ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

5年前の11月に岡山のウリハッキョを訪ねました。再掲いたします。

2020-03-10 18:03:22 | 日記




11月20日、朝8時に家を出て地下鉄、新幹線を乗り継ぎ岡山駅に着いたのは9時半でした。思ったより岡山は近かったです。

岡山駅には幼稚班の金先生が迎えに来てくださいました。




なんで岡山に行ったの?はい、そのことを話せば長くなりますが、定年退職する前、私にはささやかな夢がありました。

「退職して自由の身になったら一人芝居を作って全国の学校を回ろう、そして子どもたちに在日一世や2世がこの国でどういう風に生きてきたかを伝えよう」という夢でした。

私はそのことを親しい友人たちに公言していました。なぜかというと夢が夢で終わるのが嫌だったからです。人の前で言ったからには何としてでも実現せねばなりません。しかし退職前に慢性気管支炎を何度も患い何回も何回も咳が止まらなくなったり声が出なくなったりしてしまったのです。

お医者さまからは声を長年出し過ぎたので回復は難しい、声を出し続けなければ普通の生活には支障が無いだろうと言われました。

1人で長時間喋りつづけなければならない一人芝居はやっぱり無理かなぁと断念し、わびしい気持ちのまま退職の日を迎えたのでした。

ところが、2010年3月退職後すぐに「朝鮮学校無償化除外問題」が大きな社会問題としてクローズアップされたのです。(いったん中断します)



岡山駅前です。大きなビルが立ち並んでいました。

私は無償化問題が起きたとき日本の詩人の河津聖恵さんの呼びかけに応じて「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」を刊行するお手伝いをしました。そして79名の日朝詩人たちのコメントと詩が掲載されたこの本の朗読会を有志たちと組織し、アンソロジーを朗読するという方法で除外反対運動を行ったわけです。

広島のウリハッキョを皮切りに、東京第2初級、奈良学園、京都中高、東北初中高、北海道初中高、北陸初中等を回りながら訴え続けました。

私は学校を回るたびに詩の朗読をしたり、時には学生たちやオモニたちに詩の朗読や朝鮮の昔話の指導をする中で、一人芝居ではないけれど、私は自分の夢を一つ一つ叶えているような嬉しい気持ちになったのです。

そんな話を昨年京都で行われた「金斗鉉先生の李朝展」でお会いした岡山の金福寿先生に、なにかのきっかけでお話したのですが、その話を覚えて下さっていた金先生が、一年半が過ぎた先月、是非岡山にいらしてくださいとありがたくもオモニ会と共に、講演会を構想して下さったのです。それで私から、どうせ行くなら生徒たちと短時間でもウリマルのお勉強を一緒にさせてくださいとお願いしたわけです。




学校に到着しました。とても整理整頓された綺麗な学校です。統合される前は倉敷初中の校舎だったのですが、何年か前に岡山には幼稚班だけを残し、初中級はこちらに移転してきたそうです。











到着してすぐに始めの授業が始まりました。

始めの授業は初級部高学年の全員の皆さんと一緒に行いました。4年生の教材「他人にばかり頼っていた狸」という昔話の読み方のお勉強をさせていただきました。生徒たちはとてもノリノリでいろんな質問にも的確な返事をしてくれました。笑い過ぎのため何度も授業が中断されそうでした。

2時限目は中級部全員です。30名の生徒たちと1年生の詩の教材「友を愛せよ」という名詩の朗読の勉強をしました。



中級部は初級部のように笑うような内容ではないのですが、内容を正確に把握するための質問にも積極的に答え適度な声の大きさでどんどん上手になっていきました。日常的に国語の授業を楽しみ、どれだけ密度の高い授業が行われているのかを十分読み取れました。



その後すぐ支部事務所まで徒歩で移動し、子育て真っ最中のオンマたちの前で2時間近くお話させていただきました。

題名の通りですが僭越ながら私の体験談をお話させていただきながら、どんな困難があっても人間前向きに考え生きていれば、未来は開けること、子供の時から夢や希望を持つことが、大人になってどれほど大きな力をくれるかを体験に基づいてお話させていただきました。

又子育てに置いて褒めることの大切さをお話しました。、叱る時は大声やその時の感情で叱るのでは無く、一貫性が無ければならないこと、子どもを傷つけてはならないことなど、またウリハッキョのすばらしさを学校の中にいる私たち自身がちゃんと見つけようという話や、、なぜ日本学校の教師や韓国からの来校者がウリハッキョに来て「朝鮮学校こそまさに統一祖国のモデル校」だと言ったのかをお話しました。

今日集まって下さったオモニたちの中には、25年前のお正月公演の時に一緒に2か月間過ごした教え子が3児の母になって私の前に現れました。

又昔の若い同僚が2児の素敵なオンマになって喜んで迎えてくれました。

学校では朝高時代の先輩の書芸家であり書芸の講師である韓先生とも再会しました。大阪から岡山に赴任された呉委員長とも再会をしました。昔からよく存じ上げていた崔先生の子息がこちらの教員になっておられたし、初級部時代のうちの長女の担任先生だった林先生の娘さんがここで教員をされていました。なんだか嬉しくて嬉しくて本当に来て良かったと思いました。

又講演後迎えに来てくださった、昔の教員仲間まであり詩人仲間で在った金貞任先輩と1時間近く色々懐かしいお話をさせていただき元気を一杯いただいて帰路いつきました。



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