに
母のお墓がそんなに気に入り舞い降りたのか
鬼タンポポ 鬼タンポポ 愛しい花よ

椿に コスモス この地に花は多々咲けど
母と共に過ごしてくれた 優しい花
鬼タンポポ そおっと摘んで押し花にした

たとえ ふたたび この地を離れても
鬼タンポポと共に 故郷を胸に抱いて帰ろう
恋しい時 おまえを見つめ 母を思い出そう


4.古びた鍋ひとつ

           
故郷の家の いくつもの部屋を覗き
広々とした台所にも 入ってみたら
ガスコンロの上に ぽつんと鍋ひとつ

何十年使い続けた鍋だろうか
今はすっかり古くなってしまった鍋
蓋をそっと開けてみると
食べ残しの味噌汁が入っていた

この鍋で祖母は 兄のためおつゆを作り
畑仕事で荒れた手で兄嫁は 数十年の間
家族のため 食事の支度をした事だろう

長女は留学したアメリカで教授になり
教師になった息子はソウルに赴任し
記者になった末娘は釜山に行ってしまった
ひとり去りふたり去り 愛妻まで先立ち

また一人ぼっちになった長兄は
朝晩どんな気持ちで食事を作り
この鍋と共に月日を過ごしたのだろうか

広すぎる台所の ガスコンロの上に
寂しそうに置かれた 鍋ひとつ
食べ残しの味噌汁が入っていた


5.この冬に打ち勝てば
       

ふるさとの家の 屋上にあがり
周りを見渡せば
こじんまりとした村が眼下にひろがる

ゆったりと流れる静かなふるさとの時間
子供のように兄の腕にしがみつき
ただ座っているだけでもこみ上げる喜び

お酒が好きで 怒鳴ることが好きなのも
髪の薄いのまでアボジにあまりにも似て
ひそかに思った 血筋には逆らえないと

あの話この話に 花が咲き
何十年の空白が瞬時に埋め尽くされたとき
大きなかめを指差し兄が突然話してくれた

七歳の時 ハルモニと二人暮らしだった時
私が生まれた まさにその年の<4・3事件>
討伐隊が我が家にも襲ってきたそうだ

危機一髪の瞬間 大きなかめをスッポリかぶせ
兄を匿い助けた 機知に溢れたハルモニの話
初めて聞いたその話に 胸は どきどき

祖母の助けがなかったらこの世にいなかったと
豪快に笑う兄が なお 痛ましくて
おもわず涙をこぼしてしまった 馬鹿な私

どれほど 恐かっただろう 心細かっただろう
七歳で すでに 血の海を見てしまったなんて
長兄が歩んできた 波乱万丈な人生の1ページ

今日 去れば また いつ会えるだろうか
食事はどうするのだろう 洗濯はいつするの?
寒さは段々増すのに オンドルは誰が焚くの?

あの心配この心配で胸は痛むばかりなのに
何食わぬ顔で 兄は 妹を笑わせようと
笑い話を懸命にしつづける

木枯らし舞う この冬を打ち勝てば
私たち またきっと 会えるよね?
暖かい新春を一緒に迎えねばね 兄さん!

  2011年11月末日


「기념시」 고향-제주도를 찾아서

           

1.나의 고향집 

           

비행기에 몸을 맡기면 
두시간이면 가닿을 고향땅을
예순해를 넘겨서야
간신히 밟았구나 

여기서 태여나신 할아버지와 아버지
큰오빠와 조카들이 나서자란 곳
대대로 지켜온 서귀포의 
꿈결에도 찾던 나의 고향집

밀감밭에 둘러싸인 내 고향집엔 
대문이 없었어라 쇠도 없었어라
그 언제건 돌아오라고
량팔 벌려 기다려준 정다운 집

앞마당에 들어서니
무르익은 밀감이 나무마다 주렁주렁
달콤세큼한 향기 날리며
어서 오라 반기며 맞아주는듯

등뼈가 휘도록 일하여 번 돈으로
수십번을 보내신 모나무며 농기구들 
부모님의 정성과 큰오빠의 피땀이 
밀감풍년 이루어 우릴 맞아주었구나

한쪼각 입에 넣어 씹어보았더니
삽시에 입안에 퍼지는 달달한 맛
난생처음 먹어본 고향집의 감귤맛에
코허리가 찡하여 목이 메였네

이 집에서 식구가 오순도순 모여 살 
그날만을 꿈꾸다 운명하신 우리 아버지 
반백년이 지나도록 풀수 없던 그 소원 
어이하여 우린 갈라져 살아야만 했던가

터질듯한 아픔과 상봉의 기쁨으로
눈물 젖은 큰오빠의 손 덥석 잡으니
파아란 고향하늘은 푸근한 빛 뿌리며
내 가슴 후련히 녹여주는구나


2.바다가 보이는 언덕에서
               

아버지,옥녀가 왔어요 서른해만에
어머니,저예요 알아보시겠나요?
못난 이 딸의 큰절을 받아주세요

불효자식이라 욕해주세요
못된 딸이라 꾸짖어주세요

그래도 이 딸은 
부모님의 부끄럽지 않은 딸이고싶어
이를 악물고 오늘에야 왔습니다

아버지,어머니
서귀포 앞바다가 보이네요
수평선 저멀리 고기배가 서서히 가네요

죽어서도 고향땅에 묻어달라 당부하신
부모님의 소원대로 여기에 모셨대요
바다가 보이는 풍치좋은 공동묘지에

생전에 그토록 큰오빠를 찾으시더니
돌아간 후에야 큰오빠를 독점하셨네요
꼭꼭 벌초도 하고 술도 올린다지요

저는요 어느새 손자가 다섯이예요
정년의 그날까지 열심히 일했어요
부모님앞에 가슴펴고 서고싶어

남들이 부모님의 묘지 찾을 때면
내 신세가 왜 이 꼴이냐고 
한탄도 하고 남들 부러워만 했어요

하지만 이젠 마음이 푹 놓입니다
이야기로만 듣던 그리운 고장에서
고향바다 바라보니 속이 시원하네요

아버지,어머니 저희 걱정은 마세요
이제는 하나로 이어진 우리 식구
만시름 놓으시고 편히 잠드십시오


3.개민들레꽃
          

어머님 산소를 벌초하더니 
봉분우에 애기꽃 피여있었네
새노랗고 어여쁜 서너치 잡초

꽃이름이 뭐냐고 물어봤더니
마을사람 다정하게 말해주었지 
외국에서 들어온 개민들레꽃이래요

바람타고 날아왔나
구름타고 날아왔나
너무너무 이뻐서 뚫어지게 봤지요

내 고향 제주도 어딜 보나 절경인데 
엄마의 봉분이 그리 좋아 여기 왔나
개민들레 개민들레 고마운 꽃이여

동백이며 코스모스 피는 꽃도 많지만
울 엄마 섭섭찮게 함께 해준 개민들레
조심조심 따고서 책갈피에 끼웠네

내 비록 또다시 이 땅을 떠나지만
개민들레 너와 함께 고향땅 안고 가리
그리울 땐 널 보며 엄마모습 떠올리리
      

4.헐어진 남비 하나
       

고향집 여기저기 들여다보다 
널찍한 부엌에도 들어갔더니
가스콘로우에 남비 하나 놓여있었네

몇십년을 쓰고쓴 남비일가
이제는 다 헐어진 남비 하나
뚜껑을 살짝 열어보았더니
먹다남은 된장국이 들어있었지

이 남비로 할머니가 국을 끓이셨고
식구 위해 큰올캐는 거친 손으로 
몇십년을 국 끓이고 반찬 장만했겠지 

큰딸은 미국에서 교수가 되고
아들은 서울에서 교편 잡고
기자 된 막내는 부산으로 갔으니
하나 가고 둘 가고 올캐마저 영영 떠나 

홀로 된 큰오빠는 이 부엌에서
아침저녁 어떤 심정으로 밥을 짓고
이 남비와 함께 날과 달을 보내였을가

넓은 부엌의 가스콘로우에 
쓸쓸하게 놓인 헐어진 남비 하나
먹다 남은 된장국이 들어있었네


5.겨울을 이겨내면
          

고향집 옥상에 올라 
사방을 둘러다보니
오붓한 마을이 한눈에 안겨오네

천천히 흐르는 고요한 고향시간
어린애마냥 큰오빠의 팔에 매달려 
그저 앉아있기만 해도 기쁘기만 하네 

술 좋아하는것도 큰소리 좋아하는것도
머리숱 적은것마저 아버지를 하도 닮아
은근히 생각했네 피줄은 속일수 없다고 

이 이야기 저 이야기에 꽃이 피니
몇십년의 공백이 삽시에 매워지는데
큰 항아리 가리키며 돌연히 하는 말

오빠가 일곱살적 할머니와 둘이 살 때
내가 태여난 바로 그 해의 <4.3사건>
토벌대놈들 우리 집에도 쳐들어왔다는데

위기일발의 순간 큰 항아리로 푹 덮어
오빠를 숨겨 살리신 기지에 찬 할머님
그 이야기 처음 들으니 가슴이 섬찍했네

할머니가 아니였으면 이 세상에 없다고
호탕하게 웃는 오빠가 더 가엾어서
그만 눈물 떨구고만 이 못난 동생 

얼마나 겁이 났을가 얼마나 두려웠을가
일곱살 어린 나이에 피바다를 보았다니 
오빠가 걸어온 파란만장한 인생의 1페지

이제 떠나면 또 언제 만나게 될지
밥은 어떻게 해먹고 빨래는 언제 하려나
점점 추워질텐데 온돌은 누가 피우나

이 걱정 저 걱정에 가슴 쓰린데
태연한 큰오빠는 오히려 날 웃기려
우스개소리 찾으며 하고 또 하네 

칼바람 부는 이 겨울을 이겨내면 
우리 다시 꼭 만나게 될거죠?
화창한 새봄을 함께 맞아야지요 오빠!



        끝



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記念詩 「生まれ故郷―碇ケ関」を訪ねて (2011年7月)

2020-09-22 15:03:56 | 詩・コラム
2011年7月、生まれ故郷である青森県平川市碇ケ関を初めて訪ねました。碇ケ関支所長であられた花岡様、職員であった黒滝様には生涯返すことのできない大きな恩を受けました。



記念詩 「生れ故郷―碇ヶ関を訪ねて」


 1.キャッスル号に乗って



東北のウリハッキョでの慰問公演を終え
弘前行きの キャッスル号に乗り込んだ

ついに 行くのだ 碇ヶ関に
夢にまで見た 生まれ故郷に

62年もの 長い間
心のどこかで いつも気がかりだった

何処で どんな所で生れたのだろう 私は
いつかは いつかは 探しに行かねば…

果てしなく続く田園風景 青さが目に染みる
トンネルを何度も潜りぬけ 高速バスは行く

「碇ヶ関まで27キロ」 掲示板の文字に
ドックン ドックン 鼓動が高鳴りはじめた 

左下に集落が見える 赤茶っぽい屋根の建物に
はっきりと書かれた 「碇ヶ関温泉郷にようこそ」

一瞬に通りすぎてしまった だが まぎれもなく
私は向かっているのだ 人生の出発点に!



記念詩2.碇ヶ関駅にて

           
弘前から奥羽本線のワンマンカーに乗り
4つ目の駅で降りた 碇ヶ関だ

小高い山に囲まれた 静かな佇まい
見渡す限り 青々とした田畑 リンゴ畑

大正の頃から変わりが無いという
碇ヶ関駅のホームに 立ち尽す

上野発青森行きの 蒸気機関車に乗って
オモニも降りたんだね このホームに

激しい 陣痛に耐えかねて
姉と次兄を連れ やむなく降り立った駅

どんなに心細かっただろうか
頼る人も知る人もいない この駅で

階段を一段一段上り渡り廊下を歩く
階段を一段一段下り出口に向かう

駅員も見当たらない小さな駅
切符を受け取る人もいない駅

62年の歳月を経て 今 ここに立つ
オモニのお腹にいた私が ここに立つ





記念詩3.日曜日の碇ヶ関支所


          
丁度1ヶ月ほど前 FAXを送った
インターネットで捜した 碇ヶ関総合支所に

「私の 生まれた場所を 探してください。
 碇ヶ関の小さな自炊旅館だったそうです。」

手がかりは ただ それだけ 
雲を掴むような おはなし

なのに 総合支所の皆さんは
自分事のように涙し 探し続けて下さった

仙台へ出発する二日前 ついにきた 嬉しい便り
「見つかりました!着いたら支所に来てください」

日曜なのに と 心配する 私に
何時でも良いから と 仰る 黒滝さん

こんな偶然があるだろうか
予約した宿が 総合支所の 隣だったなんて

宿に着くなり向かった 総合支所で
支所長さんと黒滝さんが 暖かく迎えてくれた

沢山の資料、地図、特産物、リンゴ、生ジュース
碇ヶ関の ネーム入Tシャツまで 着こんで

70匹もの 蛍まで 準備してくれていた
碇ヶ関の夜を 蛍と共に 過ごすようにと…





 記念詩4.星空に抱かれるように 

          

高さ15CMほどの ガラス瓶の中に 
田んぼで取ったと言う 70匹の平家ホタル
蓋には 「ホタルのホテル」と 刻まれていた

昨日の夜 田んぼの近くまで 車を寄せ
ウインカーを チカチカ 点滅させて
集まってきた 蛍を 一気に 詰めたそうな 

夜中の12時 全ての電気を消し
布団に横たわったまま じっと 見つめる
蛍たちが踊りだした 右に左に ぐるぐると

真っ暗闇の中 ホタルが放つ光が
ガラス戸や鏡に反射して作った 幻想的な空間
夢を見ているような 嬉しい錯覚

視力の弱い事が こんなに 効を奏するなんて
まるで 霧の中 湖の傍に 佇んでいるよう
満天の星空に 抱かれているよう

遠い昔 星降る夜 オモニが作ってくれた浴衣を着て 
近所の綾ちゃんと 盆踊りに出かけた日の事が
なぜだか 浮かんでは消え 消えては浮かんだ

花岡支所長さんの 優しい 思いやりが
生涯忘れる事の無い 幸せな夜を くれた
生れ故郷での初めての夜を 心に刻んでくれた




記念詩5.白沢の水場  

   
          
「こちらです」 朝 支所長さんの声
碇ヶ関支所から車で5分ほどのところ
私が生まれたという 木賃宿の跡地

雑草が茂る空き地だ 思ったより小さい
左横はすぐ山のふもとだ 線路跡がある
汽車が通るたび 家が揺れたそうだ

入り口に 白沢の水場 生命の水場     
山から管を通して 引っ張ってきた水 
江戸時代から 流れ続ける 白沢の水

水道のなかった 昔も今も 共同の水場 
木賃宿の客人も ここで顔を洗い洗濯をし
井戸端会議に花を咲かせた 貴重な場所

オモニもこの水で 炊事洗濯をしたのか
私のオシメを洗い 時には沐浴もさせてくれ
6ヶ月間 触らぬ日がなかった 白沢の水

手を伸ばし触って見た 冷たい!
初めて実感する 生れ故郷の感触
脳裏に浮かぶ セピア色の オモニの顔写真

何度も何度も触ってみる
手のひらで水を受け 口に含んでみる
おいしい! 涙と一緒にごくっと飲み込んだ




記念詩6.花岡チエさんとの対面



「外崎さんの おばちゃんはね
それはそれは 優しい人でしたよ」

捜していた木賃宿の隣で生れ育ち 今も住む
花岡チエさん 3代続いた教員の家に生れた方
私よりも一回り年上の ほっそりした上品な方

旅館代の払えない貧しい人々が 通りすがら
この木賃宿に泊まったそうだ 部屋は4つだけ
子供さん二人抱えて 宿を営んでいた外崎さん

チエさんの話を聞きながら オモニの話を思い出す
駅を降り 大きなお腹抱え当ても無く歩いていた時
1人のお婆さんが うちにおいでと言ってくれたと

部屋に入って間もなく 産婆を待つ時間も無く
私が生まれ へその緒を自分の歯で噛み切ったと
この方に会っていなかったら オモニは?私の命は?

「間違いないわ。この辺で木賃宿はここだけだし
 外崎のおばちゃんなら 必ず 助けたはず!」

有難うございます 花岡さん 生きていてくれて
あなたのおかげで やっと 見つけました
紛れも無い 私のルーツ 生れ故郷の住所を!

「青森県平川市碇ヶ関160番地の5」
命の恩人 外崎さん 証人の 花岡チエさん
手を握り 涙しながら喜び合った 感動の瞬間!





記念詩7.碇ヶ関支所での朗読会


         
花岡チエさんとの感激の対面のあと
興奮覚めやらぬまま 支所に戻った
支所の皆さまが開いて下さった朗読会

「朝鮮学校無償化除外反対」を訴える為
生れて初めて日本語で書いた 詩 <ふるさと>
広島、東京、京都、奈良、大阪の朗読会で、集会で
幾度と無く朗読しつづけてきた 詩 <ふるさと>

その詩を 今 <ふるさと>で 朗読するのだ
足も声も震える こんなこと初めてだ
夫の優しいフルートがそっと励ましてくれる

「生まれ育ったところが故郷だと
 誰が言ったのだろう
 私には故郷なんてなかった
 ふるさとがなかった… 」

誰が想像したであろうか
生れ故郷の 碇ヶ関で 
この詩を朗読する日が来るなんて

この詩を詠むたび 思ってた
誰に 私の悔しさがわかるものかと
誰に 私の悲しみがわかるものかと

だが今 私の胸に迫るものは 感謝の気持だけ 
こんなに 素晴らしい村で生れただなんて
こんなに 素晴らしい人々がいただなんて…







記念詩8.三笠山に登って


            
青々としたアカシヤ あちこちに見える天然杉
白く可憐なリンゴの花に囲まれて
少年期をここで過ごした 葛西善蔵の文学碑

到る処にあじさいの花が 明るく咲いている
支所長さんらが 学生の頃 植えた苗が
ブルー、ピンク、薄紫の花を 毎年咲かせる

三笠山の山頂から 碇ヶ関村の全容が見える
バスの中から見えた「碇ヶ関温泉郷にようこそ」が
総合支所の裏壁だったなんて 嘘みたい

赤、青の屋根が目に付く 全てトタンだそうだ
寒い冬に雪が滑り落ちるよう 工夫されている
碇ヶ関は二つの山脈に囲まれた盆地だったんだ

室町時代から 関所のある宿場町として栄え
村を流れる平川の清水、果てしなく広がるりんご園
豊かな自然といで湯に恵まれた 閑静な里

人口2、800人にまで減ったけど
村に対する誇りは誰にも負けない
黒滝さんも支所長さんも碇ヶ関の人だ

「おまえはリンゴ畑で拾ってきたんだよ。」
言われるたび 青森に帰るから電車賃をくれと
駄々をこねた 昔がほんに懐かしい

「おーい 碇が関ー 私はついに来たよー」
叫びたい気持ちを抑え リンゴ畑を歩き続けた













記念詩9.三笠食堂で



「この村で一番古い三笠食堂で
 お昼をいただきましょう。」

支所長さんにつづいて食堂に入る
昭和の雰囲気が漂う 古いお店
アルバムや雑誌なんかも置いてある

壁に貼られた大きなポスター
<自然薯ラーメン> 美味しそうな響き
「私これにします」 結局 皆このラーメン

ラーメンを待っている間 話が行き交う
今日の朝訪ねた 花岡さんのお父様に
ここのご主人も 習ったそうな

アルバムを見ていると分かる 大正時代の様子
昭和の時代の平川や橋、馬車まで走っている
大阪から生れ故郷を探しにきたと紹介される

「木賃宿の名前がわからんのです」
「あぁ、白沢の水場の木賃宿かね、大黒屋さんや
出前頼まれて よう行ったから間違いないわ」

大黒屋?大黒屋?! 役場でいくら調べても
最後までわからず 諦めかけていた屋号が
こんなにも簡単にわかるなんて 奇跡?偶然?

碇ヶ関に来てビックリすることだらけ
ひとつの 大家族のような村 
血の通い合う 暖かい 私の生れ故郷!



記念詩10.碇ヶ関の名所を巡る


           
三笠食堂の2代目店主 阿部さんから
貴重な証言を頂いた後 たけのこの里に向かう

樹齢200年の大杉の前に佇み 仰ぎ見る
しばし時を忘れ 森林の心地よい香りに酔った

春は山桜が咲き乱れ 夏は楽しい渓流釣り
秋は紅葉、バーベキュー、温泉も楽しむ贅沢さ

コテージが素敵 中に入るとまるで我が家のよう
「来年の秋 姉や兄と 必ず泊まりに来ます」

つい口から出た言葉 でも嘘じゃない 本当だ
何回でも来たい処 小川のせせらぎが心地よい
 
帰って報告すればどんなに喜ぶことだろう
家族みんなで行こうと 言うかも知れない

再び 碇ヶ関駅に戻り写真を撮る 心に刻む
駅隣の 屋内村民プール遊泳館にも立ち寄る 

かけ流しの温泉がある 道の駅いかりがせき
移築した関所の面番所で 江戸時代にタイムトラベル

たけのこの瓶詰め,自然薯そばに青森りんごきらら 
お土産もどっさり 大満足 ポッカリ雲が笑ってる

碇ヶ関の全てを持って帰りたい 大阪に
7色の温泉が 又おいでと 湯煙を立てている







最終章。果てしなく続く旅


          
大阪に向かう飛行機の中で ずっと考えた
私はなぜ 碇ヶ関を 捜し続けたのだろうか
私はなぜ 生地に こだわり続けたのだろうか

人は皆 生地を持つ しかし 選ぶ事は出来ない
ましてや 私は異邦人 流れ流れて 着いた村
昨日今日の話では無い 遡れば 100年も前だ

国を奪われ やむなく祖父が日本に渡り 
祖父を頼って日本に来た父は 母と出会った
職も無く 転々と彷徨う中で 生まれた 私

外国人登録証なるものを初めて見た中学生の時
両指10本の指紋をとられながら 私は思った
私は罪人か? 一生 これに縛られるのかと

心のどこかでいつも 怨んでいた
国を奪ったもの達を 離散家族を作ったもの達を
チマチョゴリも自由に着て歩けない この国を

60年もの間 かたくなに心を閉ざし
決して許す事はなかった 祖父の足を奪った輩
出生地も 知らぬまま 生まれ育った 悔しさを  

がむしゃらに勉強をした ウリマルの勉強を
誰よりも自分の国の言葉を上手に喋りたいと 
異国生れを 下手な口実にはしたくなかった

定年を迎え ふと 我に返ったとき 思った
生れた場所も知らないまま 死んで行くのかと
子供たちに伝えねばならぬものは なんなのかと

心優しい人々が住む 碇ヶ関で 命を授けられ
今もなお 心豊かな この村の人々の お陰で
ルーツを探せた感激、喜び、深まる感謝の気持ち

その想いが強いほどに 私は思うのだ
私の祖父、父、母が生まれ育った誠の故郷を
一度も見ないまま ただ年を重ねるべきなのかと

植民地に継ぐ 南北の分断はあまりにも長すぎた
個々の悲しみに背を向け 頑張り続けた半世紀
背中の丸くなった長兄は 未だ1人で済州島に

必ず捜しにいかねば 堂々と 胸を張って
民族の誇りを守って生きてきた 60年を
決して無駄には出来ない 決してしまい

果てしなく旅は続く でも私の足取りは軽い
必ずや 統一を迎えた故郷で 家族が集い
碇ヶ関でのことを 笑いながら話せる日は来る!

碇ヶ関の人々がそうであったように
私も民族や国籍に拘らず 困った人を助け 
日朝の架け橋になろうと 静かに誓った


          終



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